バナー
翼のない天使D

「わあ・・」
樹々に透かした空を見上げて、ファイは目を輝かせた。
潤んだ蒼の瞳に、紅葉の輝きが映りこんで、魔法みたいな色になる。
「重なった葉っぱに光が透けて、すごいだろ?今が秋でよかったな。きっとこの季節が一番綺麗だ」
「窓越しの森と、全然違う・・」
サラサラと森が囁く音。瑞々しい香り。小鳥の鳴き声。
「光の落ちる、音がする・・。生きてる、匂いがするね。
風が吹くたびに光の粉があふれて、降ってくるみたい・・」

草原に座って、光の零れる大木を仰ぎ見る。
そんな、普通の人には他愛もないことが、ファイにとっては生まれて初めての、心が震えるような出来事。

「信じられない・・すごいね。夢、みたい・・。
色んな小鳥さんの歌声が響いて、硝子の竪琴みたいだね。どこにいるのかなー」
「向こういるぞ」
「どこー?あ、可愛い」
梢でさえずる茶胸に蒼羽の小鳥を、宝物を見るような瞳で見る。
「外って、こんなに眩しいんだね。果てがなくて・・くらくらするくらい・・・」
「もっと向こうに、見せたかった泉がある。連れてってやるよ」
「うれしいな。本当に、夢みたい・・」
ファイは胸に手を当て、目を閉じた。この風景を、焼き付けようとするかのように。

病気が治ったらこんな景色、何度だって見られると、言いたかったけれど。
何故か口には出せなかった。
今、この時間が。幸せなのだけれど。
同時に、どうしても隠せない、胸の奥の不安。

森の奥、紅葉色に煌く泉の前で、歓声が響く。
「すっごーい・・きれい。あ、お魚跳ねた!見た?」
「ああ、今のは小さかったけど、底の方に大物がいっぱいいるぞ」
泉のほとりに座ってその輝きを眺める、ちょっと上気した横顔は本当に嬉しそうで、胸が詰まる。
「足、泉にひたしてみろよ。気持ちいいぞ」
靴を脱ぎ、恐る恐る白い足の先を浸したファイは、笑い出した。
「つめたーい、おもしろーい!」
「水切りって知ってるか?俺得意なんだ」
「みずきり?」
見てろよ、と立ち上がり、小石を横投げにして空を切る。
小石は水面を滑り、3回跳ねてから泉に吸い込まれた。
「えー?魔法みたい。オレも出来る?」
小石を渡してやると、ファイはちょっと気合を入れた様子で石を投げた。が、すぐにポチャンと音を立てて
水底に沈む。
「力ねぇなあ、1mも飛ばなかったじゃねぇか」
「しょ、しょうがないでしょー・・初めてなんだもんー」
ちょっと頬をふくらませるファイは、石に触れたのも、物を投げたのも初めてなのだろう。
腕の向きはこう、などと指導してやり、もう一度投げさせると、今度は2mほど飛んだ。
「やった、さっきより飛んだ!こんな楽しいの、初めてだよー」
そう言って、嬉しそうに空を仰ぐファイは、とても幸せそうだから。
連れて来てよかった。こんなに楽しそうだから。きっと、元気になれる。
ファイが息をつき、こてんと俺の肩に寄り掛かった。金の細い髪が、首をくすぐる。
ドキッとしたけれど、その顔を見ると、僅かに顔色を悪くしているように見えた。

考えないようにしていたことが、脳裏を掠める。
ファイが言ったこと、ドクターが言ったことー

もし本当に、今日が最後だったら・・、

とたんに、また不安に襲われて。
思わずその細い手を掴んだ。

そんな俺に、ファイはその蒼い瞳を向けて、ふわりと微笑んだ。

君が、微笑むから。
今日は明日に続くと、そう信じよう。
必ず明日は来て、明後日も来て、この時がずっと続くと。

「ファイ・・大丈夫か?」
「ん、平気」
「今から俺んち行って休むか。母さんも歓迎してくれるはずだし」
「・・おかあさん・・?オレも行って、いいの?」
ちょっとはにかんだファイに頷いて、ひょいとおんぶしてやった。
おぶっても、重みが全くない。熱も感じないので、本当に自分の背にいるのか不安になるけれど。
肩越しに回された細い腕に、ファイの存在を感じた。しっかりと、俺を掴んでくれていたから。

