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わんこ物語5

浅黒い皮膚に漆黒の硬い髪、ファイより二周りほど大きく厳つい体躯。信じ難いことだが積年の願いが叶い、
俺は真っ黒な大型犬から大柄で強面の人間へと変化した。ファイはすぐ受け入れてくれたものの、どんな姿でも
大事なペットであることには変わりない、という言葉は内心ちょっと複雑だったりする。
原因は全く持って不明であるが、一日過ごしてみて自分の得た能力がどんなものか大体掴めた。
どうやら人であるイメージを強く持つと、俺は変身出来るらしい。しかも意識を強く保ちさえすれば、完全な人の姿で
いられるのだ。しかし動揺や興奮などで集中が途切れると犬耳や尻尾、牙といった犬の形跡が現われてきてしまう。
さらにのんびり寛いだり眠るなど力を抜くと、いつの間にか犬の姿に戻ってしまうのだ。
完全な人型を保つのは相当神経を使うが、そのうちこの能力を上手く使いこなせるようになるだろう。
思いがけない事だがこれでファイの行く先々に付いて行けるし、この思いも伝えられる・・・はずだったのだが。
一番の目的、肝心のこの胸の気持ちは何故か伝えられずにいる。
人間になれば、何でも出来ると思っていた。
しかし人間だから出来ないことがあるのだということを、俺は初めて知ったのだ。


「わーい、楽しいなー♪まさか、黒わんと一緒に登校出来る日が来るなんてねっ!ほら、お手手つなごーv」
「だ、誰がつなぐか!ガキじゃねぇんだぞ?!」
(何故断る・・!)
愛する人がほっそりとした手のひらを差し伸べてくれているというのに、そっぽを向いてしまうのは何故なんだ。
犬の姿なら、素直に尻尾を振って駆け寄ることが出来たのに。
とりあえずファイを守ることに専念すると心に決めた俺は、一緒に大学とやらへ向かっている。
泉のような蒼眼に澄み切った青空が映り、滑らかな金髪は穏やかな風に揺れるたび光のように煌いてーー
朝日を浴びて嬉しげに跳ねるファイは、いつもより何倍も輝いて見えるというのに。
人間というのは、本当に難しい。
「ヒドーイ、黒わんってば人間になったら何だかつれなーいっ!でもいいもーん、無理矢理つないじゃうもんねーv」
「って、やめろってオイ!!」
強引に手を握られ、その柔らかな感触に心臓が跳ねる。ああ、本当に変だ。今までなら触れ合っても嬉しい気持ちが
溢れるだけで、こんな風に苦しいほど胸が高鳴ることはなかった。見知らぬ感情に戸惑うけれど、つないだ指先の
冷たさが心許なくて振り払うことも出来ない。
(寒ィのか・・?)
春先の風はまだ少し冷たくて、その華奢な身体が凍えているのではと心配になる。両腕で抱き締めてあたためて
やりたいけれど、手を握ることすら躊躇する俺にそんなことが出来るはずもない。
ホラあれが駅だよぉ、と駆け出したファイを追い大股に歩みながら、密かに溜め息を吐いた。
「へえ、そんなペラいモン翳すだけで電車に乗れるのか」
「これはね、定期っていうの!黒わんはここで切符を買うんだよー♪お金入れて、ボタン押してぇ」
テレビなんかで大概の知識は仕入れているが、幼い頃以来の外界は物珍しいことばかりだ。でも愛するファイが
嬉しげに俺を見上げ、あれこれと丁寧に説明してくれる。なかなか素直になれないけれど、出掛ける主人の後姿を
見送って大人しく留守番をしているはずのこの時間、ずっと傍にいられる事がどれだけ幸せか。
「それでね、大学方面行きのホームは向こうで・・て、何よそ見してんのー?眉間にシワ寄ってるよぉ」
「何でもねぇ・・」
が、幸せに浸ってばかりではいけない。俺にはファイを守ると言う一番大事な使命があるのだ。
頬を染め振り向く女、舐め回すような下卑た視線を送る男。予想はしていたものの、やはりこいつを狙う悪い虫の多いこと。
ファイに気付かれぬよう睨み付けてやったので、皆青くなって逃げていったが。
「どうも今日は人が避けて行く気がするけど、ひょっとして皆黒わんを恐がってるのかなぁ。元々怖い顔なんだから、
