黒鋼は駐車場に車を停めると、美容室に向かった。ドアを開けた時ちょうど奥の部屋からファイが出て来た。
「あ、黒様〜♪時間ピッタリだね〜」
「・・・あぁ・・・」
黒鋼はファイのあまりの美しさに、暫く声が出なかった。
美しく結い上げられた髪ははらりと後れ毛が舞い、鼈甲のかんざしには牡丹の花が飾られている。
黒地に金の扇と燕が描かれた振袖は、金の髪と美しく溶け合っていた。そして唐草模様をアレンジした帯は
立て矢系の帯結び。
「やっぱり、変かな?」
ファイの言葉にはっとして、黒鋼は慌てて口を開いた。
「よく似合ってるよ。特にここが開いてるのがいい」
「ここ」とは、うなじのところだ。背中だけでなく、鎖骨がほんの少し見える程に大きく開いている。
「え、やっぱり開けすぎじゃない?少しすうすうするんだけど・・・」
「ま、いいじゃねぇか。今、お前に見惚れてるのは間違いない」
ファイは真っ赤になった。
美しいファイと彼を迎えにきた黒鋼を見て、美容師達がきゃあきゃあと騒いでいる。
黒鋼はそんな彼女達に構う事なくさっさと会計を済ませると、ファイの肩を抱き車に向かった。
背中の帯結びが潰れないように背もたれを少し倒すと、ファイを抱え上げ、助手席に座らせた。
「もう、自分で乗れるのに」
ファイが呟くと、隣りに乗り込んだ黒鋼は言った。
「裾が捲れちまうだろ。それに普段はお転婆してるんだから今日くらいお淑やかにしてろ」
「はーい!」
ファイのお淑やかとは言えない返事に黒鋼は片方の眉を上げた。

堀鍔神社の駐車場は既に一杯だった。
「やっぱり遅かったか」
黒鋼が呟いた時、停止した車の窓を叩いた人がいた。
「侑子先生!」
ファイが声を上げると、 黒鋼は向こうを向いてボソッと呟いた。
「新年早々ツイてねぇ」
「場所、取っておいてあげたわよ」
見ればちょうど車が一台駐車場から走り出た。
「ちっ」
やむを得ず空いた場所に駐車すると、ファイの為にドアを開けた。
ファイが車から降り立つと、侑子は言った。
「黒鋼先生、始業式の進行係、ヨロシクね」
「クソっ」
せっかく二学期末になんとか断ったのにこれでは水の泡だ。
「黒ぽん、気にしないで行こう。それにオレ、黒様先生の進行、好きだよ。黒ぽんの声聞けるのは嬉しいし」
ファイが慰め、黒鋼はなんとか愚痴を心に止めた。
神社の人混みの中へと二人歩を進めると、ざわめきが広がった。人混みがが左右に分かれて行く。
「?」
ファイは歩を止め、人が左右に割れていく様子を不思議そうに見ていた。
黒鋼はファイをちらりと見て小さく溜息をつくと、ファイの手を取って歩き出した。
ファイが頬を染める。
辺りのざわめきが大きくなり始めていた。


賽銭箱に小銭を投げ入れた。
ちゃりーん、と言う音とともに手を併せる。
「今年もいっぱい黒様とデートできますように!」
「・・・」
声を出して願いを言ったファイは、さっさと歩き始めた黒鋼に言った。
「黒様は何をお願いしたの?」
「別に何も」
ファイは大きな瞳を見開いて叫んだ。
「えー、そんなのダメだよ!」
「いいんだよ、どうせ叶わねぇ」
「だめ!もう一回お願いに行こっ!」
ファイの大きな声に、良い口実が出来たとばかりに参拝客が二人に注目した。
それを見て黒鋼は大きく溜息をつくと、仕方なく言った。
「今年は理事長に邪魔されねぇように、って願うつもりだったんだよ」
「あ、あぁ・・・」
ファイはなんと言ったらよいか判らず、口を閉じた。
「あ、ゆき・・」
雪が舞い降りてきた。ファイはそっと掌で受け止めた。
黒鋼とともに見上げると、雪雲から次から次へと大粒の牡丹雪が降ってくる。
「今年一番の雪だよ。今から後は、侑子先生に邪魔されませんようにっと!」
ファイは嬉しそうに両手を合わせて雪を包み込み、願を掛けた。
「なんだそりゃ?」
黒鋼は不思議そうに首をひねった。
「今年一番の雪に願いを掛けると、叶うんだって」
「あほくさ」
「いいの!きっと叶うからっ」
そこへ、巫女姿の知世がやってきた。彼女はここでアルバイトをしている。
「先生、良かったら傘をどうぞ」
「ありがとう」
二人はそう言って番傘をそれぞれ受け取った。知世を見送り、そして二人は傘をさして歩き出した。
「黒様、先刻は大きな声を出してごめんね」
「全くだ。お淑やかにするんじゃなかったのかよ」
そう言って、黒鋼は半歩遅れて歩いてゆく。ちょうど、うなじがよく見えるいい位置だ。
ファイはそれに全く気づかぬまま少し恥ずかしそうに話しを続けた。
「だって、何もお願いしなかったら何も叶わないでしょう? 
黒様のお願いが何も叶わないなんてダメって、すごく思ったの・・・」
少し目を伏せ気味にして、ほんの少し後ろを歩く黒鋼に目線を向けながら、
俯き加減で囁くように話すファイはとても色気がある。
傘を持つ指も、さりげなく施されたネイルアートも、かすかに差された薄紅も、何もかも。
「そうか」
黒鋼はそう言うと、ファイの耳元へと口を寄せた。
「本当は、願いなんて始めから無いんだ」
「え?」
ファイが首を傾げると、黒鋼は続けた。
「俺の願いはもう叶っているからな。叶わないから願うんだろう?」
「うん、そうだけど・・・?」
ファイは益々首を傾げた。黒鋼は優しく微笑むと再び囁いた。
「俺の本当の願いは、『お前が欲しい』それだけだ。叶っているだろ?」
ファイは真っ赤になって小さな声で囁いた。
「うん・・・。オレは、黒様のもの・・・だよ・・・」
その答えに、黒鋼は満足げに微笑んだ。


END


                    

初詣