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わんこ物語6

「今日はねぇ、黒わんが一緒ですっごく楽しかったよー♪明日は休講だし、一緒に遊びに行こうねv
ねぇ、ドコ行きたいー?」
駅を出るとすっかり日は傾いており、オレンジ色の外気が街並みを包み込んでいた。ファイが鼻歌交じりに
ターンするたび、すらりとした手脚から綺麗に伸びる影も踊る。靡く金髪は夕日をキラキラと弾き、真っ白な肌も
茜色に染まってーー夕暮れに映し出される輪郭は、まるでファイ自らが輝きを放っているかのように美しい。
大学へ供をして、その帰り道。
今日は色々なことがあって大変だったけれど、愛するご主人様がいつも通る道、いつも座る椅子、いつも見ている風景。
その傍らにいられることが、どれだけ幸せだったろう。そして、ファイも嬉しそうにしていてくれたこと、それが何よりも
一番幸せなことだった。
「・・別に、どこでもいい」
「まーた黒わんったら、気のない返事してー!じゃ明日はねぇ、お買い物行こっ♪黒たんにお洋服買ってあげたいなーv
黒ばっかじゃつまんないもんね!」
気のない返事ではなく、おまえと一緒ならば寒風吹きすさぶ北極圏だろうが灼熱地獄の砂漠だろうが何処へだって
喜んでお供する、という意味なのだが。何でも話せるようになったはずなのに、何故か言葉足らずなこの口は
何とかならないものだろうか。
少し俯く俺に跳ねるように駆け寄り、覗き込んでくれる優しいファイ。その瞳は泉のように蒼く透き通り、長い睫毛が
瞬くたび水面に光が舞い落ちるようだ。あまりに綺麗で・・何故か視線を逸らしてしまう。
「俺ぁ、黒が一番落ち着いていいんだ。服なんか替えもあるし、もう要らねぇだろ」
「えー?もっと明るい色の服も買おうよぉ!ピンクとかーレインボーとかーvv」
「・・あのな」
陽気な服を纏う姿を想像しげんなりすると、お耳が垂れた!カワイイ!などとファイは高らかに手を叩く。
我が家に近付くにつれ人影も途絶えたので、今は犬耳も尻尾も出しっぱなしにしているのだ。完全な人型を保つのは
結構疲れるのだが、こうして半獣型でいれば身体も楽だ。楽な代わりに、尻尾が揺れてるだのモフモフだのとファイが
やたらちょっかい掛けてくるのが気になるけども。
(全く・・・・)
呑気なご主人様を横目で見遣りつつ、本日何度目かの小さな溜め息を零す。人になれば簡単に夢が叶うはずだったのに、
こんな問題に悩まされるとは思ってもみなかった。
大好きなファイに、素直にじゃれ付けなくなってしまったその理由。
「黒わん、眉間にシワ寄ってるー。どしたの?」
「・・別に何でも、・・・・ッ?!」
振り返りながらフイと車道を横切ろうとしたファイの、細い腕をとっさに掴んで乱暴に引き寄せた。

簡単に倒れ込む身体を受け止めると同時に、トラックが音を立ててすぐ横を通り過ぎて行く。
「おッ・・まえな!轢かれるぞ、危ねぇだろがッ!!」
「ぁ・・なぁんだ、ビックリしたぁ〜・・」
心臓が一瞬、確実に止まったではないか。ファイが轢かれて擦り傷でも負うくらいなら、自分が轢かれて全身骨折でも
した方が百倍マシだ。自分の身がどれだけ大切なものか、しっかり自覚して欲しいものだ。
余程驚いたらしく、長い睫毛をパチパチと瞬かせる様は堪らなく可愛らしいのだけれども。
「なぁんだとは何だ?!渡る時きゃ、ちゃんと見てからー」
「なぁんだは車じゃなくて、黒たんにだよぉ。だっていきなり抱き締めてくるんだもん、ビックリしちゃったー!」
「ッッ?!」
腕の中の、小動物を思わせるような華奢な輪郭。
気付けば引き寄せた弾みでご主人様は胸の中に収まってしまっており、しかも両腕でがっちり抱え込んでいたのだ。
自分よりニ周りも小さな身体は儚くすら感じ、もう少し力を入れれば簡単に壊れてしまいそうだ。
信じられないほど細いのに、柔らかくしなやかな肢体に心臓が大きく脈打つ。
「黒わん、痛いよぉ・・」
「わ?!悪ィっ」
驚きに腕が強張り、つい力が篭ってしまった。慌てて離した身体に繊細な感触が残って、動悸は加速するばかりだ。
(だ!抱き締めちまった・・ッ!!)

