一生消えない傷
日本国。
俺は何より戦が好きで、夜毎人を殺していた。
刀を突きつけ、その恐怖に引き攣り苦痛に歪む顔を見ると、興奮した。
そのうちー 戦の最中ふと気が付くと、
累々と横たわる血塗れの死体の中に、ひとり立っていることが多くなった。
非道い殺し方だった。
どのように殺したかは、覚えていない。
ただ、殺したいという強い衝動と、眩暈のするような恍惚感だけ、覚えていた。
いつしか、味方からも恐れられるようになった。
その頃から日常でもふと、殺戮衝動を覚えるようになっていた。
作戦会議の最中でも、隣の者に突然刀を突きつけたらどんな叫びを上げるだろう、
そんなことを思うのだ。
恐怖に怯えた顔を見たい。そう渇望する自分と、このままでは、自分の内なる魔物に飲み込まれてしまうー
そんな焦燥感を覚える自分がいた。
このままでは、自分が自分でなくなる。
ついに俺は、刀を置くことにした。
刀さえなければ、殺すこともない。
今まで片時も離さずにいたその刀を、置こうとして、
愕然とした。
ー 離すことが出来なかった。
自分は、いつから、刀を、手離すことができなくなっていた?
そんな時である、姫に異界へ飛ばされたのは。
よりによってこんな時に。
はじめはそう思って、抗った。
いつ人殺しの魔物に飲み込まれてしまうか、分からないというのに。
ー だからか。要するに、厄介払いだ・・。
そう気付いて、姫に抗うのをやめた。目の前の景色が歪んだ。
気付くと、そこは廃墟の町だった。見知らぬ地に飛ばされたのだ。
灰色の、見たこともない様式の建物が並ぶ。物音一つせず、誰もいない。
「綺麗な刀だね」
突然背後から声がし、驚いて振り向くと、そこにひとりの華奢な男が立っていた。
背後の気配に気付かなかったのは、初めてだ。刀を構え、睨み付けた。
「何者だ」
するとそいつは、まるで恋焦がれた待ち人が現れたかのように、嬉しそうに笑ったのだ。
「オレを、殺してくれるの?」
怪訝に思い、刀を降ろした。
まじまじと顔を見ると、まるで女子供が遊ぶ人形のような、綺麗な顔をしていた。
刀を降ろしたままの俺を見て、そいつは俯いた。長い睫毛が影を落とした。
「なんだ、殺してくれないんだ」
「死にてぇなら、自分で死んだらいいだろう」
「・・・死ねるなら、いいんだけど、ね」
そういってそいつは、顔を上げて、また笑った。
もしその表情に少しでも恐怖の色が浮かんでいたなら、俺が意識する間もなく、
望み通り死体となって地面に転がっていただろう。
笑ってばかりだから、自分の中の魔物は目覚めないようだ。剣を鞘にしまった。
「こんな所に人が来るなんて。ねぇ君、これからどこに行くの?」
「宛なんかねぇ」
今しがた勘当されたばかりだ。
するとそいつはぱっと目を輝かせた。
「なら、オレの家においでよ。一人で寂しかったんだ。嫌になったらいつでも出て行っていいし、ね?」
明らかに文化圏の違う、怪しげな男をいきなり家に誘うとは、一体どういう了見だ。
それとも、この世界ではそれが常識なんだろうか。
どのみち、どうせ行く場所などない。投げやりな気持ちで、そいつに付いて行く事にした。
廃墟の町の真中に、そいつの家はあった。
家というより、城に近い。美しく造られたその城は、真っ白で、やたらと大きかった。
がらんとして埃くさい、がらくたのような町並みの中、そこだけが異質だ。
入ると、中庭には眩しいくらい鮮やかな花々と緑が溢れ、清浄な泉が湧き出し輝いていた。
街が街だけに、不自然な、ジオラマのように見えた。
静寂が包む。この城には、他に誰もいないようだ。
不気味な感じがした。
