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翼のない天使E

大丈夫か?ちゃんと掴まれ。気分悪くなったら、すぐ言えよ」
ファイは頷き、自転車って初めて、と少し不安げに俺の腰に手を回した。
後ろに乗せても嘘みたいに軽いから、ペダルを回すたび、ぐんぐんスピードに乗る。
「わあ!早い早い!風になったみたいー」
「もっと早くこいでやろうか」
「すごーい、景色が流れてく!楽しいーっ」
背中越しにファイを見ると、不安も風と一緒に吹き飛ばされたように笑っていた。
「ねえ、遊園地のジェットコースターって、こんな感じ?」
「こんなもんじゃねぇよ。この百倍くらい」
「えー?!想像できないー」
「治ったら連れてくよ、遊園地。一緒に乗ろう」
治ったら。その言葉が、今なら言えた。
風のように、自転車をこいでいると。背中にファイを、感じていると。
ファイがあの日感じた、気持ちのように。
何だって出来る。
そう、強く感じた。

夕暮れ時、景色の変化は早い。丘を目指してこいでいくうち、空の色がみるみる変わっていく。
「地平線が、夕焼けの赤に染まってきた・・お空はまだ青色なのに。
色の境が、すごく綺麗だね。青空の雲も、ふちだけ夕焼け色に光ってる・・」
魔法の絵の具みたい、と囁いて空を仰ぐ。風が金の髪を流し、煌いた。
「こんなことが出来るなんて・・こんな景色が見れるなんて、黒たんのお陰だね。
黒たんて、魔法使いみたい」
背中に頬を摺り寄せるファイに、笑いかけた。
「もっとすごいもの、見せてやるよ」
長く続いた緩やかな登り坂も、あと僅か。
「もうすぐ、丘の上だ。ほら」
「わあ・・」
丘の上からは、街中が見渡せる。森、家々、遥か向こうには海。全てが小さく見える。
地平線一面夕日の輝きに染まり、それは遥か遠く、どこまでも続いていた。
そしてその向こうには、のまれそうなほどの、大きな夕焼け。
「綺麗、涙が出るくらい・・」
「あの森だな、おまえの病院があるのは」
「あんなに、小さいの?あの場所が、オレの世界の全てなのに。
こうしてここから見ると、・・なんて小さいんだろ・・」
ファイの瞳が潤んで、その蒼に美しい情景が写り込む。
「でも、出られたじゃねぇか。これから何度でも来よう。一緒に、この景色を見に」
「来れる、かな・・」
「当たり前だろ?」

自転車から降りて、二人で丘に座った。
少し風が吹いてきたので、ファイが肩にかけていたブランケットを、頭からかぶせ直してやる。
するとファイは、こうする方があったかいよ、とブランケットの半分を俺にかぶせた。
お互いのぬくもりで、ふわりとあたたまる。
「ね?」
ファイの微笑みは、ブランケットよりあたたかく感じた。
白い頬が、夕焼け色に染まる。肩に少しかかる金色の髪も、夕日色の輝きをはじいてキラキラした。

ずっとずっと、一緒にいたい。
明日も、明後日も、この先、ずっとずっと。
だから。

「俺、ファイのこと、好きなんだ」
「オレも、黒たんのこと、大好き」
頬にそっと口付けると、ファイはくすぐったそうに笑った。
「お口にはしてくれないの?」
ちょっと頬を染めたファイが、小首を傾げて微笑んだ。
心臓がドキドキしたけど、ファイの手を握ったら、ファイのほうがもっとドキドキしているのが伝わってきた。

大好き。

心からそう思ってくれていることが伝わってきて、胸が苦しくなった。
瞳を閉じたファイに、
唇に触れるだけのキスをした。

いつまでも、一緒にいられるように。

「今日一日、今まで生きてきた全部より、ずっとたくさんのことができた。
楽しかった・・」
「これから、もっと色んなところへ連れてってやるよ」
「生まれてきて、よかった。オレ今、すごくすごく、幸せ」
「これから楽しいこと、もっといっぱいあるぞ」
「・・もう、十分過ぎるくらい・・」

ファイはそう言って、微笑んだ。
ー何故か。
瞬間。

夕日の赤に、焦燥感を覚えた。
その微笑みが、儚く見えた。
今にも、消えてしまいそうな。

「十分、なんて・・言うなよ。まだ、おまえが見てないもの、いっぱい・・」

無性に怖くなって、ファイの手を掴もうとした。
「・・っ」
掴もうとした白い手は、地に落ちた。ファイが、俯いた。
「ファ・・?」
その時、遠くから大きな音が迫った。
強い風の音。
突風が吹き抜け、ブランケットは宙に舞った。

君に呼ばれたあの日と同じ突風が。
あれはやっぱり、天使の羽ばたきだったのだとしたら。

飛び立ってしまう。

ファイの髪が白い服が、強風にまき上がった。
ふわりと、その身体が宙に消えるようで。
行ってしまう。

「ファイ!」

天使が、空へ帰ってしまう。

風の中、その手を掴んだ。
ファイが、顔を上げた。苦しげに息を継ぎながら、微笑んだ。

さよならと、

言われるかと思った。



「しにたくない・・っ」

涙が零れ落ちた。ファイは、泣いていた。
思い切り抱き締めても、人形のように身体を任せるだけだった。
「大丈夫だ、死ぬわけなんて」
「くるしい・・」
やっぱり嫌、離れたくない。
掠れた声でファイが途切れ途切れに言った。
「離れない、ずっと一緒だ」
「くすりがきれたみたい」
「え?」
「くすりがきれたらもうだめなの」
唇が動くだけの言葉。風にかき消されて。

「はなれたくない」

でも、俺には聞こえた。風に舞い散る、その涙も。

ファイを、力の限り、抱き締めた。


あの日、俺を呼んだ透明な声。
あの風は、天使の羽ばたきではなかった。
だって君には翼はなかったのだから。
あの風は、君の声。
俺は君の声を、待っていたんだ、丘の上で、ずっと。

俺の言葉に、何だって出来る気がしたんだろう?
生きたいと望んでいるんだ。
その声が俺には聞こえる。
オレはもうすぐ死ぬの、そう言った君と、今の君は。
もう、違うんだ。
俺達は、出会ったのだから。

だからー




「好きだ。どこへも行くな」


ファイは僅かに頷いて、瞳を閉じた。涙が一筋、流れた。





風がやんだ。







・・・・・・











見上げると、光の射す緑の森が眩しかった。
ここを訪れるのは、何年振りだろうか。

幼い頃、別世界に通じてるんじゃないか、不思議なものが隠されてるんじゃないかとか、
噂していた森。今はもう、自由に出入りできるようになっていた。
病院は取り壊され、跡形もない。

大切なものが、隠されているんじゃないかと。そんな気がして、いつも眺めていた。
風に呼ばれ、君の声が聞こえて、駆け出したあの日。
天使と出会った。

結局、森は異世界へのトンネルではなく。
君も天使ではなかった。
そう、君は空へ帰らなかったのだ。


ファイは今、目の前にいる。


「懐かしいねー。・・黒たん?どうしたの?」
振り向いて笑う君は、その綺麗な笑顔はそのままだけれど、お互い背も伸びて、少年から
青年と呼べる時期に差し掛かっていた。
と言っても、ファイの吹けば飛びそうに華奢な骨格はそのままだけれど。


