氷の足枷@
つれてって
お願い誰か
オレをここから
連れて行って
「妙な術を使いやがって・・少し手こずったが、これで仕舞いだ」
深く突き刺した剣を、引き抜いた。
むせ返る血の匂い、死体の山。
破壊され、燃え上がる街並み。熱気が迫る。
ーほんの数時間前まで、ここは、美しく穏やかな街だった。
「姫様の言う通り、財宝を溜め込んだ家ばかりだったぜ。お頭、見て下さい!この宝の山」
集めさせた財宝は文字通り山となり、一目で質の良さも知れた。
名の知れた賞金稼ぎだった黒鋼は、窮地に陥った所を“姫”に助けられた。
5年程前の話になる。
それ以来、姫の所有する盗賊団の頭を任されている。
金のある街を襲っては、皆殺しにし、火をつけ、金目のものを根こそぎ掻っ攫う。
もちろん姫はそのようなことには直接手を下さず、天空の城郭で、標的となる地を指示し、
俺達をその地へ転送する。
姫は、多大な力を有した術士である。
姫の指し示す場所には必ず膨大な収穫があり、どこからともなく突如現れる盗賊団に、
人々は抵抗する術はなかった。
美しい城郭に住まい、地上になど降りない姫。
しかし、今回の“狩り”に、姫は同行している。
このようなことは、黒鋼が頭になってから初めてのことだ。
つまり、自分が姫に救われた時、以来のこと。
同行する理由を問うと、
「美しいものが、見られますもの」
姫はそう言って、優雅に微笑んだ。
よく分からなかったのだが、姫の言葉の意味が分からないのは今に始まったことではない。
「お頭、どうも街の様子がおかしいんです。燃えてるのに・・焼けてねぇようで・・」
「何だと?」
部下の妙な報告に思考を遮られた黒鋼は、馬鹿な事を言うな、と燃え上がる街並みを見渡した。
確かに、もうとっくに焼け落ちてもいい頃合の筈なのに、建物は破壊したその時の形を
留めたままのように見える。
いや・・確かに、そうだ。燃えているのに、焼けていない。
炎に覆われているのにも関わらず、全く焼けない建物。
まるで何かに包まれ、その上から炎に覆われているような。
「・・どういうことだ・・?」
「そういうことですわ」
流麗な鳳凰の細工の施された神輿車の御簾の奥から、姫の楽しそうな声が聞こえた。
「ふふ、気付きませんの?まだ大きな魔力が、この街全体を守っていますわ。
火、水、風、土、そういった自然の牙は、この街には何の効果もありません」
「まさか・・この街の民は皆殺しにし、魔法具の類も全て奪った筈だ。
一体どこにそんな力が残っていると・・」
ぱん、
と御簾の奥から手を叩く音が響いた。
「な・・?!」
周りの賊団がどよめく。
前方の一角に、陽炎のようなものが揺らめいた。それは次第に色を濃くし、じき
目も眩むような尖塔が姿を現した。
「結界で、消されていたのです。今、解きましたわ。
あの最上階に、大きな魔力が宿っています。この世に二つとない、大いなる力・・。
さあ、黒鋼?それが人なら殺し、モノならお奪いなさいませ」
果てしなく高い、重厚な塔。
石造りのその塔は苔むしており、近づくと、それは気の遠くなるほどの年月を感じた。
古びた重い扉に手を掛け両手に力を込めると、錆びた蝶番が大きな音を立てる。
足を踏み入れると、埃の被った螺旋階段が上へと続いていた。
キイイイイイイ・・・・
耳鳴りのような音がする。
僅かだが、体を押し返されるような圧迫感も感じた。
それらは、階段を登る度に徐々に大きくなっていった。
最上階に宿る、強大な力の影響だろう。
あの姫が、地上に降りたのだ。
そこにあるのは、2つとない大いなる力を持つもの。
この街全体を、どんな自然物からも守るという・・そんな多大な力を持っているもの。
