金持ち黒鋼物語
3
俺らしくもない。
父親に、この国での自グループの総括は任されている。財界は、厳しい世界だ。油断していれば、すぐに足元を
すくわれる。裏切りなど日常茶飯事で、気を抜くことはできない。
えげつないことをすると、陰で悪態を吐かれることもある。善行ばかり働いていては、この大グループは回していけない。
精神が磨り減る。
その反動だと自分でも思う、私生活では相当好き勝手にしていた。欲しいものは、無理にでも手に入れる。
その俺が。
そう、初めて会った時。
煌く金の髪、宝石のような蒼い瞳、美しい立ち姿。その場で襲ってしまうことなど簡単だった。
例え抵抗されたとしてその華奢な身体を組み敷くことなど造作もないし、俺には立場という多大なる力がある。
なのに。
その青年は、日々を耐えて生きているようだったのだけれど。そんなこと、俺には何の関係もないはずなのに。
優しい言葉をかけて、俺は掴んだ手を離した。
自分でも、何故なのか分からなかった。
次の日だって、好きにするつもりで買ったのだ。
なのに、ただ物を買ったこともなさそうな彼に物を買い、ろくに食ってなかろう彼に飯を食わせ、『早く休め』と彼を帰した。
俺らしくもない。
それからも、たびたび彼を買った。
抱きたいと思うけれど、身体に手を出すことはしなかった。
ファイは会うたびますます綺麗になり、徐々に心を許してきたようだ。俺を、善人だと、優しい人だと思っているのだろう。
本当の俺はそうじゃない。
自分でも、何故彼にだけこんな態度を取っているのか、分からなかった。
「黒鋼様は・・優しい・・方ですね」
別れ際にファイはそう言った。優しいなんて、これまで誰にも言われたことがない。
この青年の心を掴むために、優しくしているのか?心など掴んで、どうする?それが何になるというのか。
ほら今だって手を伸ばせば、いくら嫌がろうと好きに出来るのに。そもそもこの青年に拘らなくたって。
いくらでも言い寄る連中はいるし、俺の背後の財力と権力から、どんな上玉でも手に入る。
「・・オレいつも・・優しくしてもらってばかりで、何もお礼・・できなくて・・。
何でも、いいん、です・・何かオレにできること・・」
震えるか細い声で、華奢な指先は俺の服の裾を掴んだ。
俺に心を許している。
でもきっとおまえは、俺を誤解している。
「何でも?」
「・・っごめんなさい、オレ」
赤くなったファイは手を離し、顔を背けるとすぐドアに手を掛けた。その小さな手を取っ手ごと掴む。
「・・無理しなくていい。俺が好きでやってることだから」
揺れる蒼い瞳を、覗き込む。ほら、俺はまたこんなことを。
「・・無理・・じゃ・・ないんです、あの・・オレ・・貴方をっ」
蒼い瞳が、透明の涙で潤む。
「・・ごめんなさい、何でも・・な・・」
あやすように抱き締めてやると、閉じた金の睫毛から涙が一筋零れた。
何をしているんだろう。分からない。
抱きたい、でも俺はそれよりもっと、おまえを大事にしたいと思っている。
初めてだ、こんな気持ちは。何の利益にも、何の策略もなく。
ただ優しくしたくなるのも、大切にしたくなるのも。
この胸の、高鳴りも。
4
ただの気まぐれなのだと思う。
権力も財力もある彼は、欲しいものは何だって手に入る。なのに、何もないオレに手を差し伸べるのは。
ない時間を割いてまで、何も出来ないオレに優しさを分け与えるのは。
ふと気まぐれに、道端の捨て猫にミルクを与えるような。そんな感覚なのだと思う。
そのぬくもりは、他の対象を見つければあっけなく消えていく。まるで、全て夢だったかのように。
でも。
オレにとっては、大切な、大切なー。
貰ったぬくもりの数が、片手で数えるには足りなくなった、その日。
黒鋼は、オレ達が初めて出会ったスイートルームをとった。
無理して働きすぎじゃないのかと。その横暴な口調に、どこか優しげな響きを感じて。
逞しい腕に抱き締められた時、オレはその腕の中で、父親のことも、今後の不安も。一瞬、全部、忘れた。
