続・仔うさぎの大冒険 2

「好きだ」




心臓が、止まるかと思った。

それは、キスをくれた翌日。
恋人がいるというのは、オレを諦めさせる為の嘘だったって。
先生は、夢みたいな言葉を口にした。

夢みたいなーーー
ううん、これは夢だ。
こんな都合のいい夢を、何度も見てるから。
いつもここで、目が覚めちゃうんだ。
見慣れた真っ白な天井が瞳に映って、もう先生はどこにもいなくてーーー

なのに。
消え失せるはずの姿は、まだ目の前にある。
ああ、なんて幸せな夢なんだろう。
今日は、夢の続きが見られるんだ。このまま永遠に、目覚めなければいいのに。

「・・・オレもね、黒たん先生のこと・・大好きなの・・・」
「ああ、知ってる」
心地いい低音が、鼓膜から胸の奥へと響いてゆく。
何百回も何千回も伝えた、この胸を揺らめかす恋心。
でもまだ、伝えきれないの。
「・・ううん、先生は知らないよ。黒たん先生が思ってるより・・もっと、もっと・・好きなの・・・っ」

好き。好き。好き。大好き。
真っ直ぐな眼差しも、あったかい手のひらも。
生徒達みんな、黒たん先生のコト大好きだけど。
この気持ちだけは、誰にも負けないんだ。
先生の特別になれたらどんなに幸せだろうって、いつも夢見てる。
でもーーーそんな甘い夢は、いつだって儚く消えてゆくから。

「ねぇ・・これは、夢でしょ・・?・・ねぇ、お願い・・。まだ、消えないでいて・・・」
震える指先を彷徨わせて、大きな手のひらを掴んだ。
触れれば消えるはずの幻は、小さなオレの手を確かにぎゅっと握り返して。
「おい・・泣くな」
ごつごつした指が頬を撫でて、いつの間にか零れていた涙を拭ってくれた。
背の高い彼を見上げようとしたら、何かに視界を閉ざされて。
「ったく、・・教師失格だな・・俺は・・・」
身体が苦しいくらい熱くなって、先生の強い腕に抱き締められたんだって分かった。
力強い、心臓の音が聞こえる。


「でもな・・・おまえに嘘は・・吐きたくねぇんだ・・・・・」



夢じゃない。
夢じゃ、ないんだーーーー



先生とオレの、始まりのキスは。
先生の本当の気持ちを、教えてくれた。





それから。ちょっとずつ増えていった、先生とオレだけの秘密。

付き合うなんて話は卒業してからだって先生は言ったけど、一生懸命おねだりして部活動のないたまの日曜日、
デートをしてもらった。
内緒のデートは、遊園地みたいないっぱい人のいる場所へは行けないから、静かな森の公園がいつもの行き先。
少しでも可愛く見えるように頑張っておめかしして、おいしく食べてもらえるように作ったエビフライや卵焼きなんかを
いっぱいの気持ちと一緒にお弁当箱に詰め込んで。
家族にはお友達と出掛けるフリをして曲がった裏道の先が、秘密の待ち合わせ場所だった。
ブラックの大型車は先生らしくて、助手席に乗り込む時は、いつも痛いくらい胸が高鳴る。
だって、運転席に私服姿の先生がいるんだもん。
黒い服装はいつも通りのイメージだけど、先生はやっぱり黒が似合って格好いいんだ。
会えてとっても嬉しいってはしゃぐオレに、先生はいつもちらりと視線を向けておうとか呟く。
選びに選んだ白いワンピースのフリルを揺らせてもなかなか褒めてなんてくれなくて、
カワイイとか言ってよぅなんて拗ねると、なだめるように大きな手で頭をポンポンと撫でてくれた。
また子供扱いなんてむくれながら、そんな仕草も本当は大好きで。
上手にハンドルを操る逞しい腕や、たまにこっちを見てくれるその横顔に、いつも見惚れてた。

オレの事知って欲しくて、もっと先生の事知りたくて。
公園の樹々の間をお散歩したりお弁当を一緒に広げながら、色々お話しをした。
学校であった事、お家であった事、先生のコト大好きだって気持ち。
一生懸命お喋りするのを、先生は全部聞いてくれた。
先生の事もたくさん聞いたけど、自分のことを話すのは苦手だって、ポツリポツリとしか答えてくれなかったけど。
でもお弁当は、たいしたもんだなって感心しながらきれいに平らげてくれたんだ。
大好きな先生を独り占め出来るこの時間が、何より幸せだった。

いつも夕ご飯前にはお家へ帰してくれる、まるで学園の遠足みたいなデート。
ううん、デートなんて思ってるのはオレだけで、先生は生徒を引率してるつもりなのかな。
だって先生は、抱き締めてもくれなかったから。
キスをねだると、卒業してからだって先生はいつもそっぽを向いてしまう。

先生のこと大好きだから、キスしたいのに。
先生はしたくないの?
学園で遠くから彼を見詰めるたび、切なくなった。
一時間目、二時間目、教室移動、学園行事。学園は毎日色んな出来事がたくさんあって、一日はすごく長いのに。
一日、一週間、一ヶ月、一年、二年・・・卒業なんて、ずっとずっと未来のことなのに。
どうして先生は、そんな先まで待てるんだろう。
本当に好きだったら、今すぐ抱き締めたいって思わない?
先生はオレみたいに、胸が苦しくなるような『好き』じゃないのかな。
生徒の中の一人として、『好き』と思ってるだけなのかな。
大人の先生の気持ちは、子供のオレにはよく分からなくて。
そんなことも分からない幼いオレを、本気で好きだなんて思ってくれるの?

不安でいっぱいになって、涙ぐんで俯くと。
そんな時先生は、困ったように小さな溜め息を吐いてーーーーキスをくれた。


触れるだけのキスの時もあれば、たまに。
本当にたまに、深く深く、口付けてくれた。





冬のデートは、好きだった。
誰もいない海が見たいっておねだりして、連れて行ってもらうの。
人けのない寂しい浜辺は、凍える風が吹き付けて。
オレが縮こまって寒がるから、先生は大きなジャケットの中に包み込んでくれた。
心までふんわりあたたまるような、先生のぬくもりが幸せで。
こうしてないと凍え死んじゃうって言い訳して、オレはずっと先生に抱き付いていた。

身体の芯まで凍えるような、果てのない海。
でもそこは二人きり、どこよりもあたたかくて。
世界で一番、幸せな場所だった。





ねえ、先生。

貴方のことが、もっともっと好きになっていくの。





    


前置きはここまでで、次から本題ですな。やっと裏部屋らしくなってゆく予定・・。