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魔物退治のお坊さん・出会編<下>


「おまえ、大怪我してんじゃ・・っ」
「触れないでって、言ったよね?」
指を掴んだままの俺を、精霊は真っ直ぐ見詰めた。
金色だ。さらさらと銀粉が舞うと、その下には金の髪、金の睫毛が埋もれていた。なんて綺麗なんだろう。
金の睫毛に縁取られた、透けそうな蒼水晶の瞳には、俺が映っていた。

ー離したくねえ。

細い指を握った手に逆に力を込めると、精霊の瞳に、少し非難の色が込められた。
その時、悪寒がした。
「!」
精霊も感じたらしく、同時に夜空を見上げた。
月を背景に黒い靄が蠢き、それは次第に色濃くなってゆく。
大蛇の頭部に形を成したそれは、牙を剥いた。
死んだ大蛇の怨念に、俺が刀を取るより早く、銀の竜人がすいと立ち上がった。

腕を翳す。それが蒼の光に包まれると同時に、銀粉が舞った。
一瞬、その美しい眉が顰められた。
ー血が。
光はみるみる大きくなり、大蛇を飲み込む。動きを封じられた大蛇は、苦しそうな雄叫びを上げた。
精霊の傷口が開き、銀が溢れ出す。
ーその怪我で術を使うなんて、
「おまえ死ぬ気か!」
蒼い光を放つ腕を掴んで引き寄せると、本当は立っているのもやっとだったのだろう、簡単に
俺に倒れこんできた。細い肩。重さなんて、まるきりなかった。
「何をす・・っ」
驚く竜を無視して、刀を構えた。
光が消え自由になった大蛇が、襲い掛かって来る。
斬魔刀で思い切り叩き斬ると、大蛇は悲鳴を上げ、今度こそ完全に消滅していった。

「これで文句ねぇだろ」
刀を鞘に収め腕の中の精霊に目をやると、そいつは焦点の合わない瞳で呆然と俺を見ていた。
銀色の血は、いまだ流れ続けている。大丈夫だろうか。
「魔物倒すにしても、自分まで死んだら意味ねぇだろ」
「・・・・・」
竜人は俯き、聞こえないくらいの小さな声で何かを呟いた。

聞き返そうとした俺の腕をすり抜けた精霊は、こちらに背を向けて桜林の中をふらりと歩んだ。
晧晧と降り注ぐ月に照らされ、一面に積もった花弁が薄紅に淡く光る。
その上に佇む銀色の精霊は、すぐにでも透けて消えてしまいそうだった。
このままー天に帰ってしまうのだろうか。

帰ってしまえば、もう二度と出会うことはないのだろう。
俺は精霊を降ろせないし、例え降ろせても、契約をしていない精霊を選んで降ろすことは出来ない。
明日になれば、今夜のことは全て夢だったのだと、そう思うのかもしれない。



夢ではない。
こいつと出会った、確かな証が欲しい。



『地上で出会わなければならないわ』
地上で、出会った。
『ある特殊な状況でなければならない』
それが、どんな状況を示しているのかは知らないけれど、今はかなり特殊な状況だろう。



こいつを、式神にー。



どうしたら、こいつは俺の式神になるのだろう。



魔女の言葉のあの続きを、聞いておけばよかった。
この後、どうすれば、この精霊は俺のものになるのだろう。
もう一度風が吹けば、こいつはふいに消えてしまう、そんな気がした。


本人に方法を聞いてみるか。
・・こんなこと聞いたら、逃げられるだろうか。もし逃がしたら、もう二度と取り返しがつかない。
聞いて教えてくれるもの、とは思えないが。

「おい」
呼びかけると、銀色の竜人はゆっくりと振り向いた。
銀のカケラが輝く髪に煌き、蒼く澄んだ瞳に反射する。
薄く瀟洒な着物に包まれた、折れそうに華奢な、白い身体。目が眩むほどに、綺麗な精霊。


