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翼のない天使A

呼び声が、聞こえた。

誘われるように迷い込んだ森の中で、天使を見た。翼は、なかったのだけれど。
函に閉じ込められていて、名前はファイという。
「もうすぐオレは死ぬんだ」
諦めたように、微笑んで言った。

諦めているのなら。
君が呼んだのは、君の声が聞こえたのは、どうしてだろう。



俺は一晩中、一夜明けて学校でも、ずっとずっと考えていた。
どうしたら、ファイを助けられるのだろう。
何か、方法がある筈だって。
会ったばかりだけれどー
これからもずっと、ファイと一緒にいたかったから。
一生懸命考えてを思いついた、一つのこと。
俺が必ず助けると、決めたんだ。

学校が終わるのを待ちかねて、放課後、森へと駆けて行った。
息を切らして病院に入ってきた俺に、何もそんなに慌てなくたってとあきれつつ、ドクターは
服を用意してくれた。すぐに着替えて小部屋を通り、病室の扉の前に立つ。
この中に君がいる。
そう思うと、やっぱりドキドキする。
どうしてこんなに胸が高鳴るのか、分からないけれど。

冷たい蛍光灯の明かりの元、静かに扉を開けると、
扉の中から、白く柔らかな光が溢れた。
無機質な部屋の、唯一優しい存在。真白いカーテン越しの光。

その光に包まれるファイが、オレを見てふわりと微笑んだ。
透ける白い頬、煌く金の髪、深い蒼の瞳。

ドクンと心臓が大きく、跳ねた。

「ー来てくれたんだね、黒たん」
囁くような声は、どこか嬉しげで。それが嬉しくて、ついつられて笑ってしまう。
しかし、どうしても聞き捨てならない言葉があった。
「おい!黒たんって何だよっ」
「初めてのお友達だもん。あだ名で呼び合おうよ?オレこういうの、はじめてー」
そう楽しそうに言うので、文句を言いづらくなってしまった。
まあ、呼び方くらい何でもいいか・・。
しかし、オレのことはファイたんと呼んでねという提案は、断固として拒否しておいた。
「なんでー?言ってみてよ。ほら、ファイたん」
「・・ファ・。・・・。
そんな恥ずかしい呼び方言えるか!死んでも言わねぇ!!」
むきになった俺に、ファイはけらけらと笑った。
金の髪がサラサラと揺れる。
「ほら黒鋼君、ファイ君をあんまり笑わせないで。心臓に良くないわ」
様子を見ていた女医が、眉をしかめて俺に注意した。
「え、こんなことも体に悪いのか?」
「ファイ君の為を思うなら、あまり刺激を与えないようにって言っているでしょう」
俺に鋭い視線を送った割に、1時間後にまた来ると言い置いてドアを閉める際、
「ファイ君て、あんなふうに笑えるのね」
と嬉しげな響きを含んだ小さな声が聞こえた。
厳しい医者だけれど、やはりこの人もファイのことが好きなのだ。
笑うくらい、自由にさせてあげられたら。
ファイに、元気になって欲しい。

俺は椅子に座って、今日の本題を切り出した。
一生懸命考えて、俺が思いついたこと。
ファイの顔を真正面から見る。人形のような、整った顔。宝石のような蒼い瞳に、金の睫毛が長い。
思わず見惚れてしまうけれど、まずはこのことを聞かなくては。
「今日は大事なことを聞きに来たんだ」
改まって言うと、ファイは小首を傾げた。
「なぁに?」
「おまえ、何か欲しいものはないか」

俺が思いついたこと。
ファイに、何か欲しいものがあれば、やりたいことがあれば、それに全力で協力しよう。
なかなか出来ない、大きな夢のほうがいい。
夢の手伝いをして、その夢が叶うかもしれないと思うようになれば。
希望があれば、生きたいと、強く願うようになるはずだから。
きっと元気になれるはずだ。

「え?欲しいものー?うーん、特に・・」
「何でもいいんだぞ。何かないのか?
ゴジラの特大フィギアとか、野球選手のサインとか、原始人のニクとか」
指折り数えて自分の欲しいものをあげていると、ファイがくすくすと笑い出した。
「原始人のにくって何ー?」
「おまえも欲しくねぇか?漫画でよくあるだろ、骨の真ん中に肉が・・て、俺のことはいいんだっ!
物じゃなくて、やってみたいことでもいい」
「やってみたいこと・・?うーん、ないなー。どっちみち、出来ないしね」
「出来ないって・・。外出たい、とか思うだろ?!」
「出られないもの」
ファイは細い人差し指を口元に当てて、大きな蒼い瞳を瞬かせた。長い睫毛が揺れる。
考えてもみなかったことなのだろう。
「だから・・っ」

出来なくたって、夢くらい。
きっとファイは昔から、全て諦めているのだ。出来ないから、夢をみない。



そうだ。
俺の出来ること。

ファイに、欲しいもの、やりたいことを持たせるんだ。
俺は病気のことも薬のこともよく分からないけど、やっぱり病気は気からだ。
叶えるとかまでいかなくて、まずファイに夢を持ってもらわないといけない。
ファイが、生きたいと強く願うようになれば。
きっとそうしたら、死ぬなんて言わなくなる。