せめてにこやかにしててね!追っ払っていいのは不審者だけだよー」
「に・・にこやかにってな・・」
俺に言わせてみれば、誰も彼も立派な不審者だ。大切なご主人様をに向けられる下心アリアリの視線が気に食わなくて
仕方がないが、下手に暴れて外出禁止令が出ては元の木阿弥である。これでも精一杯我慢しているのだ。
(ファイと恋人みたいに親しげに歩けば、奴らも諦めるだろうが・・・)
並んで歩くことも憚られる俺は、ファイの一歩裏を歩き周囲を威嚇するしかない。

電車を降りファイと同世代の人間が大勢行き来する大通りを少し歩くと、風格のある造りの大きな建物が見えた。
どうやらあれが、大学というものらしい。
そして、敵が現れたらいつでも対戦できるよう身構えていた俺に、ついに出番がやってきた。
校門に入った途端背後から感じた不審な気配は、間違いなく家にまで押しかけてきたあのストーカー野郎。
こともあろうに後ろから無防備なご主人様に抱き付こうとしやがったので、いち早く裏に庇ってそいつに立ちはだかった。
玄関で出会った時は見上げたが、今回は遥か頭上から見下ろして睨み付けてやる。
「てんめぇ!!ファイに何する気だッ!!!」
「なっ?!み、見掛けない顔だな!何者だ、おまえはファイちゃんの何なんだ?!」
「俺はファイの飼い犬だ!!!!」と自信満々に答えかけ、この姿のままそんな主張をしてはまるでヘンタイのようだと
気付く。願わくばファイの恋人だと答えたい所だが、残念ながらそんな身分でもない。ボディガードが近い気がするが、
この平和な日本にそんなものを連れて歩くのも妙な話だろう。
「・・・・・とっ、友達だ!!」
「ナンだとォ?!ファイちゃん、こんな凶暴な友人を持つなんて危険過ぎる!今すぐ手を切った方がいいよ!!
ったく、ただの友達のくせにおれの大事な日課、ファイちゃんとのおはようの抱擁を妨げないで欲しいな!!」
「に・・・・・・ッッッッ日課だアアアアアアアア?!?!?!?!」
ブチリと額の血管が千切れる音がした。俺がどうしても出来なくて、四六時中悩んでいる行為をこの野郎!!!!
華奢なファイの肢体を、両腕で強く抱き締めるという何度も夢見た夢を毎朝あっさり叶えているという狼藉に
犬歯がうずいた。興奮のあまり完全に牙が生えてしまっている気がするが、そんなこと構っている場合ではない。
しかもその抱擁は背後から忍び寄り何の了承もなく奪っているに違いなく、最高潮に達した怒りにまかせ拳を振り上げる。
「メっ黒わん!!」
が、何より愛しい人の命令に、条件反射的に身体の動きが全停止した。振り向けば、天使のように麗しいご主人様が
両手を腰にあて頬を膨らませている。確かにこんな所で暴力事件を起こしてはまずいだろうが・・・目の前の男の狼藉は
決して許せない。一撃お見舞いしてやりたいが、日頃躾られている獣の習性は人の形になっても消えないものだ。
主人の命令には、決して逆らえない。拳を振り下ろしフルフルと身体を震わせる俺に、男は怯みながらもいやらしく
口端を上げた。
「ふふーん♪分ーかった!おまえ、おれが羨ましいんだろ!でもファイちゃんに抱き付く度胸がないんだな?!」
「な・・・・ッッんなワケ・・!!!!」
この男、無駄に鋭くて本当に腹立たしい。激昂の理由をズバリ言い当てた男は、俺の姿を上から下までジロジロと見て
それから首を傾げた。
「ん?何だか一度、おまえに会ったことがあるような・・?」
「ッるせぇ!!とにかくこれからファイに抱き付きたいなら、俺を倒してからにしやがれ!!!」
今にも飛び掛らんばかりに踏み出して怒鳴ってやると、男は竦みあがり一目散に逃げて行った。
度胸のない奴めと鼻を鳴らしたが・・・・もちろん勝った気などまるでしない。

「黒わんってば、気を付けなきゃダメだよー?怒るとすーぐお耳が出ちゃうんだからー!」
「んな事よりあんにゃろ、いつもおまえにあんな事してやがんのかっ?!」
ぶん殴るのを我慢しただけでも褒めて欲しい。やはり人に姿を変え、大学とやらに付いてきて正解だった。
(絶ッ対許せねぇッッ!!!)
