バナー
魔物退治のお坊さん・完結編・七

・・お願い、止めて・・』




もう動かすこともままならないのだろう、小さく震える、白く華奢な身体。
それでも全身で拒否をしていることは、痛む程伝わってきた。
銀に濡れた睫毛に縁取られる、氷蒼の宝石。
丁寧に梳かれた金は、指にさらりと流れ落ちる。
美しい精霊。
俺の式神。
その瞳は俺だけを映し、止めてと懇願するその願いは、俺へと強く向けられる。


一緒にいられたら。
ずっと一緒にいられたら、と。


切りつけた手首から、紅が溢れ出した。
これがおまえの命を繋ぎ、そして何よりも深い絶望を与える。



『・・どれだけ時が流れても、どれだけ世界が移り変わっても。
地上に降りて、空を仰ぐたびに。
こんな穏やかな、光に包まれるたびに。
きっと、今日のこと、思い出すよ・・』


あの日、おまえはそう言ったけれど。
こんなにも、酷いことをする俺を。
おまえは、思い出してくれるだろうか。

空を仰ぐたび、光に包まれるたび。
どれだけ時が流れても、何度でも。
俺のことを、思い出してくれるだろうか。
一緒に過ごした、おまえにとっては瞬きほどの。


何より愛しい、その一瞬を。






ほたりと。
鮮血は、ファイの唇を濡らした。






瞬間、

身体を引き裂かれる程の突風が巻き起った。
「・・っ・・」
閉じた瞼の裏までも閃光に溢れ、豪音と共にバキバキと砕くような硬音が鼓膜を叩く。


ファイを見たくて。

死ぬ前にもう一度、会いたくて。
風に閉ざされる瞼を、抉じ開けた。



目の前に、広がったのは。

視界いっぱいの、無数に舞い散る七色の煌き。
金の霞が銀の鱗を覆う、それは美しい銀色の竜がそこにいた。
七色の輝きを巻き上げながら、竜は天へ向け上昇する。
宮殿の天井はすいと消え、星々が舞い落ちる無限の夜空が広がった。
巨竜は銀の軌跡を煌かせ、天上へと舞い昇る。

何て。
何て綺麗なんだろう。
その美しさ、荘厳な竜に。眩暈のするような光景に、呼吸が止まった。
こんなにも美しいものが、俺の精霊。
何よりも大切な、俺の式神。

銀竜が硝子を崩すような咆哮を上げると、眩しいほどの輝きが放たれた。
輝きは数え切れないほどの光玉へと変化し、再び上げた嘶きと共にそれらは八方に飛び散る。
光玉は眩い尾を引いて夜空の彼方へ溶けゆき、やがて。
風がやみ、静寂に包まれた世界に。
光の欠片が雪のように、世界一面キラキラと舞い落ちた。

蛍火を纏いふわりと降りたのは、銀色の光を放つ精霊。
溶けた輝きに朧になり、人型に姿を変えた銀竜。

白く発光する肌、蒼水晶の瞳。そのまま透けてしまいそうなほどー幻のように美しい精霊。
腕を差し伸べると、銀竜はその細い指をこちらへそっと伸ばした。

「ファイ」
伸べられた手を強く引いて、その華奢な身体を力いっぱい抱き締めた。
腕の中のおまえは、泣いているようで。

「ごめんな」
これで最後だ。もう、俺はー










ぱんぱん、と音がした。
「おめでとう。封印解除の鍵は、貴方の血だったんですよ」
振り向くと、神が楽しげに手を叩いていた。
「・・何が・・めでたいってんだ・・」
もう俺は死ぬっていうのに。


・・・。


「はぁっ?!もう一回言えッ!!何だって?!」
「封印は解けました。もういいんですよ」

動揺する俺に対し、黒衣の男は落ち着き払ってそう言った。
言っている意味がよく分からない。
俺の血が封印を解く鍵?封印が、

「解けただとォ?!どういうことだ!ファイ・・ファイは!」
「封じた霊力が纏めて戻ったので、傷は癒えました。そうでしょう?ファイ」
「え・・じゃ、俺は・・」
「ファイが自力で治癒したので、当然貴方も無事です」
「地上・・」
「今銀竜が散らした光玉は、結界です。今頃地上の魔物は全て、消滅しているはずですよ」
「・・・・っ」


なんだと・・・?


