魔物退治のお坊さん その後・上
「ねえねえ黒たん!これ買ってーv」
「こんなもん買って、何に使んだよ」
「何にじゃなくてー、和むじゃない。黒たんの机に置いておくの!」
細い指先に摘まれているのは、昼寝中と思しき猫を模った、小さな陶置物。
ファイはその桃色の猫に頬擦りする真似をして、にっこり微笑んだ。
「ね、可愛いでしょー」
「俺の机だぁ?てめぇのに置け、俺がそういう趣味だと思われるだろうが」
「いいじゃない、机仕事の嫌いな黒たんを和ませるには、ぴったりだよっ。笑えるしー♪」
魔物退治専門の坊主である俺だが、それでも机に向かわねばならぬ時もある。
その度うんざりしているのを気遣ってーーというより、笑えるに重きをおいているに違いない。
ふざけるんじゃねぇと苦言を呈しつつ、その内心。
猫なんかより、こんな悪ふざけを言って笑うファイの方がずっと可愛い、などとつい思ってしまった。
俺の顰め面を見て楽しげに笑うファイは、また他の品物を物色しだす。
町は鮮やかに彩られ、多くの人々で溢れている。
あの非常に性質の悪い神の悪戯から、約一年。
魔物に荒らされた地上は復興をとげ、すっかり元通りとなった。
今日は月一度の大市が催される日であり、賑やかな大通りでは、ここら一帯の商人が各々出店を開いている。
人ごみは余り好まないのだが、ファイが前々から行きたい行きたいと散々ねだっていたので、
重い腰を上げてようやく連れて来てやったのだ。
色とりどりの小物や食物、服や本まで種々雑多、様々なものを扱う店がどこまでも続く。
ファイは見るもの全て物珍しいようで、いちいち各店を覗いてははしゃいでいる。
「楽しいね!連れて来てくれてありがとうーv」
俺を見上げてファイが笑うので、こんなに喜ぶなのなら毎月つれて来てやってもいいか、などと密かに
思ってしまったり。
「ねね、簪!綺麗ー。今黒髪だから、似合うかもー。なぁんて」
ファイが小首を傾け、珊瑚色の簪をあててみている。
そう、ファイは今黒髪黒目。人間に化けているのだ。
あれからこの式神は寺に居着くようになり、俺の魔物退治の手伝いをしたり、炊事洗濯なんかもしてくれている。
今までいい加減な食べ物を食べて、いい加減に掃除をしていたので、暮し向きは格段に良くなった。
家事を上手くこなすファイについ色々やって貰ってしまっているが、この精霊は元は神の御使い。
こんなに扱き使っていいのだろうかとも思うが、楽しんでやっているようなのでまあいいのだろう。
地上に住み着くにあたり、精霊の姿では不便なことも多く、寺から出る時はこうして人に化けてから
出掛けるようにしている。
今度は紅色の簪に手を伸ばしている、ファイの横顔を見た。
艶やかな黒髪は少し伸び、揺れるたび光が流れる。濡れたような長い睫毛に、潤んだ漆黒の瞳。
透き通る白い肌、桜色の唇は、黒髪によく映える。
この姿も、とても綺麗だと思う。
「まあ、綺麗なお姉さんにぴったり。お姫様みたいだねぇ、よくお似合いだ。買っておあげよ旦那さん」
「やだなぁ、オレ男ですー。ふざけて遊んでただけですよー」
「・・えぇっ?!」
結局猫の置物だけ購入し、その店を後にした。
「うーん、何故か女の子と間違えられるなー・・。
いっそのこと、始めから女の子に化けておこうかなぁ。そうすれば、簪も付けられるしー」
「・・おまえ、女にも化けれんのか?」
「何にでも化けられるよ。何がいい?好きな注文付けていいよー。
オレは黒たんが喜んでくれれば、何でもいいもん」
「な・・何でも・・?」
「やだ、変な顔してる。何考えてるのー?
