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翼のない天使@

 オレはもうすぐ死ぬの、と、君は微笑んだ。 





「この森は私有地だから、入ってはいけないよ」


まだ子供の俺達には『しゆうち』という言葉が難しくて、理解したのは後半部分だけ。


この森には、近付いてはいけない。入ってはいけない。


その白樺の森は遠目に見てもとても綺麗で、『入ってはいけない』なんて言われると、
それがとても神秘的で、魅力的な場所に感じられた。
あの森を抜ければ、ひょっとしたら別世界に通じるんじゃないかとか、
あの森の中には不思議なものが隠されているんじゃないかとか、仲間とよくそんな噂話をしていた。



その日は学校が休みで、俺は小さな丘に座り、一人でその森を眺めていた。
穏やかな風に緑の木々がざわめく、静かな午後。さわさわと囁くような、綺麗な森。
皆には秘密にしていたけれど、俺はよくそうやってその森を眺めていた。
昔から、その森が好きだった。何故だか、その奥に、何か大切なものが隠されているような気がした。
「一度でいいから、入ってみてぇな・・」

何となく、呟いた時。
ざわりと音を立てて、森が大きく揺れた。
「わっ」
突風。突然、目も開けていられないほどの強風が吹き抜け、俺の服を大きくはためかせた。
一度だけ。
通り過ぎた一陣の風に再び目を開けると、森は静けさを取り戻していた。
あんなに強い風だったのに、まるで何もなかったかのように。


ほんの、一瞬の出来事。
森の方からの、その風が。


一瞬の、強い、透明な声に思えて。


何だか無性に。
呼んでいるような。


誰かが、呼んでいるような気がして。

透明な声で、誰かが俺を呼んでいるような気がして。


気が付くと俺は、何かが隠された綺麗な森に向かって、駆け出していた。

透明な声は、まるで、悲鳴のように思えたから。
誰だ?
誰が俺を呼んでいるんだろう。
誰が俺を待っているんだろう。


俺がこの森を好きだったのは、いつも見ていたのは、
この声を、待っていたからなのかもしれない。


待っていたのは、俺の方だ。



森に分け入り、枝をかき分けて全力で走る。奥へ奥へ。
草に足を取られる。息が切れて苦しくて、俺は一度足を止めた。
大きな白樺に手を掛けて呼吸を整えながら、その禁じられた森を仰ぎ見る。

緑の葉っぱが幾重にも重なって、零れる光まで黄緑色に輝いているようだ。
鳥たちの楽しげな歌声が森いっぱいに響く。木々とせせらぎの、瑞々しい香り。
命が輝いているような、森。

上がった息が整ってくると同時に、徐々に冷静になってきた。


何故俺は、さっきの風が透明な悲鳴に聞こえたんだろう。
こんな綺麗な森なのに。この森には、そんなものまるで似合わないじゃないか。


ふいに、汗に濡れた額がひやりと冷えた。
そよぐ風が、まだ熱が残っている体に心地よかった。
ー森の中に、風?
不思議に思って、風上の森をかき分けてみた。


「なんだ?これ・・」


突然現れたのは、この空気にまるで相応しくない、白く大きな建物。
3階建ての四角い、無機質なそれは、綺麗なこの森の中であまりに不自然に感じる。
木々と同じくらいの高さなので、外からは見えなかった。
まるで、森に隠されているような。
その建物は窓が少なく、僅かにある窓は全て、カーテンまでも閉じられていた。


『この森には入ってはいけないよ』


「これ、だ・・」
このことだったんだ。
大人達が隠していたのは、きっと。
俺は、見つけてしまったんだ。
心臓が高鳴った。
これは、何なんだろう?一体この中には、何者が隠れているんだろう?
俺がこれを見つけてしまったことが知れたら、俺はー?

