バナー
魔物退治のお坊さん・完結編・結

「・・・っ・・」
刃で貫かれるような激痛に、体全体が縛られる。
呼吸が出来なくて、視界が歪む。

・・苦シイ・・。

いつものように、神に魔物退治を命じられ。
いつものように、傷口は深く裂け。

いや、いつものように、ではない。
いつもより、ずっと酷い。

戦いに集中できなかったせいだ。

ーいつ終わりにしようか、と。

命じられるままに戦い、命が途切れかければ繋がれて。
繰り返し、繰り返し。何十年、何百年。
まるで、操り人形のように。
あと何百年続くのだろう。永久回廊のような、この道程は。

銀粉がサラサラと、零れ落ちてゆく。身体が凍えて、感覚が鈍る。
何とか辿りついた薄紅の“道”で、その幹を背に崩れるように座り込んだ。
“道”とは、神木。
霊力を消耗しすぎて、このままでは天へ帰れない。
神木は天界と近しい存在であり、それは天への“道”となる。

・・戻る・・?

意識を集中すれば、何とか浮かび上がれるだろう。

ーでも。

・・もう・・

このまま眠ってしまえば、消えて無くなるかもしれない。
終わりに、できるのかもしれない。

・・でも・・もう・・

瞳を閉じ意識を分散すると、じき身体の境界が分からなくなってくる。

・・もう・・オレは・・・・


「だれだ、おまえ」
「ッ」

突然の声に、溶けかけた意識が浮上した。

紅。

「・・・泣いているのか?」


人間の幼子が、オレを覗き込んでいた。
霊力が弱まって、消姿の術が解けている。
敏捷そうな身体を黒い着物で包んだ、歳は10くらいの子供。
黒く短い髪に、燃えるような紅の瞳が印象的だった。
印象的、と言うよりも。

強烈な。

ー泣いている?オレが?

