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或る国王と剣士のお話B

正式な就任は、一ヵ月後だという。
それまで、国王付の仕事を教わったり、敬語や礼儀作法の研修を受けるなどした。
この、敬語と作法の研修が厄介だ。
これまで積み重ねた生活習慣は、すぐには改まるようなものではない。
というより、改める気がない。今までずっと、敬語や作法などと程遠い生活を送ってきたのだ。
研修の講師はじき諦めたようで、『貴方の一番の役割は、国王様をお守りする事です。
礼儀作法が出来なくても、国王様を敬う心だけでもあればよろしいでしょう』と
ため息をついていた。
国王付の仕事の方は、国王に付きっきりだと聞いていたが、全く文字通り付きっきりのようだ。
国王が自室にいる時は入り口のドアの外で見張りをし、訪問者の取次ぎなどもする。
出掛ける際は必ず後ろに控えて行く。
国王の食事の部屋には、国王付専用の食卓も脇に備えられている。
国王の部屋には大きな浴室やお手洗いも備え付けられていて、常に傍にいないといけない国王付も、
それを利用することになっているらしい。
(ということは部屋の前で見張りをする際、トイレに行きたくなる度に国王の部屋に入らないと
いけないじゃないか・・あいつ何か言いそうだな・・という細かい事が気になった)
夜は、国王の部屋と隣接している小部屋が国王付用の寝室になっている。
本当に24時間共にいることになるのだ。

考えてみれば、相当大変な仕事である。
実際年に1・2回暗殺未遂が起きる、その状況を基本的にたった一人で守るのだ。
万が一の事があれば、全責任は国王付護衛兵が負うことになる。
24時間気を抜けない。おちおち寝ていられない。
せめて護衛兵を二人にして、交代制にしたほうが精神的にも体力的にも良く効率的なのではないか。
そう思って聞いてみると、常に共に行動しているからこそ分かる些細な変化などが、
事件に気付くきっかけになることもあるのだという。
まあ、そういうこともあるのかもしれないが。
ちなみに仕事を教えてもらう際、「たまに国王様のお相手をするのも仕事だ」
とさらりと言われ何の相手か非常に気になったが、
何だと思っているんだと突っ込まれても嫌なので、聞かずにおいた。

そして就任の日がやってきた。朝食を摂った後、城内の広間で国王付護衛兵就任式が行われた。
大臣の言葉の後、草薙から国王付護衛兵の勲章を受け取り、国王の前で跪いた。
「セレス国護衛軍長黒鋼、これより貴殿を国王付護衛兵に任命する」
凛とした、厳かな声でそう言われ顔を上げると、高座から、まるで作り物のような顔をした王が、
こちらを見下ろしていた。
服を見せに行き、笑っていたあの日が嘘のようだ。
まるで天人が、人間の為に降りてきたような。そこにいた王は、どの国の王よりも威厳があった。
さすが王家の血筋だな、と少し畏敬の念を抱いたのだが。

「くーろたん、お菓子食べなーい♪」
その後数十分で、畏敬の念はもろくも崩れ去った。
国王の自室の前で見張りをしていたのである。そうそう訪問者があるわけでもないが、気を張る必要がある。
ドアからでなく室内の窓から侵入者がある可能性もあるわけで、辺り一帯の不穏な気配を探る。
自分が守っている時に万が一の事でもあれば、プライドに関わる。
例えどんな強敵が狙おうと、必ず倒してみせるつもりだ。
「黒鋼様!」
突然ドアが開き、チィが顔を出した。
「何だ。敵か?!」
この俺が気が付かないとは!柄に手を掛けた。
「お茶飲まれませんかと、ファイ様が」
「は?」
するとチィの上に国王がひょっこり顔を出した。
「くーろたん、お菓子食べなーい♪」
さっきの発言になるのである。

