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魔物退治のお坊さん・完結編・伍

魔女の手によるその眩さに、思わず目を閉じた。
ー連れ戻してやる。
あいつは、神の元へ行ったという。
相手がどんな奴であっても。
『忘れてね』

ふざけるな。あいつは俺の精霊だ。

皮膚を覆う空気が、柔らかなもの、硬質なものへと徐々に変わってゆく。
次に目を開ければ、そこは天界となるはずだ。
何より大事な精霊の待つ、その世界へ。

ゆっくりと圧力が消え、視界が戻った瞬間、そこにー


「ファイ!!」
目の前に倒れ伏していたのは、銀色に染まる精霊。

その姿は、ファイと初めて出会った日と重なった。
あの時も、おまえは血塗れで倒れていて、仄かな銀に発光しー
いや、あの時とは違う。
身に纏うのは銀粉ではなく、ぞっとするほどの血溜まり。
抱き起こした身体の氷のような冷たさに、喉が詰まった。
頬を撫でると、銀の長い睫毛がごく僅かに震えた。ー息は、まだ、

「よく来てくれたね」

視線を上げた先に、黒衣の者が微笑んでいた。
「てめェ・・・!!」
神だ。
瞳が、人とも、精霊とも、魔物とも、違う光を放つ。
その瞳に沈む闇は、まるで底なしに墜ちてゆくような。
睨み付け刀を構えた俺に、黒衣の神は動じる気配などまるでなく、逆に聖人のような微笑みを返した。
「僕を斬るより先に、その子を助けてあげたらどうですか?可哀想に、このままではすぐ死んでしまう」
「な・・っ」
改めて見たファイの傷は、桜山でのものの比ではなかった。
深く裂けた皮膚からは、銀の血が絶え間なく流れ落ちる。
粉に変わらない。粉に変わる間もない。
「その為に貴方を呼んだんです。残念ながら、今の僕にはこの子を治す決定的な力がありません。
銀竜の現主人である、貴方でないと」
静かに言葉を紡ぎながら、神は一歩、また一歩と歩み寄る。
「何を、企んでやがる」
ファイの細い肩を、強く抱き締めた。いくら抱き締めても、その身体は凍てついてゆくばかりで。
「先程この子の核を、砕いてしまったんです。核を砕かれた精霊はもう、長くない。
この子を助ける方法は只一つ」

精霊にとって、核は心臓。
ファイの命を。
血塗れのファイを前に、ただ穏やかに語る神をいくら責めたところで、何も効きはしないことは明白だった。
手にする斬魔刀も、きっと通用しない。
近付くほど、この男の異質さを強く感じ取った。
多分、助ける方法は只一つ、その言葉は偽りではない。
感情が高ぶる。
例え効かずとも、今すぐ目の前の男を斬り付けてやりたかった。
けれど、今は。白く、凍り付いてゆく身体は、今にもー。

「・・どうしろってんだ・・」
「他の体液では足りない。銀竜に、貴方の血を与えなさい」
「血を?」

「や・めて・・、」


耳に届いたのは、硝子を崩すような幽かな声。
「ファイ!」
震える銀の睫毛から覗く、宝石のような蒼い蒼い瞳。
ファイが薄く、その瞳を開いていた。銀に濡れた細い指で、俺の腕を掴む。
瀕死のファイに、こんな力が出せるのかと思うほど。


『血液だけは駄目』
『強すぎるんだよー。絶対、駄目だからね。気を付けて』
そうだ、以前ファイは、そう言っていた。


「血は命。
血を以って助けるならば、主人の命と引き換えとなる」
神の瞳の、闇が深くなった。
「貴方ならもちろん、迷うことなく銀竜を助けるでしょう?
例え貴方の死が銀竜にとって、自分が死ぬことより深い深い絶望であっても」

『血液だけは駄目』
ーそういうことか。

「神ってのは、こんなにたちの悪ィもんなのかよ」
舌打ちすると、神はにこりと微笑んだ。
「もうひとつ、お教えしましょう。
天界と地上、唯一共通するもの。それは、月の満ち欠けである、ということはご存知ですか?
地上の月が欠けゆけば、天界の月も欠けてゆく。元は、ひとつの世界だった名残です。
世界は何故二つに分かれたのか」
「御託はいい。結論から言えよ」

俺の腕を掴む細い指は、縋るようで。
ーどうする?
ファイは。
ファイは決して死なせない。
しかし、そうすればこいつはー

せっかちですねえ、と笑う黒衣の男は、黒鋼のすぐ目の前で歩みを止めた。
「何故二つに分かれたのか。それは、僕が分けたからです。
どうして分けたか、分かりますか?」

天界、地上を作ったのも。
この男は、どこまでー。

「・・てめぇの考えることなんか、分かりたくもねぇ」
毒づく俺には視線を送らず、神はすいと膝を降り、銀に濡れた金髪に手を伸ばした。
「檻なんですよ」
「檻?」
こいつに触れるなという俺の言葉など聞かず、金の髪を梳くその指は。
ファイを苦しめて苦しめて、それなのに何故か。
まるで壊れ物を扱うように、優しげで。

「結論を言いましょうか。
貴方がこの子を助けるなら、地上を壊します。この子の全ては、今は貴方だ。
檻ももう、必要がない。僕が作ったこの地上は、もう用無しだ」
腕の中の細い身体が、びくりと震えた。
「ファイ」
抱く腕に力を込めて呼びかけると、蒼く透き通るその瞳は、揺れて俺を映し出す。
「この子を助けないのならば、貴方を生きて帰しましょう。
この子は死ぬけれど、死んでしまったなら神の使いを新しく造り出します。そして、地上は元通り」
どうしますか、と神はファイの戦慄く瞳を覗き込んだ。
「ねえ?もし君の愛する彼が、君を助けるならば。
その時君は、愛する人も、彼の愛したものも、全て失うんだ。
僕から逃げたばっかりに。彼を愛したばかりに。・・可哀想にね」
「・・っ」
ファイが、消えかけるその呼吸を、詰めたのが分かった。
「いい加減にしろ、本当にぶっ殺すぞ」
感情を押し殺して睨みつけると、神は音も無く立ち上がった。



「どれだけ僕が怒っているか、分かるかな」



「いや・・いや・・っ、おねが・・、くろ・・」
このまま死なせてと涙を零すファイを、俺は黙って抱きしめた。

この美しい精霊を。
俺の、何より大切なこの精霊を。



殺せるわけなど、なかったから。
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