大好きなファイに、素直にじゃれ付けなくなってしまったその理由。
きっとそれは、本当の恋を知ったからだ。身体に残る感触に、否応なしに自覚する。
胸の痛みに眩暈がして、叫ぶような感情に呼吸さえ出来なくなる感覚。獣の俺はまだ知らなかった、激しく狂おしいもの。
守りたい、だけじゃない。気持ちを伝えたい、だけじゃ足りない。
(ファイが、欲しい)
はっきり言ってしまえば、これは性的な欲求だ。
乾いた身体が水を渇望するように急き立てられて、抱き締めるだけじゃ足りなくなる。
『黒わん、痛いよぉ・・』
ファイのか細い呟きが蘇って、未知の感情に目の前が揺らいだ。
もっと欲しい。例え愛しいファイが苦痛を訴えても、もっと。
ご主人様を守るのは、一番の使命で、喜びで、誇りでもあるはずなのに。
俺の中に目覚めた、マグマのような感情。
しかし一方で、それを強く戒める声も聞こえるのだ。
人の姿になったところで、所詮飼い犬ではないか。気持ちを伝え抱き締めたところで困らせるだけだろうし、それどころか
嫌われるかもしれないという不安が頭を擡げる。
ましてや欲望のままに掻き抱いて貪るような、そんな愚行をしたならファイをどれほど絶望させるか。
色んな思いにがんじがらめになって、結局手を握ることすら躊躇してしまうのだ。
(こういう事か・・・)
いつも、腹枕で横たわり悩みを打ち明けてくれるファイを宥めながら、何故そんな難しく考えるのかと疑問に思っていた。
ただ、自分の心に正直に生きればいいのにと。
人間になって、やっと理解出来た。人間というのは、複雑な感情を内包した生き物なんだ。
自分は人に近い頭脳を持った獣だと自負していたけれど、以前は人と全く違ったのだと思い知った。
「黒わん、助けくれてありがとーvこれからはいつでもどこでも、守ってくれるから安心だねっ♪」
そんな葛藤など露も知らないファイの、無邪気な信頼が後ろめたい。
(俺は一体、どうしたらいいんだ・・・・・)


