6 放送
「黒たん!」
ファイが引き止める声が聞こえたけれど、構わずに駆けた。
あいつに何をしようとしたのか。そして、その理由も。
答えは簡単だ。
気付かない振りをしていただけで、多分ずっと前から、知っていたのに。
あの日。
俺は、その答えから逃げだした。
「黒たんいるー?」
「黒鋼君?あれ、さっきまでいたのに・・」
(危ねぇ・・)
聡いあいつに気付かれないよう気配を殺し、外壁に身を隠す。
少し間を置いてもう一度様子を探ると、ファイはもう諦めて教室に戻ったようだ。
ほっと息を吐いて壁にもたれたが、ここで気を抜くと危ない。
この間は気を抜いた所でいきなりこちらに向かって来たのだ。
もう少し、様子を窺う必要がある。
何故、このような忍者の真似事をしているのかと言えば。
情けないことだが、あれから俺はずっとファイを避けているのだ。
あの日から、努めてあいつのことを考えないようにしている。
顔なんか見てしまえば嫌がおうにも考えてしまうから、避けるしか方法はない。
そう、あの日気付いた、胸の内の答え。
答えを出したって、どうしようもないのだ。
いくら綺麗でも相手は男。こんな事を打ち明けては、困惑させるだけだろう。
だからもう、この答えには蓋をする。だからもう、会わないほうがいい。
・・あいつの為にも。
(なんて、要するに逃げてるだけだ)
逃げた所で、何の解決にもならない。俺らしくもない。
ただ正直、気持ちを実感した今、あいつに会うのはつらかった。
一度自覚してしまえば、もう、元には戻れない。
ファイは最初のうち、鬼ごっこのように面白がって俺を探していたようである。
が、あれから数日。
自分で言うのも何だが、本気で避ける俺を捕まえるのは非常に難しい。
未だ姿さえ見つけられず、ついにファイも捕獲作戦に本腰を入れだした。
落とし穴にはめられたり、嘘の工事現場誘導により行き止まりに追い詰められたり、
激しい攻防も一週間。なんとかやり過ごしたが、いい加減ファイも怒っているだろう。
『黒たんのばかー!』なんて、ぽかぽか叩いてやりたいと思っているのかもしれない。
いつもみたいに。
一緒に帰ろうと言ったのに、先に帰った俺を追いかけて来て。
むくれていたけれど、俺の顔を見るとすぐ笑った。
そんないつものファイを、思い出した。
たった一週間、会ってないだけ。
甘えた表情、甘ったれたその口調は、俺しか知らない。
避けているのは自分のくせに、無性にあいつが恋しくなった。
(でも、会っちまったら・・今度は何するか、自分でも分かんねぇんだ・・)
いい加減、もう帰ったろう。そっと教室に戻り、深く溜め息を吐いた。
次は部活だ。いつもより重く感じる、用具を抱えたその時。
ピンポンパンポーン♪
淀んだ胸の内を嘲笑うかのような、軽快な放送チャイムが学園に響く。
続いて聞こえた声に、教室中がどよめいた。
『連絡。』
「え?この声、理事長だ」
「理事長自ら放送なんて!何か大事件?」
世の中全てを見通しているかのような、空恐ろしさを感じるこの声。
校内放送には全くもって相応しくないそれは、間違いなくあの厄介かつ非常識な理事長の声だった。
また何か仕出かす気ではなかろうか、あの女。
広がるざわめきの中。
世にも忌まわしい放送が、学園中に響き渡った。
『2-B黒鋼君。大至急、理事長室へいらっしゃい。逃げるんじゃないわよ・・』
ピンポンパンポーン♪
これまた軽快に放送終了のチャイムが、鳴り終えると同時に。
学級全員が黒鋼に注目した。
な。
「キャーーー!!大変!な・何したの?!黒鋼君?!」
「逃げるなだって!お前殺されるんじゃねぇか?!」
「絶対マズいぞ!早く行けーっ!!」
「な、俺は別に何も・・・っ」
何も、とは言いつつも、呼ばれた理由なんてただひとつ。
ファイは理事長のお気に入りだ。
見つけるたびに抱き締めて「可愛い子ねv」などと奴の頭を撫でており、ついでのように俺を横目で見ては
「よくこんな目付きの悪いのとつるむわよねぇ・・」などと嘲笑しやがる。
泣きついたなんて事はなくても、そろそろ俺らの様子を嗅ぎつけたのかもしれない。
「が・がんばれよっ、生きて帰って来るんだぞ!」
「無事帰還すること、祈っててあげる」
理事長の恐ろしさは学園中の知る所とはいえ、まるで死の戦地にでも赴くような励まされようだ。
心遣いは有難いのだが、こう注目れては逃げるに逃げられないではないか。
行くフリだけしてさっさと抜け出そうと角を曲がると、他のクラスの奴らまで見物に出てきた。
「歩いてる場合か、走れー!!」
「気を落とすな!骨は拾ってやるぞっ」
「命日には参るよー」
面白半分、気の毒半分な花道が出来てしまい、散々な言われ様である。
しまいには知らない奴にまで呼び止められて、ご愁傷様ですと拝まれた。頼むから放っておいて欲しい。
圧迫感を感じて周りを見渡すと、こともあろうに他の校舎の奴らまで、窓から俺を指差していた。
学園中の視線が痛過ぎる。さすがにこの雰囲気の中、大手を振って帰れるほど神経は図太くない。
(あ・あんにゃろう・・謀りやがって・・!)
