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魔物退治のお坊さん・完結編・八

目を開けると。


紅の屏風が、目に鮮やかに映った。床の間には、金の掛け軸に紫の花。

ここは、突き刺すような、あの真っ白な宮殿じゃない。
ここはもう、天界ではない。

地上だ。紛れもなく、魔女の屋敷だ。
奴の最後の一言が非常に気に掛かるし、奴を殴ってやりたい気持ちも山ほどあったけれど。



とりあえず、力が抜けた。

戻って、来たー。



「・・ファイ・・?」
確かめるように、腕に強い力を込めた。
確かに腕の中に感じる、その華奢な身体。


失うと思った。
何よりも、大切な存在。
俺だけの式神。

澄んだ蒼い瞳に焦がれたけれど、それは俺の胸にうずめられていて、目に入るのは金の髪だけ。
抱いた細い肩は、まだ細かに震えていて。
「悪かったな・・。怖い思い、させちまって」
流れる金糸をそっと梳くと、精霊はそろりと顔を上げた。

濡れた睫毛に縁取られた、潤んだ宝石。
それは泉のように煌いて、瞬くたび涙がほろほろと零れた。
その粒は真珠のようで、零れ落ちて砕けるのが惜しくて。
吸い寄せられるように涙に口付けると、精霊がすいと息を吸った音が聞こえた。

「うわーーーーーーーん!!!!怖かったよぉーーーーーーーっっっ!!!!!」
「は?」

精巧な陶器人形のように綺麗な顔の、桜色の小さな唇から。
まさかこんな悲鳴が出るとは思わなかったので、思わず間抜けな声を出してしまった。

「もーオレ、ずっとこうしてるー!!一生こうしてるーーっ!!」
安心したのか、堰を切ったように再び泣き出したファイは、俺の首に力一杯しがみ付いた。
「そんなに泣くな、もう大丈夫だ」
「もー離れないっ!二度と天界戻らないーーー!!!」
「ちょ、首・・っくる・・死・・っ」
「もうずっとずっとここにいるんだもんーーーーーーっっ!!!!」
喚くファイはこの上なく可愛いらしいのだが、このままでは冗談抜きで殺されそうだ。
なんとか腕を引き剥がしたものの、今度は胸にしがみ付いて泣き叫ぶ。

何としても、俺とくっついていたいらしい。

『一生こうしてる、もう離れない』。ファイからこんな言葉が聞けるなんて。
思わず口が綻んでしまって、らしくもなく笑いながら抱き締めてやった。
「おまえでも、こんな風に泣けるんだな」
「っだって!!・・・・・だっ・・て・・」
取り乱す自分にやっと気付いたのか、ファイは少し恥ずかしそうに語尾を弱めた。
口篭もって俯いた金の房を、ガシガシと撫でてやる。
「いいんだよ、それで。あいつも言ってただろ?
泣くことができるのは、強くなった証拠だってな」
言いながらひょいと軽い身体を抱き上げると、精霊は驚いた声を上げた。
「さっき言った言葉。本当だな?自分の言葉には責任持てよ。
強くなったなら、守れるな」
「え?」
首をちょっと傾げるファイに、にっと笑ってやる。
「『一生こうしてる。もう離れない。ずっとここにいる』。
その言葉、絶対守れよ」
目を見開いた式神の、形のいい唇に軽く口付けて。


「もう二度と、何処へも行くな」


俺の言葉に、ファイは息を呑んでー
そして潤んだ瞳のまま、花よりも綺麗に微笑んだ。
抱き上げられた身体から、そっとこちらに腕を伸ばして。


「うん・・。もう、何処へも行かない。ずっと、ここにいる・・」



心から、笑うファイを。
俺は初めて、見ることができた。


やっと、心から。
笑わせることが出来た。




何よりも誰よりも、大切なー

愛する君を。





透けるような頬に口付けると、ファイはくすぐったそうに笑った。
鈴のような、笑い声。
愛しさがこみ上げて堪らなくて、首筋にそっと唇を寄せる。
「・・あ・・」
「ファイ・・」
「よかったわねー、おヨメに貰ってくれるって?」
「ひゃあっ?!」
「うわッッ!?!いたのかよッ!!」

突然割り込んだその声に慌てて身体を離した・・のだが、ファイはまたぎゅっと抱き付いてきた。
「おい離せっ、人が見てるだろうが!」
「約束したもん、ずーっとこうしてるって!」
「あたしは構わないわよ、何ならこのまま先を続けても結構なのに」
艶やかな桜の着物を纏う魔女は、そう言って高らかに笑った。
「いつの間に・・っ、いるなら言えよ!」
「ここはあたしの屋敷よ、いて当たり前じゃない。
化け物でも見たように驚くんだもの、失礼しちゃうわ」
言葉とは裏腹に機嫌がよさそうな魔女は、黒髪を流して座布に腰掛けた。
「地上はもう大丈夫よ。流石、力の満ちた銀竜の結界は別格だわ。
貴方達も・・その分なら、うまくいった様子ね」
何があったか教えて頂戴と、魔女は珍しく茶を淹れてくれた。
一応苦労した俺を労わる気持ちはあるらしい。

