金持ち黒鋼物語・再来編5
密閉された空間はもはやいつもの寝室ではなく、まるで見知らぬ異次元に吸い込まれてしまったかのよう。
夢か現実か、自分が何者なのかすらも忘れてゆく。常識とか善悪とか大事なものが溶けてゆき、
心を蝕んでゆくのは淫らにゆらめく欲望だけ。
筋張った手のひらが壊れ物を扱うように優しく首筋を撫でて、垂れ掛かかる金の髪がサラリと流れ落ちた。
「これ、小僧が付けた痕か」
「ああ・・今朝、電話してきやがった時にな」
「・・ん・・っ」
じわりと辿られたそこは、今朝社屋最上階で淫らに吸い付かれた箇所。柔らかな襟に隠された鬱血の跡に
瞳を眇めた義父は、恐ろしい獣のように口角を上げた。
「穢れひとつ知らねぇみたいな真っ白い肌に・・いやらしいな。朝っぱらから襲いたくなるのも無理もねぇ」
「だろ?綺麗過ぎて、メチャクチャにしてやりたくなるんだよ。俺じゃなくて、やらしいのはこいつの方だ」
重なる低い囁きに眩暈がして、その反響は麻薬のように脳内を侵食してゆく。
腕を背後に戒められたまま、牙を剥く獣の熱い吐息が首筋へと迫って、このまま噛み裂かれてしまいたくなってしまう。
(ダメ・・こんなコト、しちゃ・・・ッ)
今にも途切れそうなか細い理性が、遠くからオレを引き止める。
分かっているのに、これは誰しも忌み嫌うだろう禁断の行為。なのに瞳の紅に抗えないのは、オレの心が弱い所為。
甘い天国の扉を開ければ、地獄の闇へと底なしに堕ちてゆくだけなのに。
(誰か、たすけて・・!!おねがい、オレの目を覚まさせてーーーーー!!)
ピピピピ ピピピピ・・
突然、取り巻く異空間を切り裂くような甲高い着信音が鳴り響いた。
義父の胸ポケットから溢れ出すのは、現実世界。
こんな夜分、全世界に名を轟かす諏倭財閥会長に直接電話を掛けられる者といえば、きっとこの世でただ一人。
そして、恐れるものなど何もない無敵の彼を蒼褪めさせることが出来るのも、きっとこの世でただ一人だろう。
一瞬動きを静止させた義父は、それはそれは緊張した手付きで携帯を耳に当てた。
「・・・・・奥。どうした、こんな時間に」
『貴方、少し羽目を外し過ぎですわね』
受話器の向こうの静かな言葉が、やけに大きく室内に響き渡る。振り仰げば、お袋と声に出さず呟いた黒鋼の顔も見事に
引き攣っている。
「な、何言って・・オイ?まさかとは思うがおまえ、日本に来てるなんて事」
『貴方達の後ろ』
その瞬間の父子の顔は、威厳溢れ世界的権力を誇る者の顔では完全になかった。
例えて言えば、この世で一番恐ろしいものに捧げられ恐怖する憐れな生贄のような。
歯茎を震わせながら振り向いた、そこには。
ーーーーーーーーー誰もいなかった。
『うふふ。なーんて嘘よvやだわ、簡単に騙されないで頂戴』
男二人は糸でも切れたかのようにベットから崩れ落ち、派手な音を立ててフロアに倒れ伏した。屍のように伸びているのは
落ちた弾みで頭を強かに打ったからではなく、極度の緊張と脱力による大ダメージの所為に間違いない。
死屍累々の寝室で、ベットの上に残ったのはオレ一人。
(助かったあああ・・・!!!)