恐かったけれど、もうその場から離れることは出来なかった。
俺は引き込まれるように、その不思議な建物に向けて一歩ずつ近付いていった。

「!」

その時、3階の真ん中の窓が、動いた。
早く身を隠さなければ。
とっさに思ったけれど、何故か脚が動かなかった。その窓から、目が離せない。

すっと、窓が開けられた。
白いカーテンが、ふわりと空へ大きく舞い上がった。

窓を開けたのは、白く細い腕。

その腕の持ち主の姿は、はためくカーテンに阻まれて見えない。
森の中の、異質な建物。見てはいけないはずの、建物。その中に住む人は、何者なんだろう。
人間、なんだろうか。それとも・・
その時、その華奢な腕が白いカーテンを引いた。



「・・天使・・」



顔を覗かせたのは、天使だった。
幼い頃絵本で見た、金の髪に蒼い瞳、白い服の・・小さな天使。

天使って、本当にいるのか。

天使は、青い空を見上げていた。何だか、哀しそうだった。
喉が詰まって、ただ見詰めていると、天使は空へ向けていた視線を、地に落とした。


天使と目が合った。


離れていても分かるくらい、綺麗な蒼い瞳。真っ白な肌。
可愛らしい顔立ちは、人形のようだった。
風に揺れてサラサラと靡く髪が、金に煌いた。


建物じゃない。

大人達が隠していたのは、この子だ。
天使を、隠しているんだ。


じゃあ、さっき感じたあの透明な声は、天使の呼び声?
天使は、この綺麗な森には相応しいけれどー
こんな無機質な建物は似合わない。
ひょっとして、閉じ込められているのだろうか?
きっと、大人に捕まって、あの部屋に閉じ込められているんだ。

だから俺を、呼んだんだ。

天使は、カーテンを引いた細い指をそのままに、じっと俺を見ていた。

「助けなきゃ・・」
どうしたら助けられる?そうだ、木に登れば、近づける。
その窓に一番近い木に、急いで足を掛けた。
木登りは得意だ。でも白樺の木は登りにくくて、なかなか上まで登れない。
今は周りに大人がいない。今のうちに早く行かなければ。
ー天使は、まだいるよな?
ふと不安になって振り仰ぐと、絵本から抜け出たような天使は、窓枠に手を掛け不思議そうに
こちらを見ていた。木登りが珍しいのかもしれない。
「そこにいろよ。今行くからな!」
片手を口に当ててそう叫ぶと、天使はきょとんとした顔をした。
ーあ、可愛い。
と思った瞬間、
「げっ」
手が滑った。
「いって・・!」
思い切り尻餅をついたが、痛がっている場合ではない。土を払いながら立ち上がり見上げると、
天使は窓枠に頬杖を付いて、何だか楽しげにこっちを見ていた。

よく考えてみれば。
天使には翼がある。
窓を開けられるなら、空を飛んで逃げることが出来るじゃないか。
「おまえ、飛べるんだろ?かくまってやるから、来いよ!」

そう叫ぶと、蒼い瞳が、ほんの少し見開かれた。
宝石のような、綺麗な瞳。


天使は細い腕を枠に掛け、ゆっくりと窓から身を乗り出した。

その時、突風が巻き起こった。
木の葉が風に乗って、大空へ吸い込まれていく。
白いカーテンが、大きく空へ膨らむ。
金の髪が、ふわりとたなびいた。
そうだ。
あの風は、天使の羽ばたきだったのだ。
片方の白い指が、窓枠を離れた。


天使が

飛ぶ



「ファイ君っ!何をしているの!!」
突然の叫び声と供に、天使は消えた。




天使には、翼はなかった。




叫び声の後すぐ、天使は部屋へ引き込まれ、大人の手で窓がぴしゃりと閉められたのだ。
きっと、俺がこの建物を見つけ、そして天使を見たこともばれてしまった。
「まずいよな、やっぱ・・」
きっと誰かが来る。つかまったら、俺はどうなってしまうのか。
「ファイ・・て、いうんだ。あいつ・・」
でも、どうしてもあいつを放って逃げることは出来なかった。
四角い箱に囚われている天使。あのままじゃ、可哀想だ。
きっと本当は、自由に飛び回りたいんだ。
だって、空を眺める瞳が、とても哀しそうだったから。
自由にしてあげたい。