俺のものになるのなら。


「おまえ、もう、誰かの式神なのか?」
訊ねると、精霊は微笑んだ。桜のような、儚げな微笑み。
「そうだねぇ、式神といえば式神だし・・式神じゃないといえば式神じゃない、かな」
そう言って、空を仰いだ。はぐらかされた気がする。
微風に煽られ、薄蒼の着物がひらりとひらめいた。銀粉が舞う。
今にでも、精霊は透けて消えてしまいそうだった。
きっとおまえは、もうすぐ天に帰ってしまう。

「なら」
俺が一歩前に進むと、精霊は少し体を強張らせて一歩退いた。



「なら俺のになれ」



・・・ストレートに頼んでみた。
小細工は苦手だ。
銀色の竜人は、その美しい蒼の瞳を少し見開いた。
逃げられるかな。

そう思った時、強く風が吹き抜けた。
地面に舞い落ちた月桜の花弁が、一斉に舞い上がった。
視界が、薄紅の光に染まる。眩しくて、目を閉じた。
だめだ、やっぱり、おまえは・・
もう一度目を開けたら、おまえはもうー



「・・くろ、・・がね・・?」
名を呼ばれた。
驚いて目を開けると、無数の花弁の舞う中、竜人は、消えることなく、そこにいた。
「何で俺の名前を」
仄かに光る花弁の絨毯を歩き、精霊は俺の顔を覗き込んだ。
「・・そうなの・・?」
近くで見ると、満月の光に金の睫毛一本一本まで、銀が煌いて美しかった。
思わず、胸が高鳴る。
「ああ、俺は黒鋼だ。それが・・」
「・・そう・・なんだ」
精霊は俺の、頭の天辺からつま先まで見て、それから笑い出した。鈴を弾くような声で。
「な、何だ?人見て笑うなんて、失礼だぞおまえ!」
別に笑われるような格好などしていないつもりだ。
一通り笑った竜人は、涙を拭う仕草をしながら俺を見上げた。
「ごめんねー、なんでもないの。こっちの話ー」
そう言ってくるりと背を向け、黙って再び天を仰いだ。
俺は返事を待っていたけれど、精霊は黙ったままだった。
さっきまで笑っていたのに。

何だか、後姿が。
泣いているように見えて。

しばらく、その触れれば透けそうな、儚げな後姿を眺めていた。
「・・で、どうなんだよ」
俺の問いかけに対し振り向いた精霊は、予想に反して、微笑んでいた。
「約束だもんね・・。オレの名前は、ファイ」
「やくそく?何の話だ」
こいつの言ってることは、さっきからよく分からない。精霊というものは、そういうものなのだろうか。
金の髪をさらさらと揺らして、ファイは俺に歩み寄り、その華奢な白い指でそっと、俺の手を取った。