「おっ、おかあさまぁぁーーっっっ!!!」
『可哀想に・・恐かったでしょう?ファイちゃん』
義父が取り落とした携帯を掴み思わず泣き叫ぶと、あたたかい声にほわりと包まれた。柔らかく抱き締められるような
心持ちに、心底安心して次から次から涙が伝い落ちる。ああ、本当に危ない所だった。
くらくらして、変な気持ちになって・・お義母様が来て下さらなかったら、明日の朝オレはどれほど後悔していたか。
「お義母様ごめんなさい、オレ・・オレ・・っ」
『ほらほら、もう泣かないの。大丈夫よ、悪い男共は私がやっつけてあげましたからね』
落ちたまま動かない父子を見遣れば正しく息も絶え絶えの状態で、ショック死したのではなかろうかと心配になってくる。
覗き込んでみると瀕死の義父が遺言でも伝えたいかのように腕を震わせたので、そっと携帯を返してあげた。
「お、奥・・俺は・・」
『羽を伸ばして来たらとは言ったけれど、羽目を外して来たらとは言っていませんわ。
全くいい大人が二人して、可愛いファイちゃんを困らせちゃ駄目よ』
「待ておまえ、こっちの事どこまで分かっ・・」
『ふふ、貴方のお帰りが楽しみだわ』
明日は気を付けて帰っていらしてね、という穏やかな言葉と共に電話は切れてしまった。その穏やかさが、すこぶる
不穏なのだが。
帰宅後の義父の行く末が気になるもののともかく胸を撫で下ろすと、半死半生の黒鋼がよろめきながら上身を起こした。
「何故・・というかお袋は、どこまで分かってんだ・・・」
「そこが分からないのが、あいつの一番空恐ろしいところなんだ・・」
全部カマを掛けただけなのかもしれず、本当にどこかから見ていたような気もする。
やはり彼女だけには敵わないと、よく似た父子は揃って深い溜め息を付いた。
いつも優しい微笑みを浮かべ、旦那を立て献身的に仕えている義母。
しかしその実、世界を牛耳る彼を手のひらの上で転がしているような気がしてーーーさすがこの義父が選んだ女性、と
納得せざるを得ない。
「親父・・全身総毛立ったまま治らないんだが・・」
「それ位まだいい・・俺なんか瞳孔が開いたまま治らねぇ・・」
あまりの恐怖体験に衝撃冷めやらぬ父子は、義母のキツイ一発がこれ以上なく効いているらしい。項垂れた二人は
頷き合い、そしてフロアに座り直してオレに向け勢いよく頭を下げた。
「ファイちゃん、本ッ当にすまんかった!あんまり可愛いからってやりすぎちまったなー・・泣かされたら助けるって
約束したのに、俺が率先して泣かせちまって・・・」
「いや、一番悪いのは俺だ!俺がクソ親父を止めるべきだったのに、まんまと乗せられて・・・」
「そんな、二人とも謝らないで!オレが悪かったんだ、オレの心が弱いせいでこんなコトに・・」
甚く反省し心を入れ替えたらしい二人を前にオレも深く反省し、今夜はあのようないかがわしい交流ではなく健全に
語り明かして交流を深めようではないか、ということで話はまとまった。
とっておきの洋酒をセラーから持ち出し乾杯しつつ、改めて心の底から安堵する。たった一本の電話でいとも容易く
あの異空間を破ってくれた義母に、心より感謝する他ない。
「本当に、お義母様って凄い方ですね・・」
「おう、きっと10年20年もしないうちに、ファイちゃんも奥みてぇになるぞ」
グラスを傾けつつ平然と言い放った義父に、思わず口に含んだ液体を噴き出しそうになってしまった。同じように咽た
黒鋼と二人、顔を見合わせる。
「何ィ?!ファイ、こんなに可愛いらしいおまえが・・っ、あんな最強になっちまうのかよ?!」
「ええ?!ムリムリ、なれるワケないよ、お義母様みたいになんてー・・!」
お義父様だけでなく、優しく強いお義母様にも、オレは憧れてる。あんな風になれたら色んな面でもっと黒鋼を
助けてゆけるだろうけれど、あの境地まで行くのはいくら何でも無理だと思う。しかし義父は、俺には分かるんだよと笑った。
