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魔物退治のお坊さん その後・下

「娘さんじゃなくて、精霊だったのか。黒目黒髪も綺麗だったけど、やっぱり元が一番だな。
こんな美人が式神だなんて、黒鋼がホントうらやましいぜ」


笙悟の言葉に、精霊はほんのり頬を染めうつむいた。
滑らかな髪は光となって流れ、空色の瞳がそっと伏せられる。
白く細い指先を震わす、その姿。

ー 反応が初々しくて可愛い。

などと、思っている場合ではない。



遥々やって来た笙悟を、「ファイがお前のこと気に入りやがったから早急に立ち去れ」などと
さすがに追い返せなかった俺は、彼を自寺へ呼んだのだ。
客間へ通し、三人で茶など啜っている訳なのだが。
何とか胸の内に潜めてはいるものの、気に入らない事この上ない。
隣に座るファイは、こちらにも伝わる程胸を高鳴らせ、この目元の涼しげな青年に
ちらちらと潤んだ視線を送っている。
そりゃ、昔からの恋より始まったばかりの恋の方が、胸は高鳴ろうが。
何とかせねばなるまい。
このままでは、偶然ほんのちょっと助けただけのこの男に、ファイを持ってかれてしまいそうな
雰囲気である。
もう一度この精霊を窮地に陥らせ、俺が助け直せばいいのか?
しかしもし笙悟が対抗して、またこいつを助けたりしたらならば・・結局鼬ごっこだ。

「ファイ、か。綺麗な名前だな。なあ、俺もファイって呼んでいい?」
「は・はい・・」
鈴を転がすような声が、嬉しげに揺れる。
地上のどの音より好きなこの声が、俺ではない他に向けられていると思うと腹立たしい。

「趣味とかあるの?」
「えっと・・お料理、かな・・」
見合いみたいな会話じゃねぇか。よりによって主人の目の前で、いい度胸だ。
しかし大体、ファイもファイである。
つい今しがた市を歩いていた時は、確かに俺をうっとりと見詰めていたというのに、この変わり様。
助けられるのに弱い、それが精霊の性質というのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
こんなにあっさり、心変わりするものなのだろうか。

(・・心変わり、というか)

ふと、思った。
ファイが今まで俺と共にいたのは、今笙悟がしたように、俺がファイを助けたからじゃないか。
それは精霊の性質、例えれば眩しいと瞼が閉じる類の、反射反応みたいなものだ。
(・・ファイの、心は)
それは、本当に愛していると言えるのだろうか。
曲げた膝を木槌で叩けば無意識に上がる、そんな反応と一緒ならば。
(・・元々俺を、愛していたわけでは・・)

助けてくれた者であるなら、俺じゃなくてもいいのではないか。
そう、思うと。
今までのふたりの生活が、空虚なものに感じられた。


「へえ、すごいな!ファイの手料理、食ってみたい」
「よかったら・・いつでも、作ります」
嬉しげに笙悟を見詰める、潤んだ瞳。
空虚に囚われたままにその蒼瞳を見ると、自信が揺らいでくる。

もし今俺より笙悟に、心惹かれているなら。
この状態で無理に俺の元に留めたとして、俺はこの精霊を幸せに出来るのだろうか。

何だか、娘を嫁に出す父親の気持ちが分かる気がする。
切ないが、仕方ない。
・・・ファイが。
ファイの気持ちがもう、こいつに移っているのなら。

そう、俺は、ファイが幸せならいいのだ。
笑っていてくれるなら、
− 隣にいるのが、俺でなくても。
おまえさえ、幸せなら。


覚悟を決めて目を閉じた時、ファイがそそくさと席を立った。
「ごめんなさいー、ちょっと・・」
茶のお代わりでも淹れてくるのだろう。
障子の向こうに写るファイの影を見送ると、同じように見送った笙悟がばたりとちゃぶ台に突っ伏した。
「たまんねぇ、すっげカワイイ!!まじでお前うらやましい!!」
「・・欲しいか?あいつ」
「当たり前だろ!でも、もう黒鋼の式神だからなー。悔しいぜ」
「もしファイが、お前の方がいいって言うなら・・。いいぞ、連れてっても」
「え?!嘘だろ?手放すのか、あんな可愛い子。冗談だろ?」
「俺はあいつと契約をしたが・・あいつの心まで、縛る気はねえ」