病院の森から家までは、あまり人通りのない道だ。
誰も来ないだろうと油断して歩いていたら、曲がり角の向こうから2・3人の聞き慣れた声がしだした。
「うわ!マズい」
さっと道の脇の茂みに隠れた俺に、ファイが不思議そうな顔をした。
「何で隠れるのー?」
「そういや今日、学校あったじゃねぇか!向こうから、いつも一緒に学校行ってる連れが来るんだよ」
「そっか、ごめん学校休ませちゃったねー。黒たんのお友達って、どうゆう子ー?」
角の向こうを覗こうとするファイの頭を、慌てて抑えた。
「顔出すなっ。見つかったらややこしい」
「ふふ、見つかっちゃ駄目なのー?何だか指名手配犯にでもなったみたい。おもしろいねー」
面白がってる場合ではないと真剣に注意し、息を殺していると。
「えーい♪」
「ぶっ」
ファイが俺をくすぐった。
「くすぐんな!笑うじゃねぇか!!・・・あ」
思いっきり叫んでしまった。思わず、茂みから立ち上がって。
「あーっ黒鋼だ!!」
「おまえ寝込んでんじゃねぇのか?!」
案の定、ちょうど曲がり角を曲がってきた友達に目撃されてしまった。
「ほらみろ見つかったじゃねぇか・・て。え?寝込む?」
「さっきお前の母ちゃんがそう言ってたぞ!お前寝込んでて、ひょっとしたら恋の病かもしれないって」
「恋の病?!」
か、母さん。どう言い訳しようか言いあぐねていると、さっきまで噛み付いていた連れが突然黙った。
不思議に思って顔を上げると、皆一様に赤くなって、俺の裏を注視している。
嫌な予感がして振り向くと、やはりファイが茂みから顔を出していた。
「わっ!おまえ隠れてろよ!!」
「誰だよこの子?!ま、まさか、恋の病って・・冗談じゃなくて・・」
「おいっ、こんなムチャクチャ可愛い子が、黒鋼のカノジョなんてことないよな?!」
「カノ・・?!」
カノジョ?!
そんな風に見えるのだろうか。
思わずファイを見ると、そのムチャクチャ可愛い顔でにっこり微笑んだ。
「そうだよーv」
「えーーーーっっ?!?!」
友達の叫び声より、俺の叫び声の方が大きかったように思う。
「ずるいぞ黒鋼!いつの間にー!」
「デートするから学校サボるんだな?!」
一から説明するのも厄介なので、この誤解にのっておいた方がいい・・のかもしれない。
「そ、そういうことだっ。お前ら、このこと学校で話したらタダじゃおかねぇからな!」
「じゃあ僕、握手してくれたら黙ってまーす」
「おれもおれもーっ」
連れがとんでもない提案をしてファイの前に手を差し出すと、ファイも何だか楽しげに細い手を差し出した。
「だーっ!てめぇら気安くファイに触んじゃねぇ!俺だって今日初めて手ぇ握ったんだぞ!!」
「えー?黒鋼って意外と度胸ねぇんだなー」
「カノジョなんだからちゅーくらいしとけよー」
カノジョ?!ちゅー?!
「うっうるせえ、さっさと学校行けーっ!」
思わず拳を握り締めて叫ぶと、今度僕らとも一緒に遊ぼうね、などとファイに手を振りつつようやく去っていった。
「あはは、面白いお友達だねー。オレのこと、女の子って勘違いしてるみたーい。変なのー」
ファイはけらけら笑っていたけれど、俺はそれ所じゃなかった。さっきの言葉が頭にこだまして。
『そうだよーv』
『カノジョなんだからちゅーくらいしろよー』
ファイはカノジョだと言い、カノジョならちゅーくらいしろと言う。
まさか、ファイにちゅーしてもいいのだろうか?!
ドキドキしながらファイをちらりと見遣ると、ファイは小首を傾げて微笑んだ。
「ねっ、黒たんち行くんでしょ?早く行こーv」
「あっ、そうだよな。そうだったよなっ・・」
「どったのー?」
ファイのあの言葉は、冗談だったのかな。
ファイは俺を好いてくれてるけれど、そういう『好き』じゃねぇのかな・・。