そのぬくもりから開放されると、何故かそれがさみしくて。
貴方にとっては些細な出来事でも。
オレにとってそのあたたかさは、何よりもうれしかった。
「失礼致します」
部屋を取っている今は、お客様とホテルのサービス・マンという立場。
きちんと腰を折り、規定通りの仕草で注文されたルームサービスを運び、部屋へ入る。
「こっち来い」
「・・は」
あの日と同じ呼び掛けに、どきりとして睫毛を瞬かせる。思い出す。優しい言葉をかけられて、抱き締められて。
いつか消え行くものであっても、オレにとっては。
「如何なされましたでしょうか」
勤務用の穏やかな笑顔を作って近付くと、顎をぐいとすくわれた。
「あの日。おまえの本当の表情を見てみてぇと思ったんだ。・・何でだろうな」
言葉を返す前に、突然景色が反転する。途端、スイートルームの最上級のベットに、身体が柔らかく沈んだ。
真正面からの鋭く紅い瞳に、押し倒されたのだと理解する。
「黒鋼様・・っ」
顔の横に逞しい両の腕を付かれ、身動きがとれない。心臓が、破裂しそう。
「俺のこと。どう思ってる?」
低く、抑えた声に、身体が震えた。
「・・・優しい、お方、だと・・・」
「本当の俺は、ずるくて悪い男だ。優しくなんかねぇ。おまえの前では、作ってるだけだ」
どうしてだろう。
何もかも持っているはずの彼の声は、少し、揺れて聞こえた。
「本当の貴方が・・どんな方でも・・」
自分の頼りない指を伸ばして、彼の大きな手を、包んだ。
「オレにとっては、この世の誰よりも優しい方です。
生まれて初めて、こんなオレに、ぬくもりをくれた人・・」
何故だろう。
何でも掴めるはずのその強い掌は、オレの弱い指の中で、少し震えて感じて。
「貴方がどんな方でも。・・・貴方はオレの、初恋のひとです・・」
握った手に突然痛いくらい力を込められて、唇を乱暴に塞がれた。
「・・んっ・・」
今までないくらい、深く、激しくー何もかも奪われるような口付けに、彼以外、他の全てを忘れてしまう。
息苦しさからか、もっと別の理由からか、自然と涙が溢れる。
唇を開放すると、黒鋼は喉の奥で少し笑った。
「何なのか、分からなかった。こんな歳になって、散々汚いことしてきて、今更・・おかしなもんだ」
オレの涙を舐めとり、武骨な手はそっと髪を撫でる。
「そうか・・・初恋か、これは」
囁いた黒鋼に苦しいほど抱き締められて、呼吸が出来ない。
貴方が、オレに・・?
「好きだ・・」
その言葉に、胸が震えて。
その幸せに、死んでしまいそうだと、思った。
5
病院の清潔なカーテンが、緩やかな風に揺らぐ。
「改まって話とは、何だい」
今日の父は比較的体調が良いらしく、ベットから上身を起こしていた。
俯いてベット脇の丸椅子に腰掛けると、自分の握り締めた手が目に入る。情けないくらい、細い指。
「・・迷ってるんだ。父さんの、意見を聞きたくて・・」
黒鋼と、一夜を共にした。とても優しくしてくれて、それは夢のような一夜だった。
翌朝、彼に驚くような提案を出され、そして。オレは、答えを出しかねていた。
「迷うって?」
「うん・・諏倭っていう財閥・・父さんも知ってるよね」
「そりゃあ、知らない人はいないだろう」
「そこの若社長様がホテルに見えた時、給仕のオレを気に入って下さって・・。
それで、ホテルをやめて自分の元に来るよう誘って頂いて・・それだけじゃないんだ。
父さんの病気、今最先端の医学療法で治療すれば、治るって。その手術代ももってくれると・・」
「なに?そんなことまで・・」
「うん・・それで今お医者様に確認したらその手術代、すごい金額なんだ。オレが一生働いても・
ううん、2・3回生まれ変わって働き続けても、全然足りないくらい・・信じられない額だった」
今は、好きだといってくれる。今の黒鋼の気持ちは、信じられる。
でも、未来は分からない。
「いくら財閥の社長様でも、さすがにこんな金額・・申し訳ないし、返そうと思っても・・
