神父と悪魔のお話

「お願いします、私達の村を助けて下さい!森に恐ろしい魔力を持つ悪魔が巣食い、
人を襲うようになったのです。何人もの神父様に討伐をお願いしたのですが、
皆その力に圧倒され歯が立たず・・」
「こちらにみえる神父様は世にも稀な力をお持ちになると伺い、野を越え山を越えお願いに参った次第です。
どうか、お目通り願えませんでしょうか?」


時は昔。
人々は小さな村を作り、農耕や放牧を営んで暮らしていた。
のどかな生活であるが、そんな生活を脅かすものがひとつある。それは、“悪魔”と呼ばれる異形のもの。
それらは黒い身を夜に溶かして村に現われ、人間に襲い掛かる。人外の力を持つそれらに抗う手段は、
普通の人間は持ち得ない。
悪魔を滅する役目を負うのは、悪魔退治の修行を積んだ“神父”と呼ばれる者達である。

遠い地より遥々やって来た村人の懇願を受け、対応に出た小僧は急ぎ教会の奥へと下がった。
国一番とも噂される強大な力、それはきっと、乗り越えてきた無数の試練と長年の修行の賜物であろう。
貫禄ある老神父の姿を思い描き畏まっていた村人達は、次いで現われた神父の姿に、思わず息を呑んだ。
「話は伺いました。貴方達の悲しみや恐怖はいかばかりか・・。すぐに参りましょう」
「え、まさか・・貴方様、が?」
現われたのは、世にも美しい青年だった。
整った面差しは、神代の女神を象る彫刻に命が吹き込まれたよう。
長い金の睫毛で縁取られる蒼い瞳は、泉のように澄み渡っている。
白肌は透き通り、肩までの輝く髪は白金に揺れていた。
神父は悪魔とは対照的な、白法衣を身に付けるのが常だ。
しかしすらりとした肢体を高貴な白で包むだけでなく、彼自身が白く輝く。
禍禍しい闇の悪魔と対極を成す、白く綺麗な神父様。その気高い姿に、村人は賛嘆の溜め息を洩らした。
「貴方様が、名高い神父様・・」
「まるで天使様が天から降りて下さったようだ、なんと有り難い・・
お願いします、どうかあの憎き悪魔めを退治して下さい!」
懇願する村人達に、白い神父は優しく微笑む。
「いいえ、オレがするのは魔物の退治ではありませんよ」
「退治ではない、というと・・?」
「全ての者を正しい道へ導くのが、神父の生業。相手が悪魔だからと言って、分け隔つのは
本意ではありません。悪魔を浄化し、過ちの地獄から救い出すのがオレの役目です」
神父は瞳と同じ蒼の宝石の鏤められた、身の丈ほどの金杓杖を天へと翳した。
さらりと流れる法衣の衣擦れさえ、清らかに。
「おお、悪魔などにも情けを掛け天へ導いて下さるとは、なんとお優しい・・」
この神父様の御力なら、どんな魔物も心を正すに違いない。
掲げられた金杓杖の輝きの下、村人達はそう確信した。


「今日は新月。闇にまぎれ、必ず悪魔はこの森から現われます」
「案内ありがとう。危険だから、早く家へ避難した方がいいですよー」
「いえ、神父様にもしもの事があったらと思うと、家でじっとなんてしてられません。
何かあったら我々がお守りしますから!」
「命に換えてお守りします、任せて下さい!」
「オ・・オレを守られても・・。貴方達を守る為に呼ばれたのが、オレなんですからー・・・」
今までどの神父が討伐に訪れた時も我先と非難していた村人達であったが、
今回は鍬や鋤を手に総出の戦闘体勢だ。
「神父様のピンチを助けたら、愛が芽生えるだろうか!」
「あの方は男性よ、もう。それよりお帰り前に家に寄って下さらないかしら。
手料理をご馳走して差し上げたいわ!デザートは私、なーんてvオホホv」
訪れた神父が、世にも稀な力を持つだけでなく世にも稀な美形だったので、
老若男女メロメロになっていたのであった。
「あのー・・お気持ちは非常に有り難いんですけどー、本当に危険ですので・・」
困り顔で村人を諌める神父は、ふと表情を引き締め森の入り口へ向き直った。