自然と、階段を上る脚に力がこもった。
耳鳴りのようなその音が、鼓膜が痛む程の大きさになった頃、最上階に辿り着いた。
圧力も大きくなり、足を踏み出すのもかなりの力が要る。
そこにあったのは、錆付いた錠で何重にも施錠されている、朽ちかけの扉。
何十年、何百年も放置されているようだ。
宿る力は、この中に。
今でさえ、この威圧感だ。この扉を開け中に入れば、一体どれ程の力に晒されるのか。
・・何が、あるのだろうか。
一呼吸し、気持ちを落ち着ける。
そして、腰の剣を引き抜き一思いに叩き斬ると、脆くなっていた扉はやはり簡単に砕け散った。
その瞬間。
耳を覆わずにはいられないほどの、凄まじい音。
内臓が潰されるような圧力が、室内から迸った。
思わず後ずさりそうになり、何とか踏み止まった。
一応警戒したが、やはり内部に生き物の気配はしない。構えていた、剣を下ろした。
こんな力を発するもの・・慎重に、扉に続く小部屋の内部を窺う。
天井が、見上げるほどに高い。窓は天井近くの天窓一つのみで、薄暗い。
床は埃が何重にも覆っており、黴臭かった。
一見、室内はがらんとしているように見えた。
しかし、この音、圧力・・大いなる力を宿した何かが、そこにあるはずだ。
その強い圧力に逆らい、小部屋に足を踏み入れた。
目を凝らすと、部屋の真中に、何かの影が見えた。
「・・人間・・?」
両手を天井から下がる鎖に繋がれた、人影。両手を掲げ、立膝をついた体勢のー。
何百年も開けられていない扉の、天空高くの小部屋に。
凄まじい力は、その人間から・・・いや、この状況では、もう人ではないだろう。
とうの昔に死んで、ミイラにでもなっているモノ。
これが、この街を守っているー守らされているモノだ。
・・・哀れなものだ。
昔、相当の魔力を持つ者だったのかもしれない。死してなお、その力が失われることのないほどのー。
弔われることもなく、独りこんな所に閉じ込められ、繋がれたままで。
この宿る力が街の守護膜に変わるよう、何らかの仕掛けが施されているのだろう。
この者が道具として囚われたのか、罪人としての罰なのか・・事情は分からないけれど、
きっと、こんな仕打ちをした、この街を憎んでいるだろうに。
こんなところで、永遠に、この街を守らされているのだ。
圧力に体を慣らしながら、一歩づつ、人影に近づく。
「・・?」
灰色の埃だらけの部屋の中、天窓からの幽かな光に、その人影は浮かび上がって見えた。
僅かな光に反射するほど、その人影は色鮮やかに見えた。
見えた、のではない。本当だ。
不自然に真っ白な着衣、月の光を集めたような・・厳かに輝く髪。
全く埃に覆われていないその人影の、錆びた手錠を見ると、
その手は真っ白で、・・生きているような、瑞々しさを持っていた。
「・・生きて、いるのか・・?」
そんなはずはない。周りの埃には、自分の足跡しか付いていない。
あの、一つしかないドアは、明らかに何百年も放置されていた。
窓も、あの小さな天窓しかないのだ。
この部屋では、何百年も、何も動いていない。
何百年も、こんな所で、繋がれたまま・・・
生きているはずがないのだ。
俯いていて、顔が見えない。
近づいてもピクリとも動かず、息遣いは聞こえてこない。
・・・やはり、死んでいるのだ。
そのモノの前で膝を付いた。
生きているはず・・・ない。
知らずと息を潜め、顔を、覗き込んだ。そのモノのー・・
瞳が、開いていた。
ぞっとした。
「なん、なんだ・・これは・・」
生きている気配はないのに。
「おまえ・・生きている、のか・・?」