でも、何より、
俺はただ。
もう一度、天使に会いたかった。

誰かが来たら、戦って、あいつを助けるんだ。
俺はそう覚悟を決めて、足場を踏み固めた。
と、建物の裏から白衣に身を包んだ女の人が、早足でこちらへ向かって来た。
女?白衣?いや、油断してはいけない。天使を閉じ込める、悪の秘密結社の一員なのだ。
俺も閉じ込めるつもりだろうか。でもそれなら、あいつを連れ出すチャンスもあるかもしれない。
拳を握り締め、睨み付けてやった。
「おいっ、俺をあの部屋に連れて行け!」
天使のいた部屋を指差し、凄んで言ったつもりだったのだが、
そのひっつめ髪に眼鏡を掛けた女の人は、何でもない風に俺を見た。
「あなた、名前は?」
「え?・・く・・黒鋼・・」
「そう。黒鋼君、私に付いて来なさい」
ひらりと白衣を翻し、建物に向けてまた早足で歩き出した。
「何だ!お、俺もあいつみたいに、ここに閉じ込めるつもりか?!」
「閉じ込めるですって?何を言っているの。ここは私設の病院。さっきあなた金髪の男の子を見たでしょう?
ファイ君ていうのだけれど、ここの患者よ。閉じ込めてなんて・・」
閉じ込めるだなんて、と繰り返すその人は、何故か少し顔を曇らせた。
「びょういん・・患者?」
・・天使じゃ・・ないのか・・。
女の人に付いて行き、建物の裏に回った。
小さなドアがあり、そちら側には森の外へ続くと思われるちょっとした道もあった。
車も数台止まっている。
「何だ、意外と普通だ・・」
ここは天使を閉じ込める悪の秘密結社ではなく、本当にただの病院だったらしい。
実はかなり恐かったので、ちょっと安心した。
「何だと思っていたの?」
「・・べ・別に・・。あいつ、病気なんだな」
そう、と頷き、歩きながら女の人は、自分はファイの主治医であると自己紹介をした。
戸惑いながらドアをくぐると、病院特有の匂いがした。
しかし病院にしては待合室がなく、がらんとして、人の気配もしなかった。
きょろきょろしながら付いて行くと、女医は階段を登りだし、2階、そして3階へ上がった。
その間、誰にも会わなかった。病院にしてはおかしい気がする。
「さあ、その汚い服を脱いで、この滅菌済のシャツに着替えなさい。
ファイ君の部屋に入る前は、必ず滅菌ルームを通ること」
「俺はバイキンか!?そんなに俺汚くねえぞっ!」
「あの子には抗体がないのよ。通常害のない菌でも、命を落とすことがあるの」
女医はそう言って、自分も白衣を新しいものに換えた。
「あとあまり近付いても駄目。まして触れることは厳禁よ。
大きな声を出したり、動揺させるようなことを言わないように。
ちょとしたことで、心臓に影響が出るのよ」
「・・・そんなに、悪いのか?あいつ・・」
だったらー
「何で、会わせてくれるんだ?それに、この森って本当は入っちゃいけないんだろ。
何で俺を怒らないんだよ」
さっきからずっと疑問に思っていたことを口にすると、女医は何かの器具を用意していた手を止めた。

「・・本当は、こんな危険なことは、させたくないのだけれど・・」
そして、呟くように言った。

「我侭一つ言ったことのないあの子が・・初めてお願いを言ったのよ。
窓の外にいる、あなたと話がしてみたいって」


ー話がしたい?俺と?
嬉しいけれど、どうして、なんだろう。


白い服に着替え、風の吹き出る小部屋を通った。
その先の部屋。この鉄のドアの向こうに、あの天使のような子がいるのだ。
遠目に見ても、絵のように綺麗だった。
俺と話がしたいって。
心臓が高鳴った。
女医がドアをノックし、静かにノブを回した。





治療用と思われる大きな機械や器具が置かれた、無機質な部屋。
低い機械音が響く部屋の真ん中に、小さなベット。
枕元の、何種類もの薬。

天使には、翼がなかった。

二本の点滴につながれたその子は、折れそうなほど細い腕で、ゆっくり上体を起こした。

白いカーテン越しの、柔らかい光に包まれる君は。

透けるような白い頬。
蒼水晶のように煌く、潤んだような大きな瞳。
金の髪は、ファイが動くたびサラリと流れ、光を弾いた。

遠く見上げた天使も綺麗だったけれど。
近くで見ると、細かく細工されたように、美しかった。

この子には、こんな無機質な部屋は似合わない。
やっぱり、閉じ込められているんだ。
草原がきっと似合う。
青空の下で、笑ってるほうが、きっとー


「黒鋼君って言うんですって。歳は・・」
「8才になった」
「ならファイ君、あなたと同い年ね」

ファイは、俺が部屋に入った時から、ずっと俺を見ていた。
その、澄んだ蒼い瞳で。
ずっと見ていたのが分かったのは、俺もファイから目が離せなかったから。
こんな綺麗な子が人間だなんて、信じられない。
人形みたいな・・いや、やっぱり天使だ。
翼は、ないけれど。