フードをポンと被せられつつ、遠ざかってゆく後ろ姿を睨み付けた。ファイに見繕ってもらった裾の長い黒パーカーは
非常に便利で、こうすればすぐ犬耳を隠せるし尻尾が生えても分かりにくい。ぱっと見気付かれないはずだが、
何事かと様子を窺う見物人が現われだしたので急いで気持ちを落ち着かせる。万が一バレたら、一大事だ。
犬が人に変身したなどどうせ誰も信じやしないだろうから、強面の大の男が好きで犬耳と尻尾付けて歩いていると
誤解されるに違いない。それだけは勘弁願いたい所だ。深く深呼吸していると、お耳消えたよ♪とフードを脱がせた
ファイが背伸びして俺の頭へと手を伸ばした。
「さっき黒わん、ちゃんとパンチ我慢して偉かったね!いいコいいコーvvv」
「お、おいッよせ!」
優しく撫でてくれる手のひらが気恥ずかしくて、大袈裟に避けてしまう。もし尻尾が出たままだったら思い切り振っていた
だろうのに、本当に人間というのは厄介だ。どうしてこういちいち、本音とは逆の行動をしてしまうのだろうか。
「黒わんたら、変なの!いつもみたいに、飛び跳ねて大喜びしなよー」
「するか!この姿で飛び跳ねて喜んでいたら、俺の方が不審者って通報されるだろうがっ」
そこまでしなくとも、嬉しい気持ちくらい素直に言葉で伝えられたらいいのに。これじゃあ、獣の時の方がまだマシ
だったのではなかろうか。念願の人間になれたというのに、本当は出来るはずの事の半分もしてやれない。
せっかく手に入れた大きな手のひらを見詰めて少し肩を落とすと、突然耳に甘やかな吐息が掛かった。
「黒わん、ありがとねvさすがに抱き付かれるのはいつも困ってたから、さっきすごく助かったー」
耳打ちして微笑んだファイに、心臓が痛いほど高鳴る。
よかった、こんな俺でも役に立てはいるようだ。


「すごーいっv背、高ーい!ファイ君のお友達なのぉ?」
「うん、黒わんっていうんだよー♪ちょっと構内案内してあげようと思ってねぇ。ホラ、ご挨拶はー?」
大講堂での授業は多少部外者が紛れ込んでも気付かれないらしく、ファイに連れられ入った途端騒がしい娘らの一団が
駆け寄ってきた。やはり化粧をした人間の女などとより、自分の主人であるという贔屓目を差し引いてもファイの方が
断然綺麗だ。友人らしい娘共は身の程を弁えているのか、ファイを好いてはいるようだが狙っている風でもなかったので
ここは威嚇する必要はなさそうである。
「やだァvこんなカッコいいのに黒わんなんてあだ名・・・あれ、ファイ君のペットも名前、黒わんじゃなかった?」
「そう♪うちのわんことよく似てるから、黒わんって呼んでんだよー」
口を開こうとしない俺の変わりにいい加減なやり取りをするファイの様子を眺めていると、何だか普段の顔と
少し違って見えた。楽しそうに笑っていても、いつものこいつとはどこか違う。相手を窺っているようなーーー
多分誰も気付かないような、ほんの僅かな違いなのだが。
ファイは、昔から感情を素直に出すのが苦手だったと言っていた。こうして気を張っていては、いつもくったりと
疲れて帰ってくるのも当たり前だ。
俺が相手なら、素直になれると言っていた。俺がこうしていつも傍にいて、少しずつでも外で素直な気持ちが
出せるようになればいいのだが。
(・・・何だ?)