意識して瞬きをすると、透明の雫がぽたりと落ちた。
涙なんて。オレでも涙なんて、出るんだ。
操り人形の、このオレにも。

「なあ、どっか痛いのか?」

銀竜の血は、人間のそれとは大きく異なる。
この子供には、オレの怪我は分からないのだろう。

痛い・・そうだね。
身体よりも、きっと。

疲弊し磨耗した、この心。

ー記憶を、消さなくちゃ。

精霊はむやみに、人の意識に存在するべきではない。
動かしづらい腕を少しだけ上げて、人差し指に集中した。

ー消耗した霊力でも、こんな幼子の記憶など、簡単に。


「泣くなよ」


ふわり、と。


その小さな手が、オレの頬をぬぐった。
ーこんな小さな掌なのに。

とてもあたたかくて。


驚いて瞬きをすると、またぽたぽたと涙が零れ落ちた。


「なあ、どうしたんだよ」
子供は真剣な面持ちでオレの前にぺたりと座り、身を乗り出す。

ー小さな人間の子供に。
非力な、こんな小さな掌に。

オレ一応、精霊の中でも最上位の、“銀竜”なんだけどなぁ。

ずっと弱いものに心配されている自分が、何だかおかしくて。
思わず口元が綻んだ。

ーいいか。記憶を消すのは、もう少し君と話をしてから。

「ごめんねぇ、大丈夫だよ。ただオレのご主人様が、ちょっとこわくてねー・・」
「そいつに泣かされたのか?
だったらそんなひどい奴のとこ、出て行けよ」
「・・は?」

神の元から?
何てことを簡単に言うんだろう、この子供は。
「・・はは、考えたこともなかった。すごいこと言うねぇー」

出て行くなんて。
あのひとの元を去ることができるのは、この身体が消える時。
「だめだよー・・。ご主人様の元を離れて、生きていけるわけがないもの・・」

神から逃げても、逃げ切れない。
ましてや向き合うことなど、オレにはー

「なら」

紅い瞳は、オレの瞳を真っ直ぐに見た。


「なら、俺がおまえの主人になってやるから、出て来い。
俺のになれ!」


絶句してしまった。
「・・はぁ!?」
「俺だったら絶対、おまえのこと泣かさない!」


よく見ると、子供の頬が少し赤い。
どうも自分は、この子供にいたく気に入られてしまったようだ。
一目惚れってものだろうか。

『俺のになれ』・・?
こんな見えない程の僅かな力で、『銀竜』の主人になどなれる訳がないのに。

何だかおかしくて、くすりと吹きだしてしまった。
「君、すごく可愛いなぁー・・」
「ガ、ガキだからってバカにすんなよ!泣いてたくせに!!」

更に頬を赤らめて叫ぶ子供は、本当に可愛くて。

そんな姿を見ていたら、また。

ふわりと、
冷え切った心が、あたたかく包まれた気がした。


「ありがと、ね」


子供の頭に、手を置いた。

どうしてだろう、そのあたたかさに。
もう少しだけ、生きていける気がしたから。

「やっぱり、帰る・・のか?」
空を仰いだオレに、子供は窺うように訊ねた。
寂しそうに眉を寄せて。

可愛いな。

「また、会えるか?」
「さあ・・」

きっともう、二度と会うことはないだろう。
瞳を閉じて、意識を天へと集中する。
瞼の裏に天界が映りこみ、着物の裾がふわりと浮き上がった。

「いやだ、行くな!また泣かされるぞ!!」
「君は、優しいね」

裾を掴む子供に微笑みかけてやると、その顔は今にも泣き出しそうに歪んだ。

「お・・俺、黒鋼っていうんだ。おまえは?」
「もしもう一度出会うことがあったなら、その時教えてあげるね。
その時また、同じようにオレを欲してくれるなら・・
その時は、君のものになってあげる」

叶うはずのない約束。
そんなことが、起こるはずないのだから。
広すぎる世界、こんなにたくさんの精霊と人間。
偶然出会ったオレ達が、また偶然出会える訳などない。


これは賭け。
叶うはずのない賭け。
もし叶うなら。

その時はー

その時は、君の言う通り、神の元から出て行こうか。


「それとね、強い人でないと、オレを手にいれることはできないよ。
オレが欲しいなら、いっぱい修行して強くなってね」

透けてゆくオレに、子供は目を見開いた。
人外のものであると、やっと気が付いたらしい。

蒼く発光する人差し指を、子供の額に当てる。

「・・くろがね・・覚えておくよ。
助けてくれて、ありがとう」

オレの姿が見えなくなったら、君はオレを忘れる。

「待て、俺・・っ!」
宙へ浮かび上がるオレを捕まえようと、腕を伸ばす。届かなくて、子供は神木によじ登った。
それでも届かなくて、もっと上へと登る。

どんなに高い木に登っても。
どんなに腕を伸ばしても。
天界へ帰るオレに、その手が届くわけなんかないのに。

それでも、子供は一生懸命腕を伸ばしていた。
オレに向けて、必死に何かを叫び続けていた。

上空高く浮かび上がったオレには、もうその言葉は届かなくて。
どうしてだろう、無性にー
君の声が聞こえなくなってゆくことが、哀しかった。


遠く遠く遥か眼下、だんだん見えなくなっていくその子供。


どんなに高い木に登っても。
どんなに腕を伸ばしても。
天界へ帰るオレに、その手が届くわけなんかないのに。
それでも、子供は必死にー


どうしてだろう。
君と。


たった一度だけ偶然出会った、
君と。



別れるのが、哀しくて。

涙が零れ落ちた。





ーくろがね。


会いに来て。

迎えに来て。

もし、もう一度出会えたならー




「俺のになれ」

風が、吹いた。
地面に舞い落ちた桜の花弁が、一斉に舞い上がった。
視界が、薄紅の月光に染まる。

「・・くろ、・・がね・・?」




それを、運命と。
人は呼ぶ。



魔物退治のお坊さん・完



長いお話でしたが、やっと完結しました!めでたい!!
長らく付き合って下さった方、本当にありがとうございましたーっvv
直線上に配置
|戻る|