俯いたままの、やはり瑞々しく、ほの白い滑らかな頬に、そっと手をかけた。
“・・・つれていって・・・・”
「何?」
声がした・・気がしたが、聞こえなかったような気もした。
「おまえ、生きているんだな?」
しゃん、
と鈴の音が響いた。
同時に、部屋中響いていた音も、押し潰されるような圧迫感も嘘のように消散した。
「生きてはいません。それはモノです。
今、そのモノの魔力に蓋をしましたわ」
振り向くと、砕いた扉の前に姫がいた。
「・・・そんなことが出来るなら、俺が来る必要なかったじゃねえか・・」
耳に残響が残り、晒されていた力に体が軋む。
「貴方の意識を拠りましに、飛んできたのです。無駄に登らせた訳ではありませんわよ」
眉を顰めた俺に向かって姫は優雅に微笑んでみせ、小部屋内に歩みを進めた。
厚く埃が溜まってるのにも拘わらず、長く摺られた繊細な華の刺繍の着物には、何故か
塵一つ付かなかった。
「このモノと同じです」
俺の思考を読んだように、姫は言った。
「内に秘められた強い力は、その体、そして身に付ける物までもの劣化を防ぐのです。
だからこのモノは、数百年閉じ込められたままでも、・・何もかも、美しいままなのですわ」
改めて、鎖に繋がれたその者を見た。
月色の髪、真珠色の肌。さっき見た瞳は、向こうが透けそうで・・濡れた宝石のようにー
綺麗だったのだ。
「生きていないって、どういうことだ。さっきこいつ、何か言った・・ようだったが」
頬に、触れた時に。
もう一度、同じように頬に触れた。吸い付くような感触。死人には、思えなかった。
顔を上に向けさせたが、今度は何の声も聞こえず、・・その目は閉じられていた。
「このモノは、恐ろしい魔力を宿した魔法具です。
人の形をしていますが、話すことも、動くことも出来ない・・
その手枷に繋がる鎖に、そのモノの魔力を街の守護膜に変える呪文が掛けられていたようですわね。
鎖の腐食が進んだせいで魔力が漏れて、あの音と圧力が生じていたのです」
では、後はよろしくお願いしますわ、と姫は小部屋から出た。
「おい、こいつは・・」
「蓋は、1・2時間有効です。それまでに、鎖を砕き、城へ」
そう言い残し、姫は霞のように姿を消した。輿の内に戻ったのだろう。
繋がれた鎖を斬ると、それはいとも簡単に崩れた。
人形のような身体を抱え上げると、まるで羽のように軽い。
呼吸をしていないのが不思議なくらい、瑞々しい体。
その瞳は今は閉じられているけれど、多分これは魔力に蓋をされている影響だろう。
蓋が外されれば、きっとまた瞳は開かれる。
あの、美しい瞳を。
ただの魔法具ー・・本当だろうか。
美しい、瑞々しい体は、本当に、生きてはいないのだろうか。
綺麗な瞳は、本当に、何も映していないのだろうか。
人形のように・・本当に、心は無いのだろうか。
姫の城は、空中城郭である。
上空高くに浮遊する、荘厳な城郭。
飛行させるのに、今までは地上から攫ってきた魔術師共の力を使っていた。
一度に、千人。それでも、1ヶ月ももたない。
潰れる度に、また地上から攫う。それを繰り返してきた。
城はこの“魔法具”で永久に支えられるのだと、姫は言った。
たった一人・・いや、一つの力で。
いくら二つとない大いなる力とはいえ、とてもではないが信じ難い。
半信半疑だったが、城の最下層にある浮遊郭でこのモノを呪術鎖で繋ぐと、
確かに、城は空中に留まった。
術師狩りが必要でなくなったことを一団に通達すると、やはり信じ難いのだろう、ざわめきが起きた。
「とてつもない力を持つ魔法具・・・」
「・・それを手に入れれば、あの姫様に抜きん出ることが出来るんじゃないか?