何となくちょっとギクシャクしながらも、無事家にたどり着いた。
「ここが俺ん家だ。よかった、母さんもいるみたい」
「・・おかあさん・・」
ファイは呟くように言って、俺の家を見上げた。
ファイの母親は、ファイを生む時に亡くなったという。
母親を知らないのだ。
ファイはきっと昔から、母というものを色々想像してきたのだろう。
「黒鋼、おかえり。あら?そっちの子は・・」
門前の声が聞こえたらしく、母さんが出てきた。
「・・あなたが、ファイ君?」
そう言って、ファイの顔を覗き込んだ。
「こ・・こんにちは」
「ほら、お上がりなさい。ゆっくりしていきなさいね」
母さんが微笑むと、ファイも少し恥ずかしそうに笑った。

居間でちょっと緊張して座るファイに、楽にしていいのよ、と母さんが笑いかける。
「何か食べられる?」
「食べ物は、食べられないんです」
「飲物は?」
「多分、ちょっとなら大丈夫・・」
「じゃあ母さん、ミルクセーキ作って!母さんのミルクセーキ、すっごくうまいんだ」
「ふふ、待っててね」
台所へ立った母さんを目で追って、ファイが独り言のように呟いた。
「あの人が、黒たんのお母さん・・」
「ああ」
「お母さんって、あったかいんだね」
そう言って、ファイは少し頬を赤らめて微笑んだ。

台所からいい匂いがしてきて、母さんがカップを二つ持ってやって来た。
「お待たせ。はい、どうぞ。ふーふーしなさいね」
「いい匂い・・」
こくんと一口口に含んだファイは、おいしい、と微笑んだ。
「な、そうだろ」
「優しい味がする。オレ、こういうの初めて飲むー」
「お口に合って、よかったわ」
「ありがとうございます」
ファイがお礼を言うと、母さんは笑ってファイの頭をそっと撫でた。
「飲み終わったら俺の部屋行こう。宝物がいっぱいあるんだ、見せてやるよ」
「本当?うれしいなー」

俺の部屋で、ファイはすごおい、と部屋を見回した。
「わー、おもしろいものがいっぱーい!ねぇ、これはなぁに?」
「これはカメラ。紙なんだけど、ちゃんと写るんだ」
「すごーい!じゃあ、これはー・・・あれ・・?」
ベットに座っていたファイが、突然手を付いた。

え?

「おい、大丈夫かっ」
体を支えてやったけれど、重みを感じない。あまりに軽すぎる身体が、隠していた不安を煽る。
「ん・・大丈夫、ちょっと眩暈がしただけ・・」
ファイは笑って言ったけれど、少し苦しそうだった。

嫌だ。

「寝たほうがいい、このベット使えよ」
大丈夫だと言うファイの体を横たえて、布団を掛けてやった。

怖い。

やっぱり、病院に戻ったほうがいいのかもしれない。
でも、戻ったってー
心の隅に追いやっていた、ファイの言葉がよみがえった。
ー違う。
本当に、今日が最後、なんてことは。
そんな訳、ないんだ。

