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その胸に、星が墜ちる。5

「隊長!いつ叫ぶかってずーっと期待してたのに、どうしてやってくれなかったんですか?」
「いつでもフォローに駆けつけられるよう、せっかくクラウチングスタートの姿勢で守り場にいたのに!
ひどいっス!」
あくる朝食堂でメシを食っていると、例の部下が大騒ぎしつつ向かいを陣取った。
朝から能天気でうらやましい。
「しかも鮭定食が売り切れなんです!お陰でめざし定食ですよ全くもうっ」
「・・礼は言っておく」
「礼?隊長は鮭ですか、うらや・・え、礼?」
「礼ってまさか隊長!作戦成功?!恋するシスターに会えたんですか!」
「呼ぶ前に察知してあいつ、止めに来たんだよ」
会えたのは、一応こいつらのお陰だ。報告くらいしておいた方がよかろう。

「そんなバカな、まさかこんなお粗末な作戦が成功しようとは?!
凄まじく目ざといシスターちゃんですねっ」
「というか隊長、本当に叫ぼうとしたんですか?止めて下さいよ恥かしいー」
「冗談だったんか・・・」
怒る気にもなれない。しかも完全に、知り合いの相談ではなく俺のことだと決められている。
もう隠してもムダな気がするので、諦めた。

「で、どうなったんですか、発展は?」
「今日会って、話をしてくれるとよ。俺も非番だし」
「「おぉおー?!」」
歓声を上げ身を乗り出した上、目を輝かせる部下ふたり。
「本当おまえら下世話な話が好きだな・・剣術の稽古もこのくらい目を輝かせてやれ」
「いいですか隊長、ふたりきりでお話するからって、ここで早速盛っちゃ駄目ですよ!
あせりは禁物、テキは清純可憐なシスター!恐がらせちゃいますからね」
「盛るってな・・」

全くこいつらは、と溜め息を吐きつつ。
純情可憐どころでなく、相手は教皇。禁忌中の禁忌だ。
事は一応深刻なはずなのだが、こいつらにかかるとまるで男子学生が、通学途中に見かける憧れの
女生徒を落とすべく作戦を練っている風である。呑気なものだ。

「情熱のシャウトで、愛の激しさは伝わりました。次は優しさをアピールですよっ」
「しかしこの鬼の隊長が惚れるなんてどんなコなのかな、隊長って面食いっぽいっすよねぇ。
美人ちゃんでしょう?」
美人も何もー。その姿を、思い描く。
あんなに綺麗な人間は、ふたりといないと思う。
「・・・まあな」
「おお♪うまくいったら是非、僕らにも会わせて下さいね!」
「うまくいったらな」

ーうまくいけば、いいんだが。



優しさでハートゲッチュです!と本気なんだかからかわれてるのか分からない声援を受けつつ、
朝食を終えた俺は昨日ファイが現われた丘へと足を向けた。
またあいつに会えると思うと、自然と胸が高鳴ってくる。
本当に、来てくれるのだろうか。会ってはいけない理由を、教えてくれると言っていたけれど。
(会えないなんて言われたって、引き下がるつもりもねぇが)
そう思いながら丘を登りきった、その時。

「・・もうー」

同時にふわりと降ってきた声に、空を見上げる。

ー『美人でしょう?』

舞い上がる薄衣。
上品に煌く髪に、泉のように清らかな蒼い瞳。
雪白の肌、人形のように美しい顔立ち。
やはりそこに、星色の姿がふわりと浮き上がっていた。


ああ、綺麗だ。とても。


「本当は会っちゃ駄目なのになー・・初めて会った日も、そうだっけ。
何でだろうね、君って・・でも、今日で本当に最後だからね?」
「どうして最後なんだ、いいじゃねぇか。秘密にしときゃバレやしねーよ」
「子供の時もそう言ってたねぇ・・それでのせられちゃうんだよー・・」
ふう、と軽く溜め息を吐いてみせるファイの、小さな唇。その吐息すら、綺麗だと思う。
「降りて来いよ、説明してくれんだろ」
「ん・・オレの部屋でね」
「部屋?」

一瞬目の前が白に染まって、反射的に瞼を閉じた。


再び目を開けると、周囲は薄暗く目が利かない。次第に慣れてくると、そこが石造りの小部屋であることに
気が付いた。柵窓からの僅かな日光と、大きな祭壇に灯された蝋燭の明かり。
その頼りない灯火は、簡素なベットと古ぼけた机をぼんやりと浮かび上がらせる。
「椅子、一脚しかないんだ。悪いけどベットに座ってくれる?そっちの方が柔らかいしー」
「ここ・・おまえの部屋、か?」

こんなにも巨大な城に住まう教皇である、どんなにかいい暮らしをしているかと思えば。
これでは罪人を封じる独房と、そう変わりはない。
薄い掛布のベットに腰掛けてみると、それはお世辞にも柔らかいとは言えなかった。
宿舎のベットの方がまだマシだと思う。
「おまえ、教皇なんだろ?何でこんな部屋に住んでんだ」
「言ったでしょう。オレは“星の容れ物”だって・・」