「阿呆かおまえ!菓子なんか呑気に食ってる場合か!!」
「黒鋼様っ、またそのような・・ファイ様に何て言葉を。研修で敬語習わなかったんですか?」
「俺は俺の好きなように話させてもらう・・て、おい?」
かくん、と王が膝を付いた。まさか敵の攻撃か!?とっさに周囲を見回す。
「・・・・あほって言ったぁ・・」
「は?」
国王は華奢な両手を自分の顔にあて、項垂れた。肩がかすかに震えている。
「国王を泣かせてはいけませんよ」
秘書が書き物の手をとめ、真顔で言った。
まさか、こ・これくらいで泣くのか?まずいんじゃないだろうか。
こんな所大臣にでも見られたらと、慌ててドアを閉め、室内に入った。
「お、おい」
肩に手をあてたが、想像以上に細い肩に驚いて、思わず手を引っ込めた。
そういえば、護衛で必要な時以外は国王に手を触れるなと、研修で聞いたことを思い出す。
引っ込めると同時に国王は顔を上げた。
「やっと入ってくれたーV」
大笑いしている。
「て・てめえ・・!」
「まさか、本当に泣いていると思われてたんですか?」
「黒鋼様って、騙されやすいですねっ」
本当にもう嫌だ。

「お茶は何を飲まれますか?」
これ以上抵抗してもろくな目にあわないと確信し、俺はため息をついてソファに腰をおろした。
「大陸中の美味しい紅茶、全部ここに揃ってるんだよー。
チィはどの紅茶でも一番美味しい淹れ方知ってるんだ。えらいよねー。何でも言ってー」
「・・玄米茶」
「げんまいちゃあ?」
国王とチィが顔を見合わせた。
「て、何?」
「大陸北部の国々の農村部で好んで消費されているものです。わが国では米を食す文化がない事もあって、
残念ながら作られていません。輸入もしたことがありませんね」
秘書が解説をしてくれた。
「黒りんたら、またマニアックなものを」
「や、何となく言っただけだ。何でもいい」
玄米茶は、初めて入った軍でよく出された。たまに懐かしく思い出されるが、
この辺りの国ではどこも置かれていない。ここならあるかと思ったが、やはりないようだ。
「ご希望に添えず、申し訳ありません。国内にあれば取り寄せるんですが・・。
では、チィたちと同じのお淹れしますね」
見ると、茶器を蒸らす所から始めている。成る程、一番美味しい淹れ方を知っているだけはある。
ただし俺は、丁寧に淹れてもいい加減に淹れても、多分違いは分からない。
「はい、このお菓子食べなよー。すっごく美味しいんだよ」
パウンドケーキのようなものが、金の縁の皿に綺麗に盛り付けられている。
「俺ぁ甘いもん嫌いなんだっ・・モフッ!!」
顔を少しそらせた隙に、“だ”のところで菓子を口に突っ込まれた。
王専用の席にいたはずのファイが、何時の間にか傍に来ていた。素早い。
「へめえ!はにしやはふ!!」
「黒ぽん、口に物入れたまま喋るのは、無作法だよー」
王は笑いながら、席に戻っていった。
「へめえのへえはろが!!」
埒があかないので、しょうがない。咀嚼すると、ケーキに入っていた甘酸っぱい乾燥果物から
ラム酒か何かが染み出した。それがケーキのほのかな甘味と混ざって・・美味かった。
「ね?美味しいでしょー?」
悔しいので美味いとは言わず、黙って食べた。
「お茶お淹れしました。どうぞ」
立体的な薔薇の細工の付いたカップが差し出された。芳香が漂う。
ケーキが美味いなら茶も美味いだろうと、試しにちょっと口に含んでみると、喉から鼻にいい香りが
抜けた。落ち着く。

「・・・てッ、こんなことしてる場合かーッ!!!」
「わっ吃驚した!いきなりどうしたの?黒りん」
「見張りが茶ぁすすってくつろいでどうすんだよ!」
立ち上がり力説していると、
「でもさぁ」
国王が金の匙をくわえたまま言った。
「この窓から狙われる可能性もあるでしょ。ドアの外で見張るより、室内にいた方が
守りやすいんじゃないー?」
実はそれは、俺もちょっと思っていた。
「まあ、それも一理あるが・・」
「でしょ?ここで見張りしなよー」
とりあえず、もう一度ソファに座った。