「今朝言ったろ?厳しい環境で荒れてた頃の息子を、変えてくれたのはファイちゃんだ。それって、本当に凄いことなんだぞ。
それが、証拠だよ。その強さと優しさが、奥とよく似ている」
「お義父様・・」
「ああ・・そうだな、確かに言われてみれば、ファイは少しお袋と似たところがあるかもしれねぇ」
義父と黒鋼の言葉に、優しくそして悠々と微笑む未来の自分の姿を思い描いてみた。
今はまだ黒鋼に振り回されっぱなしのオレだけど、こうして月日を重ねてゆくうちにいつかお義母様のように
なれるのだろうか。
きっと黒鋼はお義父様に負けないくらいもっともっと大きくなるから、そんな彼を全てを受けとめられるような存在に。
思い描く姿は、次第に夢の世界へと繋がってゆく。
「この可愛いファイが、いつかお袋みたいに肝が据わっちまうのか・・そう思うと、末恐ろしいような・・」
「安心しろ小僧!怒ると恐かろうが、奥は俺にとっちゃ可愛い妻だぞ。世界で一番愛しい女だ」
ソファでうとうとしだしたオレを、黒鋼がひょいと抱え上げてベットに横たえてくれた。夢見心地の枕元で、父子の
楽しげな会話がゆらゆらと聞こえる。
妻を愛してる、そんな事を堂々と息子に言えてしまう義父と言ってもらえる義母は、本当に素晴らしい夫婦だとーーー
そんなことを思いながら、オレはいつの間にか眠りに落ちていた。
翌日は、朝から抜けるような青空。
お屋敷最上階のヘリポートから見上げる空はどこまでも透き通り、風もないので絶好のヘリコプター日和なのではなかろうか。
あっという間の二日間だったけれど、お別れが寂しくてしょうがなかった前回の訪問と違い今回はさすがにやれやれといった
感じ。ちょっと密度が濃すぎた一泊二日を思い返していると、昨日と同じく爆風と爆音を引き連れて巨大なヘリがお迎えに
やって来た。ポートに着地した所を見ると、今度は怪盗よろしく縄梯子で去って行くのではなく普通に乗り込むつもりらしい。
「ファイちゃん、俺によく似たこの不肖の息子をこれからもよろしくな!あぁ名残惜しいなぁ、ファイちゃんとの別れが
悲しくて涙が出てくるぜ。息子よ!あんまりファイちゃんに、いやらしいコトばっかりしてんじゃねぇぞ!!」
「てめぇじゃねぇんだから、んなコトばっかしてねぇよ!!」
「えー?そうかなー・・・」
お義父様がまだ傍にいるから、ちょっと強気で旦那様をからかってみる。んなこたねぇっつに、なんて少し頬染めて
怒鳴る彼を義父と一緒に笑っていると、やっぱりお別れが名残惜しくなってきた。
色々と大騒ぎだったけれど、やっぱり義父は愛する黒鋼の父親で、とても素敵な人だったから。
「クソ親父、もういいからさっさと帰れ!!」
「お義父様、またいつでも遊びに来て下さいねー。お忙しいのに来て下さって、ありがとうございました!」
悪態を吐く黒鋼の隣で、ペコリと頭を下げてーーーーー顔を上げた途端、思わず目を見開く。
いつの間にか息が掛かるほど近くに義父の顔があって、瞬きしたほんの一瞬掠めるようにあたたかいものが触れた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」
黒鋼の絶叫が木霊した時には、義父は颯爽とヘリに飛び乗っていた。
「ファイに何しやがるこのクソ親父ッ、反省はどこ行った!!!!もう二度と来んなアアアアア!!!」
「昨夜のファイが可愛すぎてな〜。まあこんくらい、奥も許してくれるだろ。ファイちゃんだって、お別れのちゅーくらい
許してくれるよなー?」
不意打ちに驚いて口をパクパクさせるオレに悪戯っぽく笑って見せて、運転手に向け出発の合図をする。
再び、ゆっくりと回転を始める巨大なプロペラ。
「小僧が昨日の俺みたいに暴走したら、止めてやれるのはファイちゃんしかいないから宜しく頼むぞ!