「・・・・本当に凄い悪魔だ。こんなの、相手したことないやー・・。
オレの手に、負えるかな?」

神父の小さな呟きと同時に、森の奥から凍りつくような突風が吹き抜ける。
身の毛のよだつ、粘り気のある風に向けて神父が金杓杖を掲げた。
同時に蒼珠が閃光を放ち、闇を引き裂いて辺り一面を明るく照らし出す。
「ひ・・っ!!」
浮かび上がった悪魔の輪郭に、村人達は腰を抜かして掠れた悲鳴を上げた。
森より現われた闇色の塊は、村一番の大屋敷より大きい。
太い腕には長い黒爪、大きく開かれた漆黒の口には鋭い黒牙が並ぶ。
何よりおぞましいのは瞳の色ーそれは、滴る鮮血のような紅だった。
曝された邪悪な姿に村人達は竦み上がり、邪気に当てられ失神する者もいた。
地の底から響くような唸り声に全く臆することなく、悪魔とまっすぐに対峙しているのはただひとり。
白く輝く神父。
おぞましい紅はその光を睨み、やおら鋭い爪を振り下ろした。
「し・神父様ぁーっ!」
周りの者は成す術もなく、次に起こるであろう悲劇に顔を覆ったが・・
何故か神父の悲鳴は聞こえず、そっと顔を上げてみる。
「・・な・・?」
神父は悪魔を真っ直ぐ見据えたまま、変わらぬ位置で佇んでいた。
彼のすぐ目の前で、黒い鋭爪はぴたりと止まっている。
「な、なんと素晴らしい御力だ!!この恐ろしい悪魔の動きを封じてしまうとは!」
さすが名高い神父様だと歓声を上げ掛けた村人は、次いで響いた声に再び竦み上がった。

『この俺に術を掛けるとは・・生意気な人間だ・・・』

地を震わす不気味な言葉は、悪魔の口から発せられている。
それはこの魔物が、いかに強大な力を持つかということを示す。
人語を操る悪魔は数少なく、それは例外なく他のものとは比にならない力を持つのだと言われている。
「君を、これから浄化します。邪悪に染む魂を清く正し、天へ還りなさい」
優しく微笑みかける神父に、闇色の悪魔は不敵な笑い声を上げた。
『俺を浄化するだと・・?やれるものならやってみるがいい、無力な人間ごときが・・!』
表情を引き締めた神父は、金杓杖を振り上げた。同時に悪魔は束縛を破き、雄叫びを上げて
神父へと襲い掛かる。
「危ないっ、神父様ぁーっ!!」
ゴ・・ッ、と一面を吹き飛ばすような大爆発が起き、叫ぶことしか出来ない村人達はたまらず身を伏せた。



「・・・・し・・」
暴風が収まり人々がおそるおそる身を起こすと、辺りの木々は薙ぎ倒され、衝撃に地面は大きく抉れている。
凄まじい惨状の中心には、立膝を付き肩で息をする神父の姿があった。
「神父様ぁ!!」
ついに魔物に打ち勝ったのだろう、立ち込めていた強い邪気は消え失せており、
立ち上がることが出来るようになった村人達は挙って彼の元に駆けた。
息を切らし疲れた様子の神父だったが、もう大丈夫、と周りを安心させるように微笑んだ。
「さすが名高い神父様だ、あんなにも恐ろしい悪魔めをやっつけて下さるとは!!」
「何とお礼を言ったらいいのか!どこかお怪我は・・」
「オレは大丈夫。今まで相手をした悪魔とは桁違いのものでしたが、
もはや邪悪な魂は浄化され、天へと還りました。皆さん、これからはもう安心して生活できますよ」
服を叩いて立ち上がり、悪魔がいた場所を向き直った神父はー
蒼く澄んだ瞳を大きく瞬かせた。