「こんにちは、黒鋼君。・・ごめんね、突然」
少し高めの声。語尾が消え入るような、囁くような声だった。
「この椅子に座りなさい。これ以上、近くに寄ってはいけません」
女医はそう言いながら、俺をファイから少し離れた椅子に座らせた。
もう少し、近寄れたらいいのに。その綺麗な瞳を、間近で見たかった。
「おまえ、体悪いんだな・・」
俺の言葉に、女医が頷いた。
「そうよ、ファイ君。もう二度と窓なんて開けては駄目よ。
外気は体に障ります。いつも言っているでしょう?とんでもないことよ。点滴まで外すなんて・・」
「ごめんなさい、ドクター」
ファイは素直に謝って、ちょっと小首を傾げた。
金の髪が揺れて、細い首にサラリと流れた。そんな仕草も可愛くて、思わず見惚れてしまう。
「言いつけを守って生活していれば、元気になれるのですからね。
私はまた、1時間後に来ます。体に障るから、そこまでで帰りなさい。もっとも、疲れたらすぐ追い出して
休むこと。いい?黒鋼君。この子の為に、注意事項は、必ず守りなさい」
女医は俺に鋭い視線を送ってから、ドアを静かに閉めた。

「・・追い出すって・・っしかも睨みやがって、カンジ悪い奴だなーっ!」
「そんなことないよ。昔からずっとオレを診てくれて、色々世話なんかも
してくれているんだ。優しい人だよー」
囁くような、優しい声。ドアからファイに目を移すと、ファイはふわりと微笑んでいた。
現実味がないくらいの、綺麗な顔。微笑むと、なんて可愛いんだろう。
まさか、本当に話せるなんて。嬉しくて、ドキドキした。でもー
「・・昔から?ひょっとしておまえ、ずっとここに・・」
「うん、生まれつき体が弱くて、物心ついた頃からここにいるんだー」
女医は、窓さえ開けるなと言っていた。
「・・まさかおまえ、ここから出たことがないなんて事、ないよな・・?」
「ないよー。外気は体に障るから、出ちゃダメだって言われてるの」
とんでもないことを、微笑んだまま言った。
「ええ!!じゃあ・・学校も・・その辺の公園とかも行ったことねぇのかよ!
泳いだり、じゃあ、走ったりしたことも・・」
「ないねー。勉強は、ドクターが少し教えてくれるけど・・」
「・・・」
信じられない。

濡れたような長い金の睫毛に、透き通る蒼い瞳。
真っ白な肌、薄桜色の小さな唇。
触れただけで折れそうな、細い指先も。
こんなに、綺麗なのに。
ここに閉じ込められたままなんだ。

やっぱり、天使は、閉じ込められているんだ。

「早く治せよ!外に出たほうがいいぞ!
言い付け守ってりゃ、元気になれるんだろ!」
こんな部屋から出たことがないなんて、出られないだなんて。
早く外に出してあげたい。
せめて、病院を覆う白樺の森へ。零れる黄緑の輝きを、見せてあげたい。