俺に奥が必要なように、小僧にもファイが必要だってことだ。じゃあまたな、今度は夫婦で来るからなー!!」
拳を握り締めた黒鋼がヘリに向かう前にドアは閉められ、勢いよく回るプロペラからは爆音が響き渡る。諦めて手を振ると、
窓越しに楽しげに手を振る姿が見えた。
風と共に、ヘリは青空の向こうへと溶けて行く。
うーん、やっぱり油断ならないお義父様。
そして隣の旦那様は、その血を色濃く受け継いでいる。
小さくなった機体を見送りつつ、オレは決意を固めた。
彼がもし悪さをしようとしたなら阻止できるよう、オレも一刻も早くお義母様のように強くならねば。
「言っとくが・・・・俺はおまえ一筋だから、そういう心配はいんねぇぞ」
「え・・っ?!ぁ、う、ぅん・・」
オレの思考を読んだらしく、横目でじろりとこちらを見遣る黒鋼。
うう、やっぱりまだまだお義母様への道はまだ遠い。“おまえ一筋だから”なんて嬉しい一言に、どうしようもないほど
頬が熱くなってしまって。
「えと・・楽しかったけど、何だか物凄い嵐が来たみたいだったねー」
「親父はむちゃくちゃやるからなぁ。本当、お袋はよくやってると思うよ・・」
赤い頬が恥ずかしくて取り繕うと、彼は小さくぼやいて空を見上げた。
すっかり静けさが戻った朝の空気は、さっきよりもひんやりと気持ちよく感じる。
「まあ、最後はまともな事言ってたけどな。
あんまり俺が無茶しすぎるようなら、おまえが止めてくれよ。俺は、おまえの言うことなら聞けるから。
親父にお袋が必要なように、俺にもおまえが必要なんだよ」
ただでさえ頬が熱いのに、そんなことを言われて耳まで真っ赤になってしまった。
自分に嘘をつかない、己に真っ直ぐな人。オレは黒鋼の、そういう姿勢に強く惹かれる。
黒鋼のような己をしっかり持った凄い人が、オレを選んでくれたという事実。
彼の言葉が嬉しくて、心から、もっと強くなりたいと思った。
「えと・・あのね、オレも・・黒様が」
「愛してるよ」
先回りして言われた言葉に心臓が飛び出そうになって、見上げれば彼は悪戯っぽく笑っていた。
それはヘリの窓越しで笑った義父とそっくりで、ああもう、やっぱりよく似た親子。
義父がいないとこの人をからかって遊ぶなんて無理難題にも程があって、本当にオレは彼より一枚上手になんて
なれるんだろうかと心配になるけれど。
でも。
思い切って黒鋼のネクタイをクイと引っ張って、少し驚いた彼にキスをした。
「だったらお義父様なんかに、オレの唇奪わせちゃダメでしょー?」
「・・言うようになったじゃねぇか」
にやりと口端を上げた彼に抱き締められ、深く深く口付けられる。
ああ、この感触。
誰よりも大好きな、世界一愛してるこの人の。
きっとお義父様達にもこんな時代があって、こんな風に日々を積み重ねて。
そして、今があるのだろう。
一歩一歩近付いて、いつか大きな貴方に追い付けたら。
見上げれば、朝日の輝く青空は何処までも広がっている。
「よし、じゃあ今日も行くとするか」
「はーいvお供しますっ」
階段へ続く扉へと手を引かれて、幸せな気持ちが胸に溢れた。
きっと貴方となら、貴方のご両親に負けないくらい、素敵な素敵な夫婦になれるから。
おしまいvvv
ここまでお付き合いありがとうございましたー♪♪
あそこまでいってヤらんのかい!!っていうね・・!!!いや銀月は浮気はいけんよ派なので、さすがにそこまでは・・!
とか言って軽くキスしてたけどな!!チョイと胸触っちまったけどな!!
イケナイことしちゃいそうなドキドキ感と、恐怖のお義母様を書けたので満足ですvvvうふふvvvvv
とか言って、あのままいったらどうなったかナーと思いっきり妄想したけどな!!(笑)
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