魔物退治のお坊さん・完結編・弐
数千年の時を過ごすオレにとっては、
君といたのはほんの僅かな時間。
でも、この先
永遠とも思える時を過ごすのだとしても、
きっと何度でも、思い出すよ。
胸が苦しくなるほどの、
瞬きさえにも満たない、この時を。
穏やかな風がそよぐ、静かな昼下がり。
まだ少し肌寒いけれど、日差しの中にやわらかなぬくもりを感じた。
少ないながらも木々や草には、瑞々しい新芽が芽吹いている。
最近庭になど目をやる暇はなかったから気が付かなかったけれど、
いつの間にか、春は始まっていたのだ。
「こんな状況でも、季節は巡ってるものなんだな」
「そうだねー。もう少しで、桜も咲くのかな・・」
久々だ。
こんなに辺りが静かなのは。
こうしてファイと過ごすこともー
本当に、久しぶりのことだった。
魔物が、冬の訪れと共に徐々に増えだしている。
春に差し掛かった今、それらはますます強大化しおり、被害は絶えることがない。
ファイの言う“時期的なもの”である魔物の進行が、まだ加速するのであらば、
ーこの世界はいずれ、魔物に支配されてしまうのではないか。
そんな畏怖懸念が巷で囁かれ、世間も不安定になっていた。
魔物退治の依頼を受けるまでもなく、寺にいても魔物が現れるという状況で、
最近は昼夜問わず魔物退治に明け暮れている。
そしてその魔物の波に引き摺られた、とは本人の弁であるが。
俺の式神は、霊力をほぼ失くしている。
一時的なものだというけれど、徐々に力を失くしてゆくファイを見ているのは。
まるで、消え行く世界を見ているような。
自分の中で、この精霊がどれだけ大きな存在かということを、思い知らされる。
以来、魔物退治の為にファイを呼び出すことはない。
魔物がいない時だけ、式神を呼ぶ。
何の為の式神か分からないねぇ、とファイは少し寂しげに笑っていたが、
この綺麗な精霊を、危険な目に合わせるわけにはいかない。
初めて会った時からー
線の細さ故だろうか、この美しい精霊はいつかふいと消えてしまうのではないか、
そんな気持ちが、常に心の隅にあった。
只でさえ、今にも消えそうな程細いこの身体に、何かあったら。
精霊であってもやはり、大きな傷を受ければ死に至る。
そこらに魔物が蔓延っている今、万一のことを考えると下手にファイを呼ぶことも出来ない。
だからずっと、呼べなかった。
今日は、不思議なほど風が穏やかで。
ここの所いつも渦巻いていた不穏な空気さえ、その風にかき消されているようで、
だから、今日はファイを呼ぶことが出来たのだ。
「久しぶりに黒たんと会えて、本当に嬉しいー」
幸せそうに微笑むファイを見ると、心がふわりと温かくなる。
この笑顔を、いつも見ることが出来たら。
「今日は妙に魔物の気配がしねぇからな。・・ひょっとしたら、魔物が増える時期ってのが
終わったのかもしれない。
これでおまえの霊力も戻って、前みたいにいつでも呼べようになるかもしんねぇな」
本当に、そうだったらいい。
そう思って見上げた空は、靄がかかったような薄い水色をしていてー
その色に、どこか不自然さを覚えた。
ー 空は、こんな色をしていただろうか。
「ずっと一緒に、いられたらいいのに」
ファイは呟いて、小さな頭をそっと俺に預けた。金を梳いたような髪が肩に流れ、煌いた。
違和感のある、空の色。
それに気付いた時、ファイの声も何故か。
揺れている気がした。
「・・何、情けない声出してんだ。この分なら魔物もそろそろいなくなる、そうだろ?」
「・・うん、魔物はもうすぐ、消えるよー」
肩に頭を預けたまま、ファイは俯いた。
『もう、限界だから』
吐息ほどの囁きで。
ファイが、そう言ったような気がした。
「え?」
一瞬、隣にいるはずの精霊を、遠くに感じた。
「ファイ」
思わず呼びかけた俺に、式神はゆっくり頭を上げた。
細工を施したような、氷蒼の虹彩。真珠の肌に、小さな薄紅の唇。
差し込む柔らかな光の中で。
俺を真っ直ぐ見てファイは、この世の何よりも誰よりも、綺麗に微笑んだ。
ずっとここに、いて欲しい。
抱き締めたいと、思った。
「これ、買っておいてくれたんだね。うれしいなー」
ふいにファイが弾んだ声で、小皿にあけた薄桃色の砂糖菓子を摘み上げた。
小さな花を模った、子供用の菓子。
以前ファイが欲しがっていたのを思い出して、買い置きしておいたものだ。
「おまえ用だから、全部食えよ。俺はそんな甘ぇもんのどこがいいんだか、分かんねぇ」
俺の言葉にくすくす笑いながら、精霊は小花をカリリと噛んだ。
「可愛いし、甘いねv小皿に盛ると、桜みたいー」
お花見が出来たとうれしそうに言って、またもう一つ菓子を摘んだ。
「黒たんは、やさしいねー。ありがとうvはい、あーん♪」
「だから甘ぇもんは好かないってんだろ」
大袈裟にため息を吐いてみせて、差し出された菓子に目をやる。
小さな砂糖菓子よりも、それを差し出す白く華奢な指の方に目が奪われた。
硝子のように透き通った爪は、光に透けて淡い虹色に煌いている。
「ほら、食べないのー?」
ファイは微笑んで、俺の顔を覗き込んだ。
金の長い睫毛に縁取られた瞳、滑らかな頬。
世にも綺麗な顔をした、爪の先端までもが美しいー俺の、大事な式神。
消えたりなんか、するな。
菓子を退けてその白い手を取ると、精霊は不思議そうな顔をした。
「なぁに?」
「・・指。余計細くなってねぇか?もっと菓子食えよ」
「食べても、身にはならないんだけどねー」
「ああ、おまえのメシは俺か」
「もー、やな言い方ぁー・・」
ほとんど霊力は与えられないけれど、少しでも。
ファイを地上に留めたくて。
いつか消える、そんな予感を消したくて。
そう思って、深く深く口付けた。
俺の、何より大事な式神。
流れる薄い着物越しに抱き締めたその身体は、折れそうに細い。
ただでさえ細いのに、しばらく会えない間にさらに華奢になっている。
少し力を込めれば、壊れてしまいそうなほどに。
「一生のうちで・・今が一番、幸せだと思うのー」
俺の胸から顔を上げたファイは、そう言って微笑んだ。
「なんだ?大袈裟な奴だな」
「本当だよー。精霊はね、数百年、数千年も生きるんだ。
オレはもう何千年も・・数え切れないくらい、ずっと生きてきたけど・・
今が、一番幸せ」
果てしない時間。
人間である自分には、想像がつかない程の。
ずっと、おまえは。
幸せではなかったのだろうか。
「今が一番、じゃねぇ。
これからもっと、幸せになればいい」
するりと、
ファイが、俺の腕をすり抜けた。
何故か。
ファイのいなくなった腕の中は、まるで。
始めから、何も無かったかのように、
感じられた。
「永遠みたいな時を過ごすオレにとっては、君といた時間は、
瞬きくらいに・・ほんの僅かな時間なんだ。
でもねこの先、どれだけ時がたっても、
きっと、思い出すよ。
こうして、
黒たんと二人縁側で日向ぼっこしたこと、
お菓子買ってくれたこと・・
キスしてくれたこと、
抱き締めてくれたこと・・。
きっと、何度でも、思い出すよ」
俺の顔を見ずにファイは言葉を紡ぎ、空を仰いだ。
俺の、何より大切な、精霊。
「・・どれだけ時が流れても、どれだけ世界が移り変わっても。
地上に降りて、空を仰ぐたびに。
こんな穏やかな、光に包まれるたびに。
きっと、今日のこと、思い出すよー・・」
世界が。
静か過ぎる気がした。
この世に、他に誰もいないような。
妙にファイの言葉が響いて。
「例えオレが消えても・・忘れない」
どうしてだろう、声が出なくて。
「ごめんねー。今日静かだったのは、オレの仕業。黒たんに、呼んでもらいたかったから・・
お寺の周りに、結界張ってたんだ。・・最後の力で」
どうしてだろう、脚が、動かなくて。
「最後に、会いたかったの」
ファイが、泣いている。
「オレは、君のこと忘れないけど」
振り向いた美しい精霊は。
泣いてない。笑っていた。
ー笑っているけれど。
俺にはわかった。
本当はおまえはー
精霊は、
ふわりと天へ消えていった。
最後に、残された言葉。
「・・黒たんは、忘れてね」
それきりファイは、二度と降りては来なかった。
完!とか言ってウソウソ!!
まだ続きます。
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