そうしたら、きっと生きていけるんだ。




それから俺は、毎日ファイの元へ行っては、色々な話をした。
「さっき釣りしてたら、こんなでっかい魚が釣れたんだ!すげーだろ?
こーんな、おっきかったんだぞ!」
「うっそぉ、それ大袈裟だよー。本当はこれくらいでしょー?」
両手を思い切り広げた俺に向けて、ファイは親指と人差し指をちょっと広げて笑った。
「本当だって、こんくらい!釣り上げるのが大変だったんだ!魚と俺との戦いだ。熱戦だったんだぞ?!」
拳を震わせる俺に、ファイは熱戦だったんだぁ、なんて囁いて、楽しそうに頬杖を付いた。
「そんな大きな魚、どこにいたのー?」
「ここのそばだ。森の中。昨日ここ来た帰りに森探検してたら、大きい泉発見してな!
覗いたらでっかい魚が見えたから、今日釣具持ってきて釣りしてたんだよ。
釣った魚はもう泉に戻しちゃったんだけど」
「黒りんは、お魚さんにも優しいんだね」
白い手で頬杖をついて、ちょっと目を細めて俺を見るファイに、思わず喉が詰まる。
「その泉、な。今日天気がいいだろ?周りの緑が水面に映りこんで、すごく綺麗なんだ。
風が吹くと、水面がキラキラして。
秋になったら葉っぱが泉にいっぱい落ちて、一面紅葉色に染まって・・青空の日はきっと、今日よりもっと綺麗だ」
「わあ、すごいねー」
「それまでに治せよ。治ったらおまえも一緒に行こう。こんなおっきい魚の釣り方、教えてやるよ」
「ん・・」
ファイは、ほんの少し頷いて、静かに微笑んだ。


『オレも行きたい』『オレも欲しい』って言葉が聞きたくて、
毎日行くたび色んな話をした。

でもおまえはいつも笑って聞くばかりで、

一度も『行きたい』とは言ってくれなかった。

諦めたように笑うばかりで、


一度も。



(くっそー・・!どうしたらこいつの考えは改まるんだ!!!)
全敗中の俺は、膝に手を付いて深くうなだれた。
「どったの?黒にゃん。元気出してー?」
おまえのせいだ。
今日も俺は、ファイの部屋に来ていた。始めてここに来た日から、いつの間にか数ヶ月が過ぎていた。
体調を崩しているという日は入れてもらえなかったけれど、俺は毎日病院に通っていた。
少しづつ、会えない日が増えている気がする。
早く、ファイに夢を持たせて、生きたいと強く願ってもらわないと、取り返しの
つかないことになってしまう。

「黒たん、元気ないねぇ。何か元気の出ることしようよー。ゲームとか」
「ゲームか、いいな。でも道具持ち込み禁止だよな。何が出来るかなあ。うーん、あっちむいてほいとかか」
「わあ、オレやったことないー。やろやろー」
「いや・・ダメだ危険だ。白熱すると結構運動量あるんだよなアレ・・。
首外れそうになったことがあんだよ」
白熱しすぎだよぅと、ファイが笑う。ファイが笑うと、心があったかくなる気がする。
こんな時間がいつまでも続けばいいのに。明日も、明後日も、この先ずっと、会えたらいい。
「そうだ、にらめっこするか!俺強いぞ」
「にらめっこ?本で読んだことがあるよ。先に笑ったほうが負けなんでしょー?」
「よし、今からだ。もう笑うんじゃねぇぞ!」
「オレも負けないからねー」
始まりの掛け声と供に、ファイはぴたりと真顔になった。
そういえば、こんな風にファイの顔をじっくり見るのは初めてのような気がする。
瞳が水色に透けて、宝石みたいだ。
一本一本が綺麗な金色の、長い睫毛。
鼻は小さく通ってて、唇は薄桃色。
肌は真っ白で、西洋人形みたいなー
「・・ふッ・・あっはははっ」
突然ファイが弾けるように笑い出して、驚いた。
「えっ、何?!何笑ってんだ」
「だっ、だって黒るん、凄いぼーっとした顔してるんだもんーっっ。
強いって言うだけあるね、これはおかしいよー」
「しっ失礼だなおまえっ」
見惚れていた時の顔が、ボケ顔だったようだ。
けらけら笑っていたファイが、ふいに咳き込んだ。
「あっ大丈夫か?!」
「・・だいじょ・・っ」
言いかけて激しく咳き込んだファイは、うつむいて苦しそうに掛け布を掴んだ。
「ファイ!!」
さすろうとして、触っちゃいけない、と言われたことを思い出した。
「ドクター!ファイが・・」
「待っ・・て・・っ」
部屋を駆け出そうとした俺を、ファイは苦しげな呼吸で引き止めた。
「大・・丈夫。まだ、呼ばないで・・」
潤んだ瞳で。こんなに、苦しそうなのに。




『君とまだ一緒にいたいから』と、言っているように聞こえた。

そう思ってしまう俺は、

そうだ。

とっくの昔に、君に恋をしていた。






病気に関して知識ゼロなので、この辺おかしくねぇかと思ってもどうかさらっと流して下さいね!
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