「やることねーじゃねぇか!!」
ドアの前で立って見張りをしていればそれなりに格好がつくが、ソファで座って見張りは手持ち無沙汰感がある。
しかも他の三人はめいめい書き物や掃除などしている為、余計ヒマ人な雰囲気だ。
「今度は何ー?君意外と我侭だねぇ」
「あっ黒鋼様、暇でしたら浴室のお掃除手伝って下さいませんか」
「見張りが風呂掃除してどうするんだ!大体今まで毎日軍部で鍛錬が日課だったのに、
こんな生活してたら体がなまりそうだぜ」
「じゃあここで腕立て伏せでもしてたらどうー?」
「国王の部屋で腕立て臥せってどうなんだよ・・」
「見られるのが嫌だったら、隣の国王付用寝室で腕立て伏せでもいいし」
「人知れずかよ!!」
「黒鋼様がいると、賑やかでいいですねv」
断じて俺は賑やかな男ではない。
「国王様、黒鋼様、この書類をどうぞ」
この騒ぎの中、眉一つ動かさず仕事をこなしていた蘇芳が、数枚の紙を差し出した。
大した奴だと思う。
「城外の公務が解禁になりましたが、本日は黒鋼様が就任初日ということもあるので、
職務に慣れて頂く為一日城内での公務となります。
が、実は明日早速城外の公務を予定しています。
二つ隣の国で行われる、大陸連合協定の総会に出席して頂きます。
今渡した書類は、現地へのルートを記した地図、出発から帰るまでのスケジュール、
開催国や総会の会場内の地図、総会の流れを細かく記したものです」
「何だと?今まで国内でも表舞台に出てなかったんだろう。いきなり国外に出て大丈夫なのかよ?」
「わぁい、旅行旅行ー♪」
「諸手を上げて喜んでる場合か!おい、本当にこいつ総会になんか出して大丈夫なのか」
「国王様は、締める所は締めて下さるお方です。何一つ心配要りません」
そう言われて、朝行った就任式でのこいつを思い出した。
王座に座るこいつは誇り高くて、間違ってもお菓子食べようなどと抜かす奴には見えなかった。
ふざけてる時がこいつの本性だとすると、大した繕い様だと思う。
「国内での公務は、二週間後のセレス国体式典が初になります。
もともと、黒鋼様の就任をこの時期にしたのは、大陸連合協定総会に合わせての事なんです。」
「どういうことだ」
「総会には、大陸の約五分の四、123カ国が出席します。貴方の存在を、大陸中に知らしめるためですよ」
そう言って蘇芳は、真剣な面持ちでこちらを見た。
「『黒鋼』様は、脅威なんです」
「脅威って・・」
また大袈裟な。
「貴方は数年毎に国を移り、各国の軍に入ってますね。その力は絶大で、貴方が来ると軍力が倍増します。
どの国にとっても、貴方は喉から手が出るほど欲しい存在なんです。
しかし、貴方はスカウトされても自分の気が向いた所にしか行かないし、せっかく来ても、
数年でまた他国へ移ってしまう。言ってみれば、持ち回りの福の神のようなものです。
貴方がどこの国へ行っても、いつも戦争ばかり起こっていたでしょう?
『黒鋼がいるうちに戦争をしろ』と言われてるんですよ。多少無理な戦でも、貴方がいれば絶対に勝てますから。」
確かに、どこへ行っても毎度毎度無茶な戦ばかりで、辟易する事もあった。
戦乱の世だと思っていたが、どうもそもそも自分の存在自体が原因だったらしい。
「そんな『黒鋼』様が今はセレス国にいるという事が大陸中に知れれば、貴方がいるうちはまず攻め入る国は
ありません。できるだけ無駄な戦は避けたいですからね。
噂としては存在が広まっているようですが、公式に出て頂けるのが一番効果があります」
「そういうもんかな・・」
「ねぇねぇ!おやつ持ってっていいのー?」
「てめえっ人が真剣に話してるって言うのに・・」
目をやると、楽しそうに書類をめくっていた王の手が、一瞬止まった。
書類を見る表情が、一瞬固まった気がした。ほんの、一瞬の間。
「どうした」
「ーえ?何が?」
国王は、いつも通りの笑顔で顔を上げた。
「何って・・」
気のせいだろうか。ほんの、一瞬だけー。

「ファイ様、もうすぐ昼のお食事のお時間です。」
「何だと?!もうそんな時間か」
金細工の時計を見ると、確かにもうすぐ正午になる。ろくな事をしていないのに、時間が早い。
「チィたちは城内の食堂で食べます。黒鋼様、ちゃんと国王様に付いていて下さいね」
「研修で、城内の見取り図は頭に入っていますよね」
まるで覚えていない。
「さぁ黒たん、レッツゴー♪」
そう言って国王は白いマントを羽織った。

金の肩飾りが煌いた。上質の純白のマントに、金の髪が良く映えた。
振り向いたファイの、蒼の瞳が、深い色の宝石のようだった。美しかった。
そろそろ見慣れてきたかと思ったが、服が少し変わっただけで見蕩れてしまう。
我ながら情けないと思う。
「ほら、行くって」
顔を覗き込まれて思わず後ずさると、ファイは笑った。
「分かってるよー、城内覚えてないんでしょ。大丈夫、オレに付いて来てよ」
動揺を、城内を覚えていない為と取られたらしい。よかった。