思わず息を呑むと、ファイはそのまま、
俺の甲に、その小さく柔らかい唇で口付けた。


「これでもう、オレは貴方のもの」


そう言って、ふわりと微笑んだ。
「好きな時に呼んでね。ご主人様」


「な」



本当に、式神になってしまった。
この、世にも綺麗なものが。もう、俺の。
「ご主人様?何でも命令していいよ」
命令なんて。
「や・・あの・・おまえ怪我、大丈夫なのか」
「え?うん・・あ」
ファイは、何か思い至ったようだったが、口をつぐんだ。
「何だよ」
「あ・・大丈夫。休んでいれば、そのうち治るから」
「そうだ、命令がひとつある」
「なあに?」
「おまえ、何であんなにしてまで戦ってたんだよ。もうこんな、怪我するようなことはするな」
「え?」
この綺麗な精霊が、死ぬことも厭わず、傷だらけで戦う姿はもう見たくなかった。
「・・式神は、使い魔だよ?ご主人様を守るのが・・」
「うるせぇ。文句あるのか」
少し恥ずかしかったのでわざと不機嫌な顔をしてみせると、ファイはきょとんとして、笑い出した。
「変なご主人様ー」
「黙れ」
そう言うとファイは黙ったけれど、表情は嬉しそうに微笑んでいた。
ファイの手を取ると、裂けた傷から流れる血は、止まっているようだった。
「痛ぇか?」
「ううん・・大丈夫ー」
嘘付け。こんな大怪我。痛そうな顔、してたくせに。
銀粉が、さらさらと風に流れる。
「手っ取り早く直す方法はないのか?精霊のことはよく分からねえからな。
何かしてやれることはねえのか」
「・・・」
ファイは黙って俺を見て、それからほんの少し頬を赤らめた。
「・・結構です」
そう言って、俺が取っていた白い腕を、さっと引っ込めた。
「何だよ?何かあるのか」
「何でもなーい」
ファイは俺の腕をまたすり抜けて、楽しそうに微笑んだ。





「だから言ったでしょう?すぐにまた、ここに来ることになるって」
そう言って魔女は、極彩色の蝶に彩られた壁絵の前で、けらけらと笑った。
つい昨日来た時とは、部屋の内装ががらりと変わっている。
今日の魔女は、機嫌が良さそうだ。二日酔いではないらしい。
主人の機嫌で部屋の内装も変わるのかもしれない。相変わらず、よく分からない屋敷だ。

結局俺は寺には戻らず、桜山から再び魔女の元に赴いたのである。
「で?何の式神を憑けたのかしら」
魔女は瑠璃色の杯を片手に、長い髪を流して身を乗り出した。まだ俺が何も言葉を発していないのに。
俺が式神を憑ける事など、この女は知っていたのだ。これが、魔女と呼ばれる所以である。
「銀色の竜」
「銀竜?そんなはずわよ。白蛇か何かの間違いじゃなくて?」
「白蛇・・蛇には見えなかったが」
青白く光る角がついていたし、硝子のような長爪の手足もあった。・・何より蛇なんかとは
風格が格段に違うと思う。
「まあいいわ、見れば分かるし。早速お呼びなさいな。
ああ、あなた契約した式神の降ろし方を知らないのよね」
「それ聞きに来たんだよ。でも、あいつ今怪我してるんだ。
まだ降ろしたりしない方がいいんじゃねぇかな」
あら優しいのねぇ、と魔女は何だかいけすかない微笑みを浮かべつつ、俺に降霊術を教えた。
一度契約した式神の降霊術は、降憑術をかなり簡略化したものだ。これなら俺でも出来る。
「天に戻れたなら、降りることも出来るわよ。降ろしなさいよ。
そしたら、あたしがその子の怪我、治してあげるわ」
「治せるのか?ならその術俺に教えろよ」
「あら、それは無理よ。この治癒術は式神だけでなく、霊全般に通用する難しいものだもの。
あたししか使えないわ。あたしの作った術だしね」
俺の使うこの斬魔刀も、魔女が術をかけて作ったものなのである。
この世で一本きりの。魔女は、特異な存在なのだ。
「あなたでも、簡単に出来る治癒術があるのだけれどね。力技系のあなたにぴったり」
「そういや、ファイも何か言ってやがったな。そりゃ何なんだよ」
「さあねぇ?まあ、普通はやらないからね。やめておきなさいな」
そう言って魔女は妖しく笑った。
「ほら、あなたの式神を呼んでみて。まず竜はないわよ、本当に」

言わないと決めたらいくら要求しても言う奴ではない。
俺は諦めて、縁側から庭に降りた。
昨日の、月夜の竜をここへ。
ーいやに緊張する。
本当に、あの美しいものは、呼べば降りて来るのだろうか。
今となっては、やはり昨日のことは全て幻だった気がする。現実感がない。
この世のものでないような、美しい風景。恐ろしいほど綺麗な、精霊。