オレが言ってるのは、好きな動物がいたらそれに化けて遊んでもいいし、要る道具があったら
それに化られるから便利だしってことだよー」
「あぁ、そういうことか」
一瞬色々口に出せないようなことを、想像してしまった。
「・・でも、何でもいいよ?黒りんの好きなもの、何でも・・」
ファイはそう言ってちょっと背伸びをすると、俺の頬に軽く口付けた。
「お、まえ、こんな道の真ん中で・・っ」
「隙ありーv」
微笑むファイは、ほんのり頬を染め、うっとり見惚れるように俺を見る。
ああ、可愛い。
要するに。
とどのつまり、俺達は平和ボケしていたのである。
『幸せボケしてると、さり気なーくちょっかい掛けてくるわよー?』
魔女の言ったその言葉を、決して忘れていた訳ではないのだけれど。
・・・いや、少し忘れていたかもしれない。
突然、事件は起きたのである。
その時、俺達は別々の場所にいたのだ。
大市の真中には、旅芸人が見せ物小屋を開いていた。
俺が三分で飽きた見せ物をファイはたいそう面白がり、お仕舞いまで見たいと言う。
仕方がないので終わるまでファイをそこに置き、時間潰しに武器屋へ来たのが半刻程前。
魔物退治は斬魔刀を使うが、通常の刀も入用だ。
魔物相手のつもりが、蓋を開ければ悪人が糸を引いていた芝居だったということなど、日常茶飯事。
そんなクズ共相手に、斬魔刀など使ってやるまでもないからである。
幾つかいいものがあったのだが値段も相当よかったので、結局何も買わず店を後にした。
普段貧しい村人依頼の魔物退治が多いので、報酬も余り貰っていない。
貴族相手なら大金をせしめられるが、ああいう種族の奴らは余り好かないのだ。
自行自得としか思えない依頼が多いし、退治したことでろくな結果にならないこともある。
故に、そういう依頼は断る。故に、俺の寺には金がない。
(ファイに苦労を掛けるなあ)
悪いが何とか、うまくやり繰りしてくれな・・と空を仰ぎ、また見せ物小屋の方向へ足を向けた、その時。
「キャーーーーーーーーーッッ!!!」
空を引き裂くような悲鳴が響いた。途端、辺りに魔物の気配が満ちる。
方角は、件の見せ物小屋。
「ったく、嫌な時に出やがって」
舌打ちして、駆け出した。
今、人に化けている俺の式神は、実は化術があまり得意ではない。
化けられない、ではなく。上手く化けすぎてしまう。
人に化けると本当に人になり、霊力までなくなってしまうのだ。
すなわち、ファイは今何の力もない只の人間。
精霊の姿ならきっと簡単に倒せるであろう魔物だが、今のあいつではもちろん倒せるわけがない。
(早く戻してやらねぇと)
そう、霊力がなくなれば、もちろん精霊に戻る術さえも使えないのだ。
そういうわけで初めて人に化けた時は、ちょっとした騒ぎが起こった。
ファイは黒髪黒目の姿にはしゃいでいたものの、いざ戻ろうとしてはじめて戻れないことに気付き、
すっかり青ざめてしまった。泣いて訴えられたが、俺だって戻す術なんか知るわけがない。
そこで魔女の元に助言を請いに行ったのだが、何の事はない、単純な方法で解決した。
「あら、簡単よ。貴方の霊力をちょっとファイに分けてあげれば、戻霊術くらい使えるわ」
つまり。
口付ければ、戻るという訳である。
「わあ、それって何だかロマンチックーv」
ファイは瞳を煌かせて、軽く感動している風だったが。
何だか多々不便なことが起こる気がする、そう思っていたら。
「黒たん!早くオレを、元に戻してー!」
小屋にたどり着くと、ファイは壁を背に幼子を庇い、魔物に追い詰められていた。
幼子を好物としている、魔物のようだ。
駆けつけようとしてーー人だかりがあることに気が付く。
助けに行くのを止められている、幼子の母親らしき女をはじめ、助けることもできないが見捨てることもできない
といった人々が、周囲を取り巻いていた。
(公衆の面前でキスなんかできるか!!!)
さすがにそれは。思わず足が鈍る。
(つか、元に戻さなくても自分で魔物斬りゃいいじゃねぇか!!)
当たり前なことにようやく気付き、片足を踏み込み勢いを付けて斬魔刀を抜いた。
そう。
そんなどうでもいい理由で、一瞬足を緩めたのがいけなかったのだ。
俺が斬る一歩手前で、魔物は消滅した。
「大丈夫か、お姫サマ」
魔物は、他の者の手による術で消滅したのである。
群集から、安堵の歓声が上がった。
へたりこんでいるファイの前に立ち塞がったのは、錆浅葱の長い髪を一つに束ねる、すらりとした僧。
その立ち姿に、見覚えがあった。
「お?笙悟じゃねぇか」
「よう黒鋼、久しぶりだな!近くに来たから、ちょっと寄ったんだ」
嬉しそうに笑うその目元も涼しげな、美丈夫の部類に入る青年だ。
こいつも魔物退治を生業としている僧である。以前、ひょんな事でちょっと関わりがあり、以来こうして
たまに顔を出す。そういえば、会うのは二・三年振りだ。
ファイに庇われていた幼女は、泣いて礼を言う母親に付き添われ、去って行った。
一方何故かファイは、俯いたまま立ち上がろうとしない。
ーー嫌な予感がした。
「どうした、娘さん。脚でも怪我したのか?」
笙悟がしゃがみ、ひょいとファイの顔を覗き込んだ。
ファイは。
顔を、真っ赤にしていた。
精霊は、助けられると落ちてしまう。
俺はそのことを、今やっとー
思い出したのだった。
その後書いてね、と言って下さった方がみえたので、書く機会のなかったネタで書いてみました。
以前プリメーラちゃんを出したので、今度は笙悟さんに出てもらいましたー☆
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