それでこの城のお宝を・・」
ざわめきの中、そんな囁き声を耳にした黒鋼は、一団に大声で告げた。
「その魔法具の見張りを任されているのは、俺だ。決して鎖を解くことのないように、とな」
その声に、一団はしんと静まる。
「奪いたきゃ、来い」
刀に手を掛け、口角を上げた黒鋼を見て、そこにいた者は一様に恐怖の色を浮かべた。
城郭を、下へ、さらに下へと降って行く。海の底へと、堕ちて行くように。
最下層の一番奥にある、封印された大きな扉ーそれが、浮遊郭への入り口。
途方もない数の術師が、そこに閉じ込められてきた。
拘束具だけが置かれた、巨大な郭。
今そこに閉じ込められているのは、たった一人。
銀の首輪には幾重にも鎖が繋がれ、それが、このモノに宿る魔力を城の浮力に変えている。
檻のような郭にただひとつの冷たい鉄の椅子に、まるで人形のように置かれていた。
魔力が戻り、その瞳は開かれている。
蒼い、澄んだ瞳を。
多分、どいつかがこれを奪いに来るに違いない。
黒鋼は壁にもたれ、黙って“魔法具”を見ていた。
着せられていた衣服は、姫の命により変えられている。
姫が着ているものより簡易な着物。色は、純白。
ー死装束みてぇだ。
折れそうに細い首、指先。血の気が無く透き通る・・着物より白い肌。
白金の髪が流れ、ここからではその瞳は見えない。
“つれてって”
あの声は、幻聴だったのだろうか。
考えてみれば、あの耳を劈く音が響く小部屋で、声など聞こえるはずがないのだ。
あれはー
このモノの、意識の残骸だったのかもしれない。
今はモノでも、昔は人だったのだろう。
きっと、ずっと、あの部屋から、連れ出して欲しかったのだ。
「・・連れ出して、やったぞ・・」
“・・誰か・・いるの・・”
独り言に思いがけない返事が聞こえ、黒鋼は弾かれるようにその“魔法具”を見た。
「おまえ・・か?」
“声・・聴こえるの・・?”
声ではない。声は聴こえない。現に、こいつの声がどんなものなのかは分からない。
ただ、何を話しているのかが、伝わってきた。
やはり。
こいつはー生きているんだ。心があるんだ。
鼓動が早くなった。理由は、分からないけれど。
「おまえ・・やっぱり、生きているのか。何で、動かない?」
“・・動けないんだよ。生きているのか、死んでいるのか・・オレももう、分からない”
「俺の声は、聴こえているんだな?」
“聴こえる・・目も見えるよ。でも、動けないんだ。モノと、一緒だよね・・”
引き寄せられるように、歩み寄った。
「目も、見えているのか・・」
その細いあごに手を掛け、上向かせる。絹のような髪が、さらりと流れた。
長い金の睫毛に縁取られた、碧い泉のような瞳。小さな唇。
目を奪われるほど美しい、人形のようなその顔は、やはり人形のように、動かないのだけれど。
“ああやっぱり、尖塔に来てくれた人だね”
その瞳には、自分が映っているのだ。
「じゃあおまえ・・あの部屋でずっと・・」
意識のあるまま、何百年も。
それは、なんてー・・恐ろしい、地獄だ。
“いいんだ、もう慣れちゃったから。・・始めの頃は・・つらかったけど。
不思議だね、何でオレの声が聴こえるんだろう。
ねえ君は・・また、ここに来てくれるの・・?”
黒鋼は少し考えたが、どうせ動くことの出来ない相手だ。
魔力も、鎖によって吸収されている。言っても、いいだろう。
街を破壊したこと、ここは浮遊城であること、今この魔力で城を浮かせていること、
自分は見張りを任されていること・・順を追って、話して聞かせてやった。
“じゃあ、君はずっとここにいてくれるんだね。
ねえ、名前は・・?”
「黒鋼だ。おまえは・・」
“ファイ。多分、ね。
母親のお腹の中にいる時、そう、呼びかけてくれていたから。
実際に、呼ばれたことは、ないんだけど・・”
名を呼ばれたことがない。
何百年も、繋がれたまま。
こいつは、どういうー
「ファイ」
口に出すと、ファイが小さく返事をした。
顔は人形のように動かないのだけれど、伝わるその声は本当に嬉しそうだったから。
もし彼が動けるのであれば、きっと彼は微笑んでいたのだろう。
もし彼が、動けるのなら、きっとー
ファイの、
微笑む顔が、見たかった。
Aに続く
囚われのファイたん話です。
多分、3・4話で完結できるかなー?
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