一度息を吸って、印を結ぶ。



涼やかな風が吹き降ろし、硝子の鈴のような音が響いた。



見上げると、
澄み渡る青空の向こうから、銀色の竜が舞い降りる。
「ぅわ・・」
蒼に銀。余りに荘厳な。
月の下の竜は、仄かに発光し幻のような美しさだった。
日の光の下で見ると、その銀の鱗一枚一枚が、まるで銀細工のような美しさであることが分かった。
自分で呼んでおいて、思わず絶句してしまう。
「あきれた・・本当に、銀竜じゃないの・・」
ちょいちょいと縁側に膝を付いて出てきた魔女は、空を仰いで、驚いた顔を見せた。
魔女の驚いた顔は、初めて見た。
そんなに、おかしいことなのだろうか。
銀竜はくるりと回転し、見る間に人の姿に形を変えた。
ふわりと俺の横に降り立つ。
「なぁに?」
微笑んで、ファイは俺の瞳を見た。
竜と同じく。
月光の元の、夢を見ているような美しさとは違い、日の光の下の彼は。
透ける肌、磨き上げた蒼宝玉の虹彩、金を梳いた髪。
人間ではないような、整った顔をしていた。知らずと息を呑むほどの。
ー人間じゃ、ないのか・・。
「ずるいわ、あたしの百体に匹敵するじゃないの。
箔を持てとは言ったけれど、こんなものを持つなんて・・これはやりすぎよ・・」
魔女は、俺とファイを見比べてため息をついた。
「何の話だ?」
「いいえ、何でも」
「ご主人様、こちらの方はー?」
ファイは、輝く髪をさらりと揺らして、小首を傾けた。そんな仕草に、いちいちどきまぎしてしまう。
「俺の師匠だ。通称魔女」
「お師匠様ですかー。魔女さん、こんにちはー」
「こんにちは」
縁側の淵まで出た魔女は、花紅色の爪でファイを手招きした。
「?何ですかー?」
式神は窺うように俺をちょっと振り仰いでから、魔女に歩み寄った。
ついと魔女がファイの手を取ると、淡い虹色の光がファイの体を包みこんだ。
「え?怪我が・・治ってる・・」
痛みが消えたことに気がついたのだろう、ファイは消えた傷を確認し、驚きの声を上げた。
「あたしが無理に呼んで貰ったのよ。せめて治させて頂戴」
「ありがとう、ございますー」
魔女は、いいのよ、とその手を離し、ファイをつくづくといった風に眺めた。
「思い切ったこと、したわねえ」
精霊は、黙って微笑んでいる。
「なぁ、さっきから何の話だよ」
「いいえ、・・運命って、面白いわね」
魔女はそう言って、部屋の奥に戻り、紅の着物を散らして座った。
「あなた達にはきっとこれから、大きな苦難が訪れるわよ」
「何イ?会ったそばからおまえ、不吉なこと言ってんじゃねえよ!」
俺が噛み付くと、魔女はふふ、と意味ありげに笑った。

「でもきっと大丈夫よ」

ー運命が、導いたのだから。


魔女はそう言って、瞳を閉じた。







運命の。

そう、魔女は言う。
もし、ファイと出会ったのが運命であるならば。
例え魔女が言う通り、これから大きな苦難が訪れるのだとしても。
それが、どれほどつらく苦しいものであったとしても。


全て乗越えてみせようと思う。

俺とおまえは、出会ってしまったのだから。


俯いているファイに視線をやると、ファイは顔を上げ、


俺を見て、微笑んだ。





運命が導くならば、
僕らは出会い、恋をする。







時系列が逆で申し訳ないんですが、お坊さんの黒鋼と精霊のファイが出会った時のお話でした。
会った当初はまだ、ファイはちゃんと『ご主人様』と呼んでいて、黒鋼も綺麗なファイに
ちょっとどぎまぎしているという初々しい二人。
続きは、またそのうちに・・。
直線上に配置
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