「大丈夫だって・・。じゃあ、黒りんも一緒に寝よ?」
「えっ」
「・・嫌?」
ファイが、ちょっと顔を曇らせた。
「いっ、いやじゃねーよ!いいのか?入るぞっ」
恥ずかしかったけれど横に潜り込むと、ファイの嬉しそうな顔がすぐ横にあって、ドキドキした。
「黒りん、あったかい」
そう言って擦り寄るから。
きっとまだ大丈夫だと、信じたかった。

「このお部屋で・・黒ぽんはちっちゃい頃から過ごしてきたんだね」
天井を眺めて、ファイが囁くように言った。
「うれしいな。このまま、時が止まればいいのに・・」
「そうだな。本当に、止まればいい」

今はもう

何時になってしまったのだろう

本当に 今日が終わったら

君とは


「黒りん?」
隠した恐怖に飲まれそうになって、ファイを思い切り抱き締めた。震えだした手に力を込めたけれど。
力をいくら込めても、震えは止まらなかった。
「黒りん、大丈夫だよ」
ファイはそんな俺を、そっと抱き締め返した。
「・・情けねぇな。俺が慰められてどうすんだ・・」
呟く俺に、ファイはくすりと笑った。
「初めて会った日のこと、覚えてる?」
「え?」
「オレ今まで、窓を開けようだなんて思ったこともなかった。
開けちゃ駄目だって言われてたしね」
天井に向けられた瞳は、もっと遠くの過去を見ているようで。
「でもあの日、自分でも分からないけど・・。窓、開けなきゃって思って・・初めて開けたの」
そう言って、綺麗な蒼の瞳を俺に向けた。
澄んだ蒼。空より、泉より綺麗な。
「そしたら、君がいた」
風が吹いたあの日、呼ばれるように俺は君の元へ行ったのだけれど。
君が窓を開けたのも。
「ずっと、どうして窓を開けたのかって、考えてたんだけど・・今は分かるよ」
ファイは俺の肩に頭を寄せた。
「黒たんが、そこにいたからなんだね」

君も、呼ばれるように。
人はそれをー

「そしたら君、なんていったか覚えてる?」
「え?俺・・何て言ったけ?」
「木に登ろうとして、なかなか登れなくて、言ったんだ。『おまえ、飛べるんだろ』って。
変だよね、オレその言葉を聞いて・・。・・・本当に、飛べる気が、したんだ・・」
ファイは、瞳を閉じた。
「一瞬だけ、何でも出来る気がした」

一瞬だけ。
俺の言葉で。
なら、俺が呼ばれたのは。
風があの日、吹いたのは。

ファイの手を、強く握り直した。
「一瞬じゃない。出来る、何だって」
いつの間にか、夕刻が迫っていた。

俺を呼んだのは君。君を呼んだのは俺。
出会ったことには、意味があるはずだ。

「なあ、起きれるか?今から丘の上に行こう」
「丘?」
「自転車の後ろに、乗せてってやるよ。丘から見る夕日、すごいんだ」

「もう行くの?」
出掛けようとすると、母さんが出てきた。
「はい、ありがとうございました」
お礼を言うファイを、そっと抱き締めて、母さんは言った。
「また、おいでなさいね」

自転車の後ろに乗って、見送る母さんを振り向き、ファイは微笑んだ。
「気付いちゃった。黒たんのお母さんの笑い方、ドクターがたまにする笑い方と似てる。
オレにとってのお母さんって、ドクターなんだ・・」
「ああ、夕日見たら、ドクターのところ、帰ろうな。おまえのこと、心配してるから」

ファイと遊んで、夕暮れになったら家に送るみたいに、何でもないことのように返事をした。
家に送ったら、明日もまたファイと遊べるみたいに。



あの日君が窓を開けたのは、俺と出会うため。

飛び立つためでなく、俺と会うため。

それに意味があったなら、きっと。







よっしゃ!次くらいで完結できるんじゃね?!
直線上に配置
|戻る|