奴が振り向き、
微笑んだ。
そこでしばらく生活する内分かった事といえば、どうやらこの城の細々とした事は全て、
そいつが魔法とやらを使ってこなしているらしい。
日本国でいう、術士のようなものか。
料理をしている姿を見て、食材が出せるなら調理済みのものも出せるだろうと聞いてみると、
「他にやることないから」
と笑っていた。
そいつは一日中城にいた。本当にやることがないらしい。
かくいう自分もやることがなかったので、よくそいつと取り留めのない話をした。
本当に取り留めのない話だ。
昨日作った食事はおいしかったかどうかとか(非常にうまかったのだが癪だったので
まぁ悪くないとかなんとか答えておいた)、
庭の白い花が最近赤味をおびてきて綺麗だとか、
珍しく小鳥が飛んできたとか。
つまりはそいつが一方的に話していて、俺はあまり口を開いていなかったのだが。
奴は俺の事を何も聞かなかったから、俺も奴のことは何も聞かなかった。
だから、奴について知ったことは、そのくらいだ。
ー 肝心なことは、何も知らない。
本当は、少し、聞きたかった。
笑ってばかりだったあいつの、恐怖に張り付いた顔を見たのは、
俺がここに来てからちょうど、月の満ち欠けが一巡した頃の夜だった。
その夜、俺は酒をもらおうと奴の部屋へ向かっていた。
一月もいたので、結構慣れた関係にはなっていたのだ。
奴の部屋に禍禍しい気配を感じ、とっさに扉を叩き切った。
中には、
恐怖に慄いた顔をしたあいつが、立ちすくんでいた。
目線の先には、見たことのない、長い黒髪の男がいた。
俺は恐怖に引き攣る表情が好きだった。
興奮する。引き裂きたくなる。
なのに、奴のその表情を見た時、
俺は、ただ、 苦しくなった。
目を開けると、見慣れた天井が見えた。
布団をめくり、ゆっくり起き上がる。見回すと、そこは日本国の城内の自室だった。
「・・・夢?」
そんな馬鹿な。
寝着を変え外に出るとそこには、以前と何の変わりのない、日本国の日常があった。
半ば呆然とした気持ち城内を彷徨ううち、気付いた。
『今日』は、あの場所に飛ばされる日だ。
この後隣国の対策会議が行われ、そして自分は姫の自室に呼ばれるはずだ。
やはり会議の後、使いの者が来、姫が呼んでいる事を告げた。
扉を開けると、やはりあの日と同じ場所に姫はいた。
俺は、永遠この旅を繰り返すのだろうか。無限回廊だ。
まだ夢の中にいる気がする。
姫はにこりと微笑んだ。
その口は、きっとあの日と同じに、旅に出ろとー
「旅はどうでしたか」
目が覚めた気がした。
何故、と呟いた時には、姫はもう自室の奥へと姿を消していた。
その夜、城に刺客が入った。
追い詰め刀を振り下ろした時、刺客の顔は恐怖に引き攣った。
瞬間。
あの時のあいつの表情が目に浮かんで、
刀をとめた。
刺客は、転がるように逃げていった。
その後姿を見て、俺は姫が自分を旅に出した理由を知った。
彼は何故あんな廃墟の町で、たったひとりで暮らしていたのだろう。
彼は、あの後どうなったのだろう。
その場所にしかおまえはいなくて、
その場所は遠すぎて、きっと、共にいるには、1月が限度だったのだ。
あの日のおまえを思い出すから、
俺は人を殺さなくなった。
あれから、一生。
end.
Chapitre.8扉絵の狂犬黒鋼がツボって、作ったお話です。
ハッピーエンドじゃないですが、二度と会えなくても一生忘れられない、というのも大好きなので、
銀月的にはハッピーエンドかな。
でも知世姫は気を利かせて下さる気がするので、あんまり黒鋼がしょんぼりしてると
またファイに会わせてくれそうです。
|戻る|