とても返せる、金額じゃないし・・」
それになにより。
「オレの為って言って下さるけど、・・・オレにそこまでしてもらう価値も資格も、あるなんて・・・
思えない、し・・・」
力も財力もある彼に、何の力もない自分など釣り合わないし相応しくない。
呼ばれたからといって、彼の元に行くなんて・・おこがましいのではないか。
「ファイ」
俯くオレに、父が語りかけた、その時。
「邪魔するぞ」
突然病室のドアが開いて、驚いて振り向くと。
「・・黒鋼様!」
不機嫌そうにみえるけれど、それは彼のいつもの表情。
父の枕元に、見舞いだ、と手にしていた名店のメロン籠を置いた。
「・・ファイから話は聞いたか?」
「ああ、今聞いたところだ」
なら話は早い、と彼はオレの腰に手を回し、簡単に引き寄せた。
「・・頼む、こいつを俺にくれ」
「え?!・・くろ、が・・・」
見上げた紅い瞳は、真っ直ぐで。
くれって・・・・、それってまるで・・・。びっくりして、心臓が、止まりそう。
父は、穏やかに微笑んで、にわかに息を吸ってー叫んだ。
「ならん!!!」
「何だと?!」
「諏倭の若社長といえば、病床の私にも噂は及んでいる。
仕事は出来ても、女にだらしなくて泣かせた女は星の数だと!!」
「ええ・・っ、黒鋼様って・・女癖・・悪いんですかぁ・・・?!」
「い、いらんことを・・!そんな昔の話をぶり返すな!!貴様、人が下手に出れば・・!
言わせて貰うがな、てめえのせいでファイはちっちゃい頃から働きづめで食うや食わずだったんだろう!
悪いと思わねぇのか!!病気も治すってのに何が不満なんだ言ってみろこのクソじじぃ!!」
「まだ私はジジィじゃないぞ失礼な!ほらみろファイ、この男はおまえの前で格好つけてるだけで
本当は口は悪いしろくでなしだ、こんな奴の世話になることはない!!」
「と、父さん・・っ」
思わず、黒鋼を庇うように彼の前に立つ。
「違う!!黒鋼様は優しい人だよ!!彼を悪く言わないで!!」
「おまえは騙されてるんだ、そいつから離れなさい、ファイ!」
「やだ!離れたくない!!一緒にいたい!!」
思い切り黒鋼に抱きついて叫ぶと同時に、父の呻き声が聞こえた。
「・・く・・」
振り向くと、俯いた父が肩を震わせていた。
「と、父さん・・?!体調がまた悪く・・」
慌ててその肩を起こすと。呻いているのではなく、父は笑いを堪えていた。
「ふふ、やっと本音を言ったな、ファイ。こうでもしないとおまえはいつも本心を隠す」
「あ・・」
自分の叫んだ言葉に、気が付いた。
「本当は、そばにいたいんだろう。昔から何度も言ってるじゃないか、私に構わずおまえの好きに生きていいって。
この人のことが好きなら、お金を出してもらうのは申し訳ないとか、自分にはふさわしくないとか悩まずに、
自分の気持ちに正直に、素直に甘えたらいいじゃないか」
父さんはオレの為に、わざとあんな悪態を・・?
「父さん・・」
抱きつくと父は、幸せになるんだぞ、囁いた。
「黒鋼様、オレ・・」
振り返ると、黒鋼が憮然とした表情で父を見ていた。
「・・・・・クソじじぃとか言って、悪かった」
「まあこれからも世話になるだろうから、水に流してやろう。
ファイは渡すが、女遊びして泣かせたらすぐ返してもらうからな」
「だから!こいつと会ってからは何もしてねぇよ!!」
「・・・・・・ホント、ですかぁ・・?」
「おまえも疑うな!!」
どかどかと足音高く近付いた黒鋼は、オレの手を乱暴に掴んだ。
思わず身構えると、その掴み方に反して、指先にそっと。
優しく、口付けた。
「俺の所、来てくれるんだな。・・何よりも一番大事にするから。一生」
指先が震えて、唇が震えて、うまく言葉が口に出来ない。
「・・は、い・・」
今の黒鋼の気持ちも。
そして、未来もずっと、その先もーーーー。
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