国王室のドアを出て、長い毛の絨毯を真っ直ぐ歩くと、国王の食事の間はすぐ傍にあった。
『こんなに近くなら、さすがの黒たんも覚えられるでしょー?』などと軽口を叩かれるかと
身構えたが、予想は外れ、食事の間のドアを開け傅く召使に向かい、国王は優雅に微笑みかけていた。
入るとばかでかい長机があり、真ん中に食事の邪魔をしない為だろう、匂いの少ない花が豪華に飾られている。
椅子は一つだ。
国王は席に着き、恭しくナフキンなど渡されている。
一人用の机にしちゃ、大きすぎるんじゃなかろうか。
そういや自分はどこで食べるんだと思っていると、少し離れたところに置かれた二人分位の大きさの机に
案内された。まあ、このくらいの大きさが普通だろう。
国王の机があんなに大きく作られているのだから、そっちで一緒に食えばいいような気もするが、
同じ机でものを食べるのは国王に対し無礼だとか、そういうことなのだろう。
もっとも、国王室で菓子を口に突っ込まれたりしている事を考えれば、かなり今更な気もするが。
席に着き国王を見ていると、料理長らしき人に料理の説明を受けたり、たくさんの召使にあれこれ
世話をされたりしている。ほんの少しづつ運ばれてくる料理。
・・・あんなふうに食べる食事は、疲れるんじゃねえかな。

どうも、あいつがふざけるのは付人3人の前だけのようだ。
食事中ずっと、作り物のような表情をしていた。
幼い頃から続く生活の中で、自室の中だけが唯一寛げる場なのかもしれない。
仮にも一国の王だ、人前ではしっかり振舞わないといけないのだろう。
国王らしく、誇り高く。皆が安心するように。

しかし・・・まさか、自分の食事もあんなちまちました物なのだろうか。
あんなんじゃ食った気がしないと心配していると、3・4皿のしっかりした飯が運ばれてきた。
ひと安心である。食ったら美味かった。

食事を終え部屋に帰ると、すでにチィと蘇芳は戻って来ており、それぞれ仕事をしていた。
「お帰りなさいませ、ファイ様。黒鋼様、お食事はどうでしたか?」
「まあ、悪かねぇな」
「黒たん、しあわせそうにステーキ食べてたよねぇー」
「みっ、見てたのか!お前」
それとなく見られていたらしい。
「よくあんな脂っこいもの食べられるねー。オレお肉苦手なんだよねー」
「だからお前、腹にたまらなそうなもんばっかりちまちま出されてたのか。
あんなもんばっか食ってるから体が薄いんだ」
「薄いって・・ひどいー。いいよね、黒たんは体格がしっかりしてて。俺もそんな風になりたいなー」
「キャー!やめて下さい!黒鋼様みたいになったら気持ち悪いです!
チィはファイ様みたいな細い体が好きです!」
「おい、それは暗に俺が気持ち悪いっていってんのか」
「ありがとチィ、オレの事慰めてくれてるんだよねー」
ファイとチィはひしと抱きしめあった。
仲が良い。彼らは幼馴染だという。
・・・別に、恋仲、とか言うわけじゃ、ねえんだよな・・?
『手を出すと、ギロチン台行きですよ』と釘をさされたのは、ひょっとして、
二人の仲を邪魔されたくないから、とか、そういう理由じゃ、ないよな。
何となく、胸がざわついた。

そんなざわつきも知らず、しばらく慰められて満足したらしいファイが、こちらに向き直った。
「さて、腹ごなしでもしようかー」
そう言ってマントを脱いだ。それだけでつい見入ってしまう。
続けてローブまで脱いだ。その上スカーフまで取り、チィに渡した。
いまや、上は薄手のオーバーブラウスだけだ。白い喉元と、細い鎖骨が見えた。
ど、どこまで脱ぐんだ。ひそかに動揺していると、
「もちろん、黒たん付き合ってくれるよねー?」
胸のボタンに手を掛けつつ、ファイが怪しげに笑った。
講習で俺が気にしていたのはこれだ。『たまに国王の相手をするのも仕事だ』と。
「たまにやると、気持ちいいよねー」
やるって、何を。


Cに続く

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