「黒わんたら、また眉間にシワー!ね、さっきからどしたの?」
「だから、何でもねぇって・・」
色々あったせいか妙に久々な気のする我が家に帰り着き、リビングでのいつもの寛ぎの時間。一番の至福であるはずの
ひと時だが、腕を組んで考え込んでしまう。本来なら腹枕でファイを寝かせてやるところだが、それではせっかく人になった
意味がない。しかしこのまま寄り添ったら、また不埒な欲求に苛まれて何をするか分からない。
「ほら、人になったっていつもみたいに甘えていいんだよー。早く、こっち来て座ってv」
ファイの言葉に逆らう訳にはいかず、かといって尻尾を振って飛び付き甘える訳にもいかず。
当たり前のように腹枕の定位置に座ったファイはご機嫌で両腕を広げたけども、俺は微妙に距離を置いて胡坐をかいた。
そんな自分がもどかしい。何も伝えられないなら以前と何も変わらない・・いや、それ以下だ。獣の姿なら、素直に
尻尾を振って喜びを表現出来たのだから。
「よっと♪」
「!!!!!」
何も知らないファイは、葛藤の結果である微妙な距離をあっさりと詰めて胡坐の上にちょこんと腰を下ろした。
俺の胸にぴたりと付けられた細い背中、毛皮に覆われていない分直接感じる少し低めの体温。ファイ特有のちょっと甘く
柔らかな匂いと、微かな吐息。急激に心拍数が上がって、指先まで痺れてゆく。
「あったかくて、心臓の音がする。落ち着くなー・・」
俺は全く落ち着けないのだが。
全身全霊で動揺を抑えようと努力する俺に、子供のようなおねだりが追い討ちをかける。
「黒わん、ぎゅってしてー・・」
「・・・っ」
ハプニングのように抱き締めてしまった、さっきの感触が蘇る。
儚いほど華奢なのに、柔らかくしなやかな肢体。
抱き締めたいのは、俺の方だ。しかしきっと抱き締めたら、もっと欲しくなってしまうから。
(ええい!!!堪えろ、俺・・っっ!!)
ファイたっての希望だ、拒むわけにはいかない。
荒くなる呼吸を必死で殺し、震える腕をゆっくりと前に回す。全神経を集中し大事に丁寧に、その繊細な身体を抱き締めた。
愛しい人の輪郭を自分の中に感じ、これ以上ない喜びに包まれる。
ファイは白い頬を胸に擦り寄せ、完全に力を抜いて身体を預けてくれた。
「ねぇ・・舐めてよぉ・・」
まるで男女の密事のような甘い囁きにぎょっとして落とした視線は、蒼く潤んだ瞳と絡み合う。
(まま・・ッまさか・・誘ってんのか・・・・?!)
いや、俺がいつも頬を舐めてるからだ。獣相手と同じ感覚でただぬくもりを求めているだけなのだから、
欲情などしてはいけない。そう思いながらも、芳しく香る肌に引き寄せられるようにして頬に軽く口付けた。
「ぁん、くすぐったぁい・・」
少し掠れた声に、わなわなと身体が震える。
このまま組み伏せて、吸い付くような柔肌を舐めまわしたい。
自分だけのものにしたいという欲望が、溶岩のように噴き出してゆく。
もちろんファイには声無き叫びなど聞こえず、とろとろと心地よさそうに眠りにつこうとしている。
(・・・・・・このまま襲ってやろうか・・・・・・)
が、限界に達するギリギリのところで、耐え忍んだ。
俺だけに全幅の信頼を寄せてくれるファイを決して裏切れないし、俺はファイのものであるがファイは俺のものでは
ないのだから。
ああ、でも。好きだ、愛している。ファイが欲しくて堪らない。
欲望の衝動とそれを禁じる葛藤が、苦しくて辛くてどうかなりそうだ。

「・・・・・・こうしてひっ付いてるとあったかくて、悩みも消えていくでしょー・・」
眠ったと思いきやまだ起きていたファイが、瞳を閉じたまま囁いた。俺の腕に細い指を絡めてくれる、優しい感触。
「ファイ・・?」
「いつも、助けてもらってばかりだから。黒わんが何か悩んでるなら、今度はオレが助けてあげたいの・・」
こうして寄り添っているのは、今日は俺の為なのだ。しかしその優しさに気持ちが募って、悩みは深くなるばかり。
(犬でいたほうが・・楽だ・・)
頭を空にして力を抜くと、視界に映っていた人の手が蜃気楼のように揺れた。輪郭を溶かし漆黒の毛並みへと変わると、
身体の感覚も元に戻る。腕の中にいたファイは、いつも通り腹を枕にしていつの間にか寝息を立てていた。
今胸に抱くのは、もっと素直で無邪気な恋心。獣に戻れば、人の感情は消えて無くなるのだから。
そう、思っていた。
知ってしまった欲望が、獣の脳をも徐々に支配してゆくとは、その時は思ってもいなかったのだ。




やっと次回から本題に入れるんじゃないでしょうか・・?!(というか本題が何だったかすら忘れつつある)
長かったアアア・・・・!!!!
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