そんなことを考えていたら、いつの間にか集団から抜け出した一人の娘が俺に向け小さく手招きしている。
まさか正体がバレたのかと怪訝に思って歩み寄ると、頬染めた娘は微笑みながら内緒話のように囁いた。
「うふふ、ファイ君のあんな嬉しそうな顔、初めて見たの・・ねぇひょっとして、黒わんさんってファイ君の恋人?」
「ハァッ?!」
全く想定していなかったことを言われ、つい妙な叫び声を上げてしまった。俺とファイが、恋人同士に見えるとでも
言うのか?!否定しようとしたが、頬が熱くなり喉が詰まる。
(俺らのこと恋人だと思ったってことは・・抱き締めたり、キスしたり・・・それ以上のコトをしてるとでも・・・)
抱き締めた腕の中、蒼い瞳を潤ませ唇を細かに震わせるご主人様。いけない映像が脳裏を過ぎって慌てて首を振ると、
突然後ろから乱暴にフードを被せられた。
「さー♪黒わん!そろそろ席に着こうかー?」
しまった、動揺のあまり耳が出ていたようだ。にっこり微笑むファイに強く手を引かれ、講堂の隅へと連れて行かれる。
笑顔が幾分引き攣って見えたがーーーーーまさか、さっきの会話を聞かれていやしないか。
講堂の一番隅っこに陣取ったファイは、さざめきながら座る娘らをちらりと見遣ってからこちらを半眼でぬめつけた。
「どうしたの?お耳が出るくらい動揺するなんて、さっき女の子に何言われてたのー?」
ギクリ、と思わず身を固める。やはり、話の内容のせいで引き攣っていたようだ。
『・・ねぇひょっとして、黒わんさんってファイ君の恋人なの?』
娘のセリフが頭にリピートして、同時に目の前の愛しい人のあられもない姿が蘇る。
俺に質問する濡れたようなピンクの唇が妄想とダブってみえて、また頬に熱が上ってしまった。
「ほっぺちょっと赤いよ、デレデレしちゃってー。付き合って、とか言われたんでしょ?黒わんのコト、カッコいいって
皆言ってたもんねー」
「?!んなわけ・・ッ!!」
どうやらファイは、勘違いしているらしい。本当に言われたことを告げようかと思ったが、恋人と疑われたなんて・・・・
何だか自分の想いを遠回しに主張しているようではないか。言い淀むと、ファイは頬杖を付いて口を尖らせた。
「もお、メスわんこにだけ気を付けてればいいと思ってたのにさー。黒わんって、人間の女の子でもイケるわけぇ?」
「は・・?」
そんなワケない、そもそも人も犬も関係ない。俺が愛してるのは、この世でファイ唯一人だ。いやそれより、
『気を付けてればいいと思ってた』って・・・。すると白く細い指が、俺の片頬をぎゅーっと強く引っ張った。
「黒わんはオレだけのわんこじゃなきゃ、ヤだからねー!」
「・・・・っ」
まさか、拗ねているのだろうか。ヤキモチを焼いたようにプイと横を向いたファイに、また胸が高鳴る。
(か・・可愛い・・)
期待してしまうが、あくまで飼い犬に対する飼い主の独占欲だろうと思い直す・・・・・
けれどやはり、少し期待してしまう。


コーフンするとお耳が出ちゃう黒わんこでした!多分、しょんぼりすると無意識に耳が垂れてんだと思うvv
直線上に配置
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