俺の言葉に、ファイは少し目を伏せて笑った。
「ううん・・ドクターは、オレが傷つかないように、ああ言ってくれているだけだよ。
分かるんだ・・自分のことだし」


「治らない。
オレはもうすぐ死ぬの。
仕方のない、ことなんだ」


俺を見て、静かに言った。
まるで。
綺麗に咲いた花を見て、微笑むような。
そんな、穏やかな微笑みで。

「な、何言ってんだ!決めんなよ!!
病気は気からだぞ!俺だって、風邪ひいた時我慢して走り回ってたら、そのうち治ったぞ!」
思わず立ち上がって力説すると、ファイはちょっと驚いた顔をして、それから小枝より細い指を口にあて、
くすくすと笑い出した。
「それ、ちゃんと寝てたほうがいいと思うー」
「笑うな!本当だぞ!大体寝ててもつまらんだろう!」
つまんなくたって、何も走り回らなくたっていいじゃないー、とファイは楽しそうに言った。
笑わせるつもりで言ったのではなかったのだけれど、ファイが楽しそうで、俺も嬉しくなった。
笑ってくれると嬉しい。
「それに、そんなこと言ったら父さんや母さんが悲しむぞ。
言っちゃダメだ、そういうことは」
「それなら大丈夫ー」
ファイはそう言って、小首を傾げた。この仕草は、癖なのかもしれない。
吸い込まれそうなほど大きな瞳で、細い首を傾けると本当に可愛くて、ドキドキしてしまう。
「オレ家庭がちょっと複雑で・・いないことにされてるっていうか・・
親の顔も知らないんだ。だから、オレが死んでも悲しんだりしないと思うー」
そんな可愛い仕草で、またとんでもないことを言った。
「なんだとぅ!!なんつー親だ!おまえ、文句言ったほうがいいぞ!!」
「ううん、この病院は父が、オレの為だけに建ててくれたんだって。
お陰でこうして治療してもらえるし、感謝してるんだー」
ここはファイだけの病院なのだ。だから、待合室もないし、廊下で誰にも会わなかったのだ。
親は相当の財産家なのだろう。でもー
「金出しゃそれで終わりじゃねぇぞ!顔ぐらい見せに来たらどうだ!」
「あ・・でも、母は、オレを生んですぐに死んじゃってるんだけどー」
え。
「・・・あ・・そ、うなのか・・」
悪いことを、言ってしまった。嫌なことを、思い出させてしまった。
しゅんとしていると、ファイが今度はけらけらと笑い出した。
「やっぱり君って面白いね。怒ったりしょげたり・・」
「わ、笑い事じゃねぇぞ!」
金の髪をサラサラと揺らして笑うファイは、とても可愛くて。
思わず手を伸ばして、触れたくなったけれど。
これ以上、近寄っちゃいけないんだ。触れても、駄目なんだ。
思わず伸ばそうとした手を、慌てて引っ込めた。

触れれば、君の身体に障る。

そう思った時、ドアがノックされ、女医が入ってきた。
「ファイ君、一時間たちましたよ」
「えっもうそんなにたってたのか!」
時計を見ると、確かにもう6時を回っていた。
「あら、熱が出ているわ。疲れたら休みなさいって言ったでしょう?」
女医はてきぱきとファイの体を横たえ、点滴をセットした。
「疲れてないよ、まだ話し足りないくらい」
「駄目です。早くお休みなさい。ほら、君も早く外に出る!」
ぐいぐいと病室の外に押し出されながら振り向くと、ファイは横になったまま、
こちらを見ていた。何だか寂しそうに見えた。
「なあ!また来ていいか?」
思わず叫ぶと、ファイはふわりと微笑んだ。
「うん。オレと、お友達になって欲しいな」
「あ、ああ。いいぞっ」
「うれしいな。また来てね、黒たん」
「くろっ?!」
そこでドアを閉められた。
黒たんて・・。
「なあ、俺また明日来てもいいよな?」
服を着替えながら聞くと、女医はため息をついた。
「仕方ないわね。あの子がああ言うんだから・・でも、また一時間だけよ。
やっぱり体に負担がかかるわ」

あんなちょっと話しただけで、体調を崩してしまうなんて。


『オレは、もうすぐ死ぬの』
細い線。薄い色素。囁くような、声。
儚げなファイ。今にも、消えてしまいそうに。
でも、まさか死ぬなんてこと。

「なあ、あいつ、もうすぐ死ぬなんて、嘘だよな?」

その言葉に、女医の表情が一瞬こわばった。

「・・なに、言っているの。治るわよ」

それで何となく、分かった。
俺は、病院の外へ駆け出していた。


『治らない』


『俺はもうすぐ死ぬの』


『仕方のないことなんだ』


まさか本当に?

生まれてずっと、親にも会えない。外にも出られない。

このままー?


全速力で駆けたから、家のドアを開けた時は息が苦しくてたまらなかった。
でも息よりもっと、心が苦しくて。俺はそのまま、自分の部屋へ駆け入った。


どうしよう。

どうしたらいいんだろう。


「・・黒鋼?どうしたの、帰ってくるなり閉じこもって・・」
ドアの向こうから、母さんの優しい声がした。
「何かあったの?おいでなさい。ご飯、出来てるわよ」


俺は、自由に外に出られるし、優しい母さんもいる。
あいつには、それがない。


「ううん、何でもない・・」



                俺はあいつに、何をしてあげられるだろう?


Aに続く
     


全3話くらいで終わるかな?
またファイ閉じ込めモノだ・・!(好きなので仕方ない)
直線上に配置
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