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その胸に、星が墜ちる。7



無情にも日は昇り、運命の日がやってくる。



食堂では調理婦がいつも通りに朝食を作り、護衛兵は朝の日課をいつも通りにこなす。
そんな、普段と何の変わりもない、朝。

誰も、知らないのだ。
今日、大陸が呑まれるほどの大地震が、この日常を破壊するはずであったということ。
それを“教皇”が、術を以って制するということ。
そしてーたったひとり。
その犠牲者が、出るということ。


その名も、その存在すら。
誰も、知らない。




『恋なんてしてしまったから・・こんなに、恐くて・・つらいんだ・・・』
その小さな囁きが、耳の奥から離れなかった。



無闇に城に押し入ったとて、ファイの元へ辿り着く前に捕まるのが落ちだろう。
考えなしに攫っても、あいつを救う手立ては何処にある?
術を無理矢理止めれば、数え切れない命が奪われる。
あいつ以外誰も、地震をとめる術を持ってはいない。
地震が来ることを皆に伝えたとて逃げ場はなく、ただ混乱による犠牲が増えるだけだ。

いくら考えても。
ファイを助ける術も力も、自分は持たないということが分かっただけだった。
強大な星を抱くおまえの為に、俺が出来ることなど。
ほんの僅かな、些細なことだけだ。



腕の中のファイが、消え失せて。
いつしか空は白み、朝を迎えー



けれど、このまま別れたくはなかった。
このまま、失いたくなかった。


例えファイが消えてしまうとしても、何も変わらなくても、それでも。
おまえの為に、出来ることがあると。




城の周囲の情景は、いつもと全く変わらない。
このまま何事もなく“運命の日”は終わってゆく。
ただ、あいつが消えるだけ。

(・・そんな、事・・・)

堅固な城壁に囲まれた、巨大な居城。
中の様子は窺えない。この奥に、“教皇”はいる。
いくら警備隊の隊長とはいえ、通常日に城に入るなど言語道断だ。
忍び入る隙はこの城にはなく、彼に会うには強引に押し入るしかない。
警備は固く、侵入は不可能に近いけれど。

(それでも、俺はあいつにー)

緊張を高まらせ、体中の筋に力を篭める。

「隊長」
その時、小さな呼び掛けが耳に入った。
警備中であるはずの例の部下ふたりが、真剣な面持ちで駆け寄ってくる。
「何だ。悪いが」
時間はない。言葉を継ごうとした俺に、部下は声を潜めた。
「・・城に行くつもりなんでしょう。僕らが守備している個所から、忍び入って下さい」
「何?」
いぶかると、ふたりは声を押さえて笑った。
「分かりますよ、何たって僕らは恋愛に関しては先輩っすから。
昨日の事もありますし・・朝から深刻な顔して辺りを窺ってたじゃないですか」
「最初に言った通り、僕らは隊長をバックアップします。
攫って、駆け落ちするんですよね?さすが隊長、かっこいいっす」
「攫っ・・」

忍び入ることなど、事の次第が知れている部下にとっては、察するところだったらしい。
(攫う、か。こいつららしい発想だな)
攫えたなら、どんなにいいかと思う。もっと事態が単純ならば。
しかしそんなことをしたならば、こいつらもこの日常も、大陸全てが崩れ去る。
俺ができるのは、もっとごく僅かなことだけだ。
黙り込むと、部下はさらに声を潜めた。
「障害は多いですけど、行ける所までお供しますから百人力っすよ。
さあ行きましょう」

「教皇様の元へ、でしょう?隊長」

「・・な」
思わず息を呑む。まさか、知っていたのか。
「やっぱりそうですね?あんなに神々しいシスターはいません。いくら僕らでも、一目で分かりますよ。
教皇様でしょう、昨日いらしたあの方は・・」
気付いても、ファイを気遣って知らない振りをしていてくれたらしい。
「・・・・分かