魔物退治のお坊さん・完結編・四
「やっと来てくれたね」
彼のそのひどく優しい口調が、オレを支配する。
以前と変わりなく高座で穏やかに微笑み、漆黒の衣服を纏う。
その闇色に、飲まれてゆく。
覚悟を決めて来たのに、その人を見た途端、喉を潰されたかのように声が出ない。
彼の前では、いつだって。
いつだってそうだった。
「ずっと待っていたんだよ。お願い事があって、来たんでしょう?」
黒衣の神は、子供を諭すかのようにファイに語りかける。
その瞳を見てしまえば、この身も心も粉々に砕かれるようで。
顔を上げることも、呼吸すら出来なかった。
白く只広い宮殿。
ここには、神しかいない。
僅かな空気の振動で、冷たい針が突き刺さるようなー
この張り詰めた空間に呼ばれていた日々。
それは、永遠とも思える時間。
ー 使いの中で、君は一番のお気に入りだよ。
ファイの雪のように白い頬を撫でるたび、神はそう言った。
それはまるで生贄を捧ぐ儀式のように、彼はいつもそう囁く。
ーさあ、行っておいで。
この美しい皮膚を、引き裂いて。
瞳を抉って、喉を潰して、銀に塗れてくるんだよ。
討伐を命じられるのはいつも、この世を覆すほどの恐ろしい魔物ばかりで。
その声に操られるように、従ってきた。
どれほど血塗れになっても、何度死にかかっても、それが自分の存在理由だから。
銀色に染まって戻るオレの傷が、致命傷に近いほど。
美しいと、神は褒めて、抱き寄せてくれるから。
主人である神に口付けられて、癒されてーまた、次の日討伐に向かう。
繰り返し、繰り返し。無限の日々。
神様の一番のお気に入りだもの、幸せね。
他の精霊にはそう言われていて。
白の宮殿は、恐ろしかった。
神は、恐ろしかった。
強大な魔物は、恐ろしかった。
けれど。
そう、オレは幸せな筈なんだ。
神が傍にいてくれる。
幸せなんだと、オレはいつも笑っていたけれど。
なのに。
いつからだろう。
全てから逃げ出したいと、願うようになったのは。
死を、願うようになったのは。
死ねば、全てから逃れられる。
その思いは次第に鉛のように、身体に深く沈み込み蝕んでいった。
自分でも、その願いの理由は分からなかった。
あの日もオレは、神に命じられ魔物と戦い、今までになく傷を負って。
痛くて苦しくて、もう動くことすら出来なかった。
ーこれで死ねるんだ。
そう思った時、
君と出会った。
まだ幼い君と。
君はオレを助けてくれたから、
オレは。
生涯たった一度の、賭けをした。
叶うはずのない賭け。
なのに。
叶うはずなど、なかったのに。
君と再び出会ったのだ。
だから、オレは死ではなく。生きて、神から逃げることを決意した。
でも、初めから分かっていた。
どこへ逃げたって、すぐに終わりが来るということ。
オレの運命は、永久回廊なのだ。出口などない。
そんなことは、知っていたけれど、それでも。
オレはー
「おいで、いい子だね」
静かな口調なのに、広い宮殿に響くその声は、まるで鋭い刃のように突き刺さる。
手招きされるまま、高座の下へ歩みを進めた。
その指先に操られ、震える膝を折り傅く。
「・・・・い・・」
やっとの思いで絞り出した声は、言葉にはならなかった。
何も聞かなくても分かっているのだろう、神はゆっくりとファイの前に降り立つ。
「可愛いね。相変わらず、君は。恐怖と不安に揺れる氷蒼の瞳は、何より美しい」
片膝をつき、するりと白く細い顎をすくう。
神に口付けられ、ファイは僅かに眉を顰めた。
「戻って来る気になったかな?」
どうして、死を願うようになったのか。
黒鋼と過ごした二年間で、その理由が分かってきた気がする。
彼に、会いたい。
彼の、傍にいたい。
けれど、このままではそう遠くない未来、彼の地が崩壊するのだ。
彼が、そして彼の大切なものも全て、消滅する。
叶えてはいけなかった賭け。
もう、どれ位の犠牲が出たのだろう。全て、オレの責。
許されることではないけれど・・もう、戻るから。
どうか、許して。
決して忘れることはできないけれど、決してもう求めない。
たった一度の賭けも、
たった一度の希望も、
たった、一度のー
頷くと、その動きに金の髪がさらりと流れる。
神は頬にかけた手を煌きに滑らせ、撫でた。
「いいでしょう。封印を解いてあげよう。
でも解く換わりに、君は罰を受けなければならないね。・・僕から逃げた罰」
その言葉にファイは、口を閉ざしたまま長い睫毛を伏せた。
ここを出て行った時から、どんな罰も受ける覚悟が出来ている。
「『黒鋼』・・だったね。君が契約した人間は」
「ーえ?!」
ファイは弾かれるように、伏せていた瞳を見開いた。
まさか。
「君の一番大切な人を、ここに呼んであげよう」
凍りつく蒼い瞳を愛しげに覗き込み、長い指で金の髪を梳きながら。
「なん、で・・・っ」
「そういう覚悟で来たんでしょう?
君は自分のしたことを、分かっているのかな」
神の瞳はあくまで穏やかで、・・闇に飲まれそうで、恐ろしくて。
「これはオレの罰です、そんなことの為に戻ったんじゃ・・っ」
「君とは気の遠くなるほどの時間共に過ごしたのに、僕のことを何も分かってくれていないね。
・・そこが、可愛いのだけれど」
耳元でそう囁いて、にっこりと微笑んだ。
「君の愛しい人は、君の為に死ぬんだよ」
「やめっ・・」
思わず立ち上がったファイの声は、そこで途絶えた。
「・・ひ・・」
目の前が銀に染まった。
一瞬何が起こったのか分からなくて、瞬いた、のに。
瞼が動かなかった。
眼下に、とろとろと血溜まりが広がってゆく。
身体が氷のように冷たく感じられて、やっと何が起こったかを理解した。
「・・い、た・・・・」
幾本もの鋭い氷柱に、身体を貫かれていた。
銀粉に変わるはずの血が、液体のまま流れていくのを見て、喉が震えた。
「いい表情だね」
胸を貫く氷柱を伝う血をすくって、神は微笑んだ。
「銀の血は美しい。その血に濡れる君も。
よかったね、もうすぐ会えるよ。君が一番会いたい人に。
・・だから僕に、もっといい表情を見せるんだよ」
それだけは。
それだけは。
「おね・・がい、やめ・て・・・。何でも・・するから・・・っ」
「ご覧、来たようだ」
扉の前に、見慣れない文様が浮かび上がった。
ダークネスな展開で・・。一応神は星史郎さんぽいイメージ。
もう少しで完結です。
|戻る|