そうだ。
もう心がここにない式神を無理矢理留まらせたって、それが何になるというのだ。


「よっし、じゃあ早速ファイに聞いてみようぜ!」
笙悟が目を輝かせて立ち上がったところでーファイが、戻って来た。
「・・・・っ?!」
その姿を見て、目を疑う。

ファイの手には、まとめられた荷物が下げられていた。
「黒鋼、今までお世話になりました」
「お・・まえ、何言っ・・」
いつものいい加減なあだ名ではなく他人行儀に俺を呼び、綺麗な精霊はぺこりと頭を下げた。
そして伺うように、上目遣いで笙悟を見上げた。恥ずかしそうに、頬を染めて。
「これからは、笙悟さん。貴方をご主人様と呼んで、いいですか・・?」
他の者を見詰めているのに、その蒼い瞳は。俺の好きな、色のままで。
「やった、そりゃ喜んで!でも、本当にいいのか?君は黒鋼の・・」

「よくねえッッ!!!」

自分の声に驚いた。
気付くと腕の中に、ファイを抱き寄せていて。
こんな強い力で抱き締めては、ファイの身が痛むのに。
でもこんなものじゃ足りないと思って、それでやっと俺は、自分の本音に気が付いたのだ。

そうだ、あんなこと言いながら。あんなことを思いながら俺は。
そんな訳がない、ファイは俺を好きで、何処へ行くはずもないと、固く固く信じていたのだ。

「くろ・・っ、痛・・」
ファイが身じろいだけれど、構わずに力の限り抱き締めた。
「ファイ」
この際何だっていい、おまえをここに留められるなら。
「好きなんだ」
反射で結構。おまえさえ縛ってられるのなら。何度だって、助け直してやる。
「どう心変わりしようと、俺はおまえだけを、一生・・っ」
留められるなら、身体を縛り付けてでも。


「だから、どこへも、行くな・・!」


このまま抱き締めていれば、何処へも行けないのなら。
このまま一生、抱き締め続けてやる。

祈るような気持ちで、振り絞った言葉に。



「ごしゅじん、さま・・・」



ふいに降りてきた、
俺の好きな、柔らかい声。

情けないけれど、拒否するおまえを見たくなくて、固く閉じていた目。
瞼を、開けると。


ファイが、嬉しそうに笑っていた。
市をふたりで歩いていた時と、同じ笑顔。

ー え?


「黒たぁぁぁんっっvvオレ、うれしいーーっっ!!」
俺が言葉を発する前に、ファイが勢いよく抱き付いてきた。
「ちょっとからかってやっただけなのに、深刻に悩みやがって。
相変わらず冗談通じねえなぁ!」

「は?」

固まった俺を見て、ふたりは顔を見合わせて笑った。
「ごめんねびっくりさせてー!あのね、今日の朝、黒たんがいない時に笙悟さんが訪ねて来てー」
「そう、昔からずっと『式神なんていらねぇ』って言ってたくせに、俺が知らないうちにいつの間にか
こんな可愛い式神憑けてっからよ。悔しいから驚かせてやろうと思って、仕込んだってわけ」

「・・な・・んだ・・とオオ?!?!」

俺が、どれだけ・・・!!!