天使に会いに森に行った、幼い日。


「こうしてここに来れるのも、全部、黒たんのお陰だね」

最後だといわれたあの日。
本当はあの時、ファイの時間は止まるはずだった。

「病気は気からだって、言っただろ」
「はは、まあそういうこと、かなー?」

止まるはずだった心臓。
なのに、病院に連れ帰ったファイの心臓は、まだ微かに動いていた。

止まるはずだった時間。
なのに、それから。
少しずつ、少しずつ、また、動き出したのだ。

病院跡に立って、あの日のように、空を仰いだ。
あの辺りに窓があってー思い描こうとした、その時。

ふいに。
あの日と同じ、強い風が吹いた。
木の葉が風に乗って、大空へ吸い込まれていく。

一瞬、病室から窓を開けた、幼い日のファイが見えた気がした。
白いカーテンが、大きく空へ舞い上がり、
金の髪が、ふわりとたなびいてー

あの風は、天使の羽ばたきではなく、
窓枠を離れた白い指は、空に飛び立つことはなくー

そうだ。翼のない天使は、俺へと降りてきたのだ。

窓を開けて、俺の元へ。

草原に座ると、ファイがふざけたように俺のひざに乗り、抱きついてきた。
「色々、思い出すね」
俺の首に腕を回して空を見上げるファイの、細い顎をすくう。
そのまま口付けると、戸惑った風にちょっと首をすくめた。
「こんな外で、誰か来たら」
「来ねぇよ、こんな森の中になんて誰も・・」
「・・何をしているの、あなた達」
「きゃああああああ!!!!」
ファイが真っ赤な顔をして俺から飛び降りた。
「久しぶりね、元気そうで・・何よりだわ」
その声に振り向くと、俺の背後に、いつの間にかドクターが立っていた。
「あのねっドクター、今のは!別にオレ・・っ」
「幸せそうで、私もうれしいわ」
慌てる様子を見て、ちょっと笑いを堪えている風のドクターは、愛おしそうにファイを見た。
「後から訪ねようと思ってたんだが。よく俺らがここにいるって分かったな?」
「偶然。あなた達が久しぶりに帰ってくるって連絡受けてたから、ちょっと病院跡に来てみただけよ。
本当、懐かしいわ」
そういって、ドクターは、俺と同じように、ファイの病室辺りの虚空に視線を移した。
きっと、その目には。俺と同じように、幼い日のファイが写っているのかもしれない。
「今でも、不思議だわ。あの状態で、あんなことして、なのに・・」
ー止まらなかった心臓。
「きっとあのまま病室にいたら、もうここにファイ君はいなかったかもしれないわね。
外に出るなんて、本当は自殺行為なのだけれど。それが、心臓を動かしたとしか、
思えないのよ」
限界に達していたはずの身体は、それでも何とか時を動かし続け、その後、特効薬が開発された。
「あの治療薬が出るまで身体がもっていて、本当によかった。
強い気持ち、大切な出来事。きっとそれが、ファイ君の時を動かしたのね」

開発された特効薬により回復したファイは、じき退院できた。
そして、複雑な家庭とは離れ、ドクターの家に住まって学校へ行くようになった。
無理をしなければ、自由に外に出られるようになったのだ。



一緒に、遠くまで、どこへでも。どこまでも。
行けるようになったのだ。



高校卒業と同時にこの地を離れ、二人で遠くに住んでいる。なかなか帰ってこれなかったけれど、
久しぶりに帰って来れた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
改めて挨拶をして、3人で笑いあった。

「・・天使みたいだって、言ってたわね」
森を出て、丘へ向けて3人で歩く。俺が昔、いつも座って森を見ていた小さな丘。
「オレのこと?黒たんが?」
「な!そゆこと言うなよ!!」
目をぱちくりするファイに知られたのが恥ずかしくて、思わず叫ぶと、ドクターは少し遠くを見て笑った。
「私もよ。ずっと、天使みたいだって、思ってた。いつか、空に帰ってしまうんじゃないかって、
心のどこかで・・」
丘の上に立つ。ここからは、ファイのいた森がよく見える。
「それが、いけなかったのね。
この子から翼を取ったのは、ここにとどめてくれたのは。きっと、黒鋼君よ」


翼のない天使は、空ではなく。
俺の元へ。


「よかったわね」
「うん、黒たんに会えて、よかった」

ファイは微笑んで、俺の手を取った。

その時、風が吹いた。

あの日と同じように。

一瞬の、強い、透明な声。
まるで、悲鳴のように聞こえた、俺を呼んでいる、俺を待っている。
そう感じた風は、今は。

「ね、黒たん」
小首を傾げて微笑むファイの細い手を、強く握った。


風は、今は。




君の幸せそうな笑い声と、
翼がはじけ、羽根が舞い散るような、音に聞こえた。









翼のない天使・完






おおおわったぁぁぁぁっvvvvめでたしめでたしv
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