「・・小癪な人間め・・!!」

悪魔がいた場所。
そこに、見慣れぬひとりの男が倒れている。
大きく屈強な身体を闇色のマントで覆い、短く逆立つ髪は漆黒。
「・・・・・ん・・?」
爆発に弾き飛ばされたように臥せていた身を起こしながら、男は不審な表情をした。
喉に手を当てながらゆっくりと周りを見回し、それから自らの腕を見る。
「・・・・・・な・・・ッ?!」
「あれぇー?人間になっちゃった。どうしてー?」
男の瞳はあの恐ろしい悪魔と違うことのない、滴るような鮮血の色。
どうしたことか、浄化されたはずの悪魔は人の形に姿を変えてしまったようだ。
自分の姿に衝撃を受け絶句しているている男に対し、神父は細い指を一本小さな唇に当て、
こんなこと初めてだーと小首を傾げた。
「よくも俺を下等な人間などに!!これ以上の屈辱はねぇ!」
男は勢いよく腕を翳す・・・が、何も起こらず、神父はにっこり微笑んだ。
「君の魔力は封じてあるんだ、申し訳ないけどー」
「何だと?!ぶっ殺してやる!!」
殴りかかろうとした拳は、杓杖を掲げた神父の前でぴたりと固まった。
「ごめんねー。今の君はただの人間、オレの術には敵わないねぇ」
「・・く・・っ」
ぎりりと歯噛みする男を前に、神父は細い指をあごへ移動し、ちょっと考え込む。

通常、浄化された悪魔はその身も魂も天へと還る。
この悪魔はどういう理由か姿が人の形に変わり、しかも魔力はその身へ封じ込まれているだけ。
封印が解ければ姿も魔力も元通りーーつまり何一つ浄化されていない。
これではその場凌ぎに過ぎない。その上、封じた魔力が余りに大き過ぎる。
(・・ちょっとでもオレが弱ったら、簡単に破られちゃうだろうなぁ・・)
さっきの勝負は、僅差だった。いや引き分けだ、浄化は出来なかったのだから。
負けはしなかったけれど、完全に術は失敗している。
封印を破り悪魔に魔力が戻ったなら、今度はこちらが負けるという可能性が大いにある。
彼の息の根を止めるなら、今しかない。悪魔はまだ状況を掴めておらず、今なら簡単に殺すことが出来る。
普通の神父なら、迷わずそうするだろう。
(・・そんなことはしたくない)
ただ殺すのと、浄化してから天へ還すのとは大いに違う。ただし、オレにとって。

オレには昔、誓ったことがあるから。

術は失敗した。
多分再挑戦しても浄化は出来ないだろう、力は互角だ。
(でも・・)
改めて、悪魔を見る。理由は分からないが人の形に変わった悪魔。
人の形であるならば、人の心を解することも出来るかもしれない。
そうすれば、自ずと浄化されるのではなかろうか。
それまでに封印を破られれば、また戦うことになりー今度は負けるかもしれないけれど。
五分五分の賭けだ。
「・・・まあ、どうにかなるかな・・?」
頷いた神父は、村人達へ向き直り、朗らかに微笑んだ。
「じゃ、とりあえずこの人連れて帰りますんでー」
「人?!俺は人なんかじゃねぇ!何が連れて帰るだ、今すぐ封印を解け!!」
「んもー、口が悪いなぁ。言うこと聞かないと、お仕置きだぞー」
神父が杓杖を翳すと、悪魔はこめかみを抑えてしゃがみ込んだ。
「っ痛・・ッ何・・?!」
「だから、オレの術には敵わないってば。ついて来てくれる?約束するなら、やめてあげるー」
「・・くそ!覚えてろよ・・・ッ」

そうして麗しい神父は、口の悪い悪魔を伴って自分の教会へと帰って行ったのでした。


「オレの名前はファイって言うんだ。君は・・ああ、悪魔は名前がないんだよね。
髪が真っ黒だし体もごついから、黒・・そうだな、黒鋼にしよう。黒たんって呼んであげるーv」
「呼ぶな!!名前なんかいらね・・て、杖を翳すな!封印解いたらおまえなんか、一番に喰ってやる!」



闇色だった東の夜空に、紫からオレンジのグラデーションが描かれてゆく。
山の端に朝日が輝くのも、もうすぐだ。光は村を、明るく照らし出すだろう。
恐ろしい悪魔の恐怖に怯えた村の長い夜も、これでお終い。



しかし、神父と悪魔、ふたりの物語はここから始まるのです。








“魔物退治の〜”が、ファイ=式神・黒鋼=坊さんだったので、今回は逆バージョンで
黒鋼=悪魔・ファイ=神父にしてみました。
タイトルにひねりがないんですが、どうしたらいいでしょうか・・。
他のもの書きつつぼちぼち進めていきたいと思うので、よろしかったらお付き合い下さいね。