そして軋む椅子に座ったファイは、こんな話をした。


遥か、大昔のこと。
この地に住まっていたあるひとりの者が、その身に奇跡の力を宿した。
未来を読み、隔された過去を見、水や光を呼ぶことができるという、その奇跡。
しかしその者は決してその力を私利私欲の為に使うことはなく、困った人々を助ける為だけに使った。
いつしか彼の周りにはたくさんの人々が集まり、それはひとつの国となった。
それがこの国の始まりであり、教皇の始まりである。
ーこれはこの国に伝わる神話であるが、その奇跡の力を持ったきっかけとは、大昔のその日。
その者の胸に、星が墜ちたのだという。
奇跡の力が備わったのは、星を胸に宿しているからなのだと。
「君が子供の頃見たって言った流れ星。
オレは知らないって言ったけど、本当は・・あの星は、ここへ墜ちたんだ」
そう言ってファイは、細い指先で自らの胸を指し示した。

その胸の奥に、星を宿しているからなのだろうか。
こんな薄暗い空間であっても、星のように煌くのは。

「教皇が亡くなると、星は次の教皇となる者の元へと巡ってゆく。
君と初めて会った日の前の晩、先代の教皇が亡くなったんだ」
「そんなこと・・知らなかったが」
この国の人々は知らない。そんな風に、教皇が変わっていくことを。
「ううん、教皇は変わらない。星を得た人間は只の容れ物で、主体はこの星。
星が教皇なんだよ。だから、皆に知らしめる必要はない」

それが“星の容れ物”の意味。
しかしー
「星が力の源にしても、容れ物ってのは変じゃねぇか。おまえはおまえだろ」
「もう人でいてはならないんだよ。
欲も希望も持ってはいけない・・名も、捨てろと。
星が墜ちたあの夜、城からお迎えの神官が来て・・そう諭された。
初めは理由が分からなかったけど、でもすぐに分かったよ。
力が、大きすぎるんだ」

静かに立ち上がったファイは、祭壇へと向かった。
がらんとしたこの部屋に不釣合いなほど立派な壇は、ここで唯一異様な存在感を放っている。

「君と会った幼い日の晩・・オレの人間としての形跡を消さねばならないと、神官に言われたんだ。
お屋敷も庭も消し、屋敷の者の記憶も書き変えるようにと。
・・そんなこと、出来る訳ないと思ったけど。
でもね、言われた通りのことを想像してみたら、本当にお屋敷も花畑も瞬く間に森に返ってしまった。
お屋敷にいたお手伝いさん達は、オレのことを初めて見るような表情で・・
ここで今まで何をしていたんだろうって、首を傾げてて。
父母は既に亡くなっていたし、それでオレの形跡は本当に・・消えてしまったんだ。
ただ、そう思い描いただけなのに」

そんなことまでも、ただ思い描くだけで?
思わずその瞳を見るとそれは、どこまでも静かな蒼を湛えていた。

「それで、理解したよ。物を消すことも、記憶を変えることも容易い。
何でも見える。何でも出来る。人間の欲は限りがなくて・・人間は堕落しやすい。
もしこの力を悪しきことに使えば、世界はどうなってしまうか・・」
すいと祭壇に掛けられたその手は、少し震えているように見えた。
「多分、最初の教皇もきっとそう。恐ろしくなって・・自分というものを消したんだ。
人でいてはいけない。特別なものなんて、作ってはいけない。
・・この力を手に入れたものは、皆必ずそう思うんじゃないかな」

静まり返る部屋は、外の鳥の声さえ聞こえない。
だから、こんな部屋に住まっているのか。星を宿すものはもはや“人”ではないと、自らを戒める為に。
彼の名は俺以外、皆知らないと言っていた。
城の誰も、彼の名を呼ばない。人でなく容れ物だから、知る必要はないのだ。
ただ、星の名でー“教皇”とだけ。
ファイというその名は、誰も知らない。
誰も。

「・・いつもこの祭壇で、祈っているのか。この国の、全ての者の幸せを」
「そう。神代の時代からずっと受け継がれている星は・・皆の幸せの為の力。
大地が揺れればその力を弱め、泉が渇けば雲を呼んでーそれがオレの役目。
これが、君と会ってはいけない理由だよ。君を特別にしてはいけないんだ。
人は、堕落しやすい。だからー特別なものなんて、作ってはいけない」


多分、人が手に入れるべきではない、その強大な力。
それは、人の力の及ばない領域の。


星とは何だろう。
どうして、人を巡り、人の胸に宿るのだろう。
その人を、ただの容れ物としてまでも。


それでも。
ーこんなこと、きっと初めから分かりきった感情だ。


「俺は・・初めて会った、小さかったあの日からずっと・・
おまえが好きだ」


その言葉に、ファイは細い肩を少し強張らせた。無言で見詰め返す瞳は、深い蒼で。


「おまえに課せられたものが、人じゃ手に負えねぇ大き過ぎる物だってことはよく分かった。
おまえは俺だけのものにはなれねぇ。
でも・・おまえが俺を好きになれなくても。
ただ俺が、おまえを好きだ。
それだけならいいだろ」


ファイは黙って、祭壇を見詰めた。
ファイの瞳に映りこむ、蝋燭の灯火。


「やっぱり・・君は、やさしいね」


消入るような声で、ファイは呟いた。

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