拳を握り締める俺を見て、笙悟は腹を抱えて笑っている。
「ね、おっかしーよねぇ。だってあんなにわざとらしい演技だったのに、黒たんすっかり信じてくれるんだもん!
ずっと噴き出しそうだったんだからー」
「て・てめぇら・・!!!」
「まま、落ち着け、軽い冗談だ。ここまで信じ込むと思わなかったからさー。
そう怒るなよっ」
「冗談にも程が・・!!」
思わず刀に手を掛けたところで、玄関の呼び鈴が場違いな程明るく響いた。
「あ、お客さんだ!はいはい今出まーすっ」
「こらぁっ、逃げるなファイ!!」
「いやーん、黒さまこわーいっ♪」
笑いながらパタパタと玄関口に出たファイが。

「キャアアーーーッッ!!」

突然、悲鳴を上げた。
「ったく、今度は何だってんだ?!」
怒り任せに、廊下が抜けるほど足音を轟かせつつ玄関口に出ると。
「何?!」


玄関には、客間にいるはずの、笙悟がいた。
そしてその隣には、見覚えのある精霊。


「よお、久しぶりだな黒鋼!いきなり来たからって、そんなびっくりすることねえだろ。
これ俺が憑けた式神だけど、お前らもう知り合いだってな。
お前らに会いたいって言うから、挨拶がてら来ちまったぜ」
「ファイ、久しぶりねっvvねぇ聞いてー!こんなカッコいい人の式神になっちゃったのーっっ♪」
甲高い声に、薄緑の長い髪。そうだ、これは確かプリメーラとかいう、ファイの友達だ。
昔思わず助けてしまって大変なことになったが、もう俺のことはどうでもよさそうである。
「じゃ、ちょっと大市見て回ってからまた来るな!」

俺が疑問を呈する前に、笙悟とプリメーラは連れ立ってさっさと街道へ出て行ってしまった。
残された、俺達は。

「おかしいねぇ・・笙悟さん、もう会って、部屋にいるのにー・・。
部屋にいるのは、双子のお兄さんとか・・かなぁ・・?」
「そうだと信じたい」
「だよねー・・そうじゃなきゃ、おかしいもんねー・・」

ふたりで静かに、頷きあった。
そう信じたかった、のだが。

大体読めてしまった。
そもそも、いくら笙悟が優秀な僧だからといって、本物の魔物を使った仕込みなど出来る筈がないのだ。
今彼らふたりが訪れたタイミングといい、
ここまで綿密で用意周到な悪戯が、出来るのはー



恐る恐る、
振り返ると。



「イヤアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!!!」


ファイの絶叫が寺中に響き渡り、追い詰められた仔猫のように、俺の背中にしがみ付いた。
やはりそこには。
二度と会いたくなかった、黒衣のー



「やあ、これだけ叫んで貰えると本望ですねぇ」



そう、『笙悟』は、神へと姿を戻していた。

「イヤ!!イヤイヤイヤイヤ!!!どーしよー黒たん!!本物の笙悟さんだと思って、
『このイタズラ好きめぇー♪』とか言って肘でうりうりしちゃったよぉーーーー!!!」
おしおきされちゃう、と半泣き状態のファイは、震える指で必死に背中にしがみ付く。
恐怖の余り、ついにえぐえぐ泣き出してしまった精霊を庇い、憎き敵に凄んでやった。
「この野郎何しに来た!!ファイが泣いちゃったじゃねぇか!!」
魔物すら震え上がる俺の眼光であるが、もちろんこの男には効く筈もなく。
「ふふ、何言ってるんですか。貴方なんか毎晩、この子をなかしているくせに」
「な、お・・っ」
「冗談ですよ。おや、本当にそうなんですか?」
「ちっ・・!だ、大体おめーも暇じゃねぇんだろ!
ちょっかいかけるなら使いでも何でも寄越しゃいいじゃねぇか、本人が来ることあるか!!」
本当に金輪際、会いたくなかったというのに。
「そりゃあ、ファイの怯える顔も貴方が深刻に悩む顔も、直接見たほうが楽しいですし。
来た甲斐がありました。まさか貴方の様な方からこんな言葉が聞けるとは、思いませんでしたねぇ。
『どう心変わりしようと、俺はおまえだけを、一生・・っ』」
「だああっ!!!!てめ・・ッッ!!!」
改めて聞かされると、死にたい位恥ずかしいセリフだ。
せっかくだ、この前のお礼も込めて一発ぶん殴ってやろうとしてー
しかし気付くと、神は背後に移っていた。