天界でのことを掻い摘んで説明すると、魔女はけらけらと笑った。
「随分神様に気に入られちゃったわねぇ、二人とも。
幸せボケしてると、さり気なーくちょっかい掛けてくるわよー?」
「どこが気に入られてるってんだ?!散々酷い目に合わされたんだぞこっちは!
それにまだあいつ・・まだいっぱい隠しネタ持ってんじゃねぇのか、きっと・・」
そういう奴だと思う。げんなりと溜め息をつく俺の肩を、軽く叩く魔女。
「いいじゃない、何も取って食われやしないわ。ちょっと苛めて遊ぶだけよ、きっと」
「苛めて遊ぶって・・!あいつもおまえも俺等を何だと思ってやがるんだ?!」
怒りに拳を震わせる俺に優雅に微笑み、魔女は庭へと視線を移した。
「・・これでもね、最悪地上が壊れるかしらって、心配してたのだけれど・・。
あたしが貴方を天界へ上げることも分かってたようだし、丁度期限の一日で帰してくれたし。
全部神様の計算通り、だったみたいねぇ」
「あんにゃろう、やっぱ一発殴らないと気がすまねぇ!」
「まーまー、黒たん。気にしないのー」
「気にしないって・・!おまえが一番酷い目にあっただろうが!だから怒ってんだぞ!!」
憤慨する俺に、ファイはきゅっと抱き付いた。
「いいの。今、黒たんと一緒にいられるから。
これからもずっと一緒って、もう決めたから。
今回のことで、何が一番大切か、分かったから。
・・だから、いいんだ」




そうだ。

初めて会った時からー
この美しい精霊はいつか、ふいに消えてしまうのではないかと。
常に、心の隅にあった不安。

何が大切か分かった。
一番大切なものが分かったから、そう言うファイは。


ずっとここにいる。俺の傍に。



やっと、そう信じられた。





季節は春。
日差しはやわらかで、道端のタンポポの色があたたかい。
魔女の屋敷を発ち、ふたり乗りした馬を自寺へ向け、のんびりと歩ませている。

「あのなぁ、別に走らせてる訳じゃねんだから、俺にしがみ付く必要ないだろうが」
「これからずーっとひっついてるんだもん!
言ったこと守れって言ったのは、ご主人様ですー」
「おまえ本当に一生、このままでいるつもりか?これじゃ背後霊だぞ」
「背後霊ー?!ひどーい、せめて守護霊って言ってよーっ!」

地上に蔓延る魔物が消滅し、重苦しかった空気も変わった。
春を謳歌する世界は眩しく、色鮮やかに感じられる。
道すがら覗いた村々も、魔物の波はもう来ないという知らせを受けたらしく、
喜んで復興作業に励んでいた。人々の表情も明るい。

「・・オレが結界張れなくなったせいで・・たくさんの人に・・」
振り向くと、ファイは魔物に崩された建物を見て、唇を噛んでいた。
「始めから、オレが逃げなければ・・こんなことにはならなかったんだ」

そう言ってファイは、空を仰いだ。


「もう逃げない。オレはもう、嘘はつかないよ」


蒼く澄んだ瞳に映るのは、果てしなく広がる青い空。


「強く、なったな。本当に」
「こんな気持ち、教えてくれたのも。大切なもの、教えてくれたのも。
強く、なれるのも・・全部、君がいるからだよ」


ーありがとう。


ファイは肩越しに身を乗り出して、耳元でそう囁いた。
「いいか、これからずっと一緒だぞ。・・主人命令だ」
何だか照れくさくて、わざと前を向いたままそう言うと、嬉しそうな笑い声が耳元で弾けた。
「はぁい。今ね、生きてきた中で一番幸せだよ。
でもこれから、もっともっと幸せになれるんでしょう?
ね?オレの愛する、ご主人様」
華奢な指に辿られるまま、またファイに口付ける。
柔らかい唇。愛しいおまえ。

誓うよ。

必ず。


君を、誰よりも幸せに。




道端の桜が、ちらちらと薄紅に煌く。
「結界張りなおして陽気が戻ったから、今、桜も満開だな。
・・行ってみるか?おまえと初めて会った、あの桜山でも」
あの日、おまえと出会った。運命だと、魔女は言う。
ファイはくすりと笑って、俺の背に頬を寄せた。
「違うよ。初めて会ったのは、その桜じゃないんだよ。
連れてって、あげようか?」
「あ?」
いぶかしむ俺に、ファイはまた楽しそうに笑った。
「オレ、本当は桜、あんまり好きじゃなかったんだよ。
すぐ散っちゃうのが、哀しくて・・。でもね、今は本当に・・好き」
「そうだな。俺も、好きになった」


きっと理由は同じだ。
今はもう、分かったから。





散っても・・桜はまたー

咲くんだね。






ああやっとここまで・・。
あとエピローグで完結です。
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