じりじりと誘導されるように理事長室へ辿り着いてしまい、いい加減俺も諦めた。
多分、この中にはあの気に食わない理事長と、もうずっと会っていない、あいつ。
あいつにはーー会いたいけれど・・会いたくない。ドアノブに掛ける手を、躊躇った。
しかし既に学園は包囲されたも同然で、後戻りなど出来はしない。
(ええい、どうなっても知んねぇからな!)
一度大きく大きく深呼吸し、ノックもせずにバンとドアをぶち開ける。
「あらぁ、逃げなかったのねぇ」
「あ・・?」
黒いシルエット。大窓からの夕日を背にした人影は、ひとつしかなかった。
その部屋には、呼び出した理事長只一人。
なんだ。安心したような、・・少しさみしいような。
女は大袈裟な椅子に長い足を組んで座り、俺を見てふふと微笑んだ。恐ろしい。
が、ここでめげてはいけないと、睨みを効かせ凄んでやった。
「あんな放送しやがって、ふざけるのもいい加減にしろ」
「如何してあたしが呼んだか、分かってるわよねぇ?」
もちろん俺の眼光など欠片も効果はなく、女は立ち上がり俺の方へ一歩近づいた。
呼んだ理由。当然、ファイのことで呼んだのだろう。
「逃げるなんて、貴方らしくない。情けないと思わないの?」
そりゃ、確かにそう思う。逃げるなんて俺らしくないし、情けないとも思う。
しかし・・多分これは、恋愛という類のものだ。そんなもの、生まれて初めてなのだ。
ファイが嘘を吐いている時や無理をしている時、その顔を見ればすぐ分かったのだけれど。
こと恋愛に関しては、奴がどう思っているかとか、・・どう思われるだろうとか。
全く分からなかった。
「逃げてばかりじゃね、大きくなれないわよ?」
確かに、これでは心も成長しない。
「健康にもいいし」
確かに今のままでは、健康を害しそうだ。
「子供でも飲んでるわよ?」
・・・?
「牛乳」
なるほど。
「な!んなこと言う為にあんな事しやがったのか?!俺は牛乳なんか絶対飲ねぇからなっ。
それだけならもう帰るぞ!」
馬鹿にされるにも程がある。けらけらと高笑いする女に背を向け、扉を勢いよく開けるとー
「あ」
声が重なった。
扉の向こうに、目を奪われるほど綺麗な奴が、立っていた。
煌くサラサラの金髪に、透き通る白い肌。宝石のような蒼い瞳、濡れたような長い睫毛。
「な・・」
思わず見惚れてー
俺は、逃げそびれてしまった。
「黒たん!捕まえたーっ!」
華奢な身体が、勢いよく胸に飛び込んで来た。細い腕が、しがみ付くように身体に回される。
金の髪が、甘く香るようで。
ああ、ファイだ、可愛い。素直に嬉しかった。
避けていたくせに、やっぱり本当は会いたくて堪らなかったのだ。
当たり前だ、俺はこいつをー
でも。
「離せっ!」
細い肩を掴んで強く引き剥がした。
「え・・?」
綺麗な声が、不安げに揺れる。
「もう俺に付きまとうな。」
ファイから顔を逸らしたまま低く発した言葉は、僅かに震えてしまった気がする。
目を合わせて言えない自分が情けない。
ファイの、小さく呼吸を飲んだ音が聞こえた。
傷つけたかもしれないと思って、逆に自分の胸が痛んだ。
「・・くろ・・。も・・オレの事、嫌いになったのー・・?顔も見たくない、くらい・・」
こいつの、こんなに哀しそうな声を聞いたのは、初めてで。
「違っ・・!」
つい、俺は顔を上げてしまったのだ。
目の前の綺麗な蒼の瞳は、涙で潤んでいて。
あまりに哀しげな色を湛えていて。
そんな色に、滲ませたくなくて。
つい、俺は。
「違う」
駄目だ、こんなことを言ったら。
「俺は・・おまえが」
こんなことを言ったら、もう会えなくなるのに。
「好き・・なんだ・・」
ーなのに。
俺は、言ってしまったのだ。
これでもう、おまえとーー
「あはは、なぁんだー!!オレも黒たん大好きだよーっv」
しかし予想に反し、ファイは嬉しげな歓声を上げて飛びついてきた。
「え?!」
「もー!ずっと逃げてたのは、イジワルしてただけ?黒たんのいじめっこー!」
何だか対応が軽過ぎる気が。
「びっくりしちゃった!ね、今日はもう一緒に帰ってくれるー?」
・・これは明らかに。
「ファイ、おまえは誤解している。俺の好きとおまえの好きとニュアンスが違わないか」
「え?」
「だから・・俺みたいにおまえも、あんな事やこんな事、考えてんのかっ?!」
「え・・黒たんは、何考えてるの?」
「何って・・だから・・っ」
口では言えない。言葉に詰まって、助けを求めるように理事長に目をやると。
当たり前だが、助けを求める相手が悪い。女は腹を抱えて笑っていた。
「笑い事じゃねえ!どうすりゃいいんだっ」
「そこまで面倒見切れないわよぉ、自分で何とかなさいな」
「何の話ー?」
小首を傾げたファイは、気を取り直したように元気よく手を差し出した。
「ね、黒たん!仲直りの握手しよっ」
つられて手を出すと、ファイは俺の手をぎゅっと握り、うれしそうに微笑んだ。
「明日は一緒に学校行こうねー」
まるで小学生のような、約束をし。まるで小学生のように、つないだ手をブンブン揺らされながら。
な・・何か違う・・・!!!
黒鋼の、声にならない叫びが、赤い夕日にこだましたのだった。
何故扉の向こうにいたファイがいたかというと、ファイも理事長室に呼ばれていたのでした。
放送ではなく通達で・・。