ファイに、すぐ手の届く距離。

「やぁーーーッ!!ご、ごめんなさいーーー!!!」
「てめぇ何す・・っ」
ファイを抱き締めなおす、その前に。


神の腕が伸ばされた。その長い指が、光髪を梳き。
濡れる蒼い瞳へと、優しげに微笑む。



「ファイ、よかったね」



梳かれた金の髪がふわりと揺れて、戻る間に。



神は、


霞のように消えた。




「・・かみ・・さま・・?」
「あんにゃろ、また勝ち逃げか!嫌がらせしやがってー!!」
歯噛みする俺の胸に、ファイが顔を埋めた。回された腕に、力が込められる。
「おい?ファイ・・」
また肩を震わせて泣き出した精霊を、そっと抱き締めなおす。まだ恐いのだろうか。
「大丈夫だ。あの野郎、もう帰ったぞ」

しかし、今度はいつ来るのやら。
すっかり油断していた自分を深く反省していると、胸の中のファイが囁いた。

「・・違うの。・・神様が、あんなこと言うから・・泣けてきちゃった」
「え?」
「すごくすごく・・うれしかったんだ・・黒たんの言葉・・」

俺の言葉?
この綺麗な精霊を失うと思って・・・色々恥ずかしい本音を、言ってしまった気がするが。

「黒たんの気持ちね、オレ分かってる。分かってるんだけど・・
こうして言葉にしてもらえると・・やっぱり、うれしくて・・。
ほら、黒たんて普段、好きだとか言ってくれないでしょー・・?」

顔を上げたファイは細い指で涙を拭い、恥ずかしげに微笑んだ。


確かに、今回のような危機的状況でもない限り、『好きだ』とか『何処へも行くな』とか
そんな恥ずかしいセリフは、とても言えないけれど。


「他の人に助けられたって・・オレが黒たん以外の人を、好きになるはずないよ・・。
オレのご主人様は、一生、黒たんだけだもの・・」


うっとりと見惚れるように俺を見る、その蒼く美しい瞳。
それは俺だけに向けられるものだと、分かっていた。信じていた。
しかし分かっていても・・
こうして言葉にされると、やはり何にも変えがたく、嬉しかった。
そうだな。
思うだけでなく・・言葉にすることも、大切なのかもしれない。


こんなにファイが嬉しそうに、涙を零してくれるなら。


ー まさか神は、その為に?

・・訳ねぇよな、とは思うけれど。


「・・それはそれとして、おまえ」
「なぁに?」
「笙悟だと思ってたとしても、俺を騙す誘いに乗るってのはどーゆー了見だ?」
「え!だ・だってー、どうせすぐバレると思ったからー・・。あの、ごめんね?」
「あいつの仕置きは免れたみたいだからな・・俺が変わりに、たっぷり仕置きしてやる!!」
「いやぁーん!ごめんなさいってばぁーっ!!」


慌てて逃げ回る、細い肩を、捕まえて。
そのまま後ろから、ぎゅっと力強く抱き締めた。



「・・一生、離さねぇからな」



いつも口には出さない、この胸の強い想い。


それを言葉にして、耳元で囁くと。




ファイは、
今にもまた泣き出しそうな顔で、

微笑んだ。




たまには、神の悪戯も、
いいかもな。




魔物退治のお坊さん・その後(完)



神様が図ってしたのかどうなのか、とにかく幸せに暮らすその後のふたりの様子でしたv
読んでくれてありがとうございましたー☆

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