泣き声が聞こえる。
そこで初めて、俺にしがみ付いたファイが、子供のように泣きじゃくっていることに気が付いた。
「ファイ!おい、こいつが言ってること、本当なのか?!」
肩を掴んで問い質そうとしたけれど、俺の胸にぎゅっと顔を埋めたまま離れようとしない。
無理矢理顎をすくい上げると、あのファイがまるで幼い子供のように、大粒の涙をぼろぼろ零していた。
瞳に俺を映した途端更に涙が溢れ、眉を歪めてしゃくり上げる。
「おい、泣いてちゃ分かんねぇよ。解けたのか?」
「・・・・く、・・っ」
はくはくと唇を動かし、結局また俺の胸に顔を埋めて泣き出した。
「ファイ・・」


俺を掴んだ手を、決して放そうとしないので。
俺は、その上からファイを強く抱き締めた。
法衣を濡らす涙があたたかくて、
その涙は嬉しさによるものだと、分かったから。


「あの銀竜がこんなに泣くなんて。余程貴方のことを、信頼してるんですね」
穏やかなその声に、我に返った。
「てめえ、どういうことだ!!俺がどれだけ・・っ」
ファイを抱いたまま鬼の形相で睨みつけた俺に、神は悪びれもせず微笑んだ。
「この子は僕の、一番のお気に入りなんですよ。
貴方には理解できないかもしれませんが、苦しみに耐える顔が本当に可愛い。
最後にちょっと、意地悪をしてしまいました」
「ちょっと意地悪だぁ・・?!」

これがか?!
これが、“ちょっと意地悪”?!

「甘く見られたものですねぇ。僕が本当に怒っていたら、こんなものじゃないよ」
神はそう言って背を向け、高座へと戻った。
「ファイは貴方と会って、少し変わってしまってね」
ふいに名前を出され、涙を零す精霊は俺の胸から少し顔を上げた。
「ファイ、君は黒鋼と出会って、自分の心が弱くなってしまったと思っているでしょう?
違うよ、君は弱くなったんじゃない。強くなったんだ。
耐える力がなくなったのではなく、耐えるだけじゃ、なくなったんだよ」
「・・つよ・く・・?」
神は頷き、今泣いているのも、強くなった証拠だと微笑んだ。
「でもね、僕にはそれがつまらないんだ。僕は、弱い君が好きだったから。
・・だから、黒鋼。もう、この子を連れて行っていいですよ。
何処へでも、好きなところへ」
「え・・?」
「最後に一番いい表情が見れたし、これ位で勘弁しておきましょう。
さあ、地上へ送ってあげますよ。ふたりで仲良く暮らすといい」

神が手を翳すと、中空に魔女が作ったものと同じ文様が浮かび上がった。
「あまり平和もつまらないでしょうし、たまに僕がちょっかい出してあげましょうか?
多少刺激があったほうが、きっと楽しいですよ」
「いらねえよッ!金輪際俺達の前に現れんじゃねぇ!!
おまえのせいでファイがどれだけ・・!一発ぶん殴らせろ!!」
一歩踏み出したおれに、全く動じず神は言った。
「おや、そんな時間ありますか?ここは地上と時間の流れが違うんです。
タイムリミットの一日まであと十秒しかない。残念ですねえ、せっかく命拾いしたのに」
「何だとォ?!冗談じゃねえ!さっさと送れ!!」
我侭な人間ですねと神が指で空を切ると、文様から光が溢れだした。ふいと、身体が浮き上がる感覚に包まれる。
高座に座る神は、ファイを愛しげに見た。
「まさか君を手放す日が来るなんてね。・・幸せにしてもらうんだよ」
それを聞いた蒼い瞳が瞬いて、また一筋涙が零れた。
「あと、黒鋼」
黒衣の男は今度は俺を見て、今までで一番楽しそうに微笑んで、こう言った。


「またね」


「ざけんな!!二度と会わねーっつってんだろーがーーーッ!!!」


言い終わる前に光に飲まれてしまったので、多分俺の叫びはあいつには聞こえなかったような・・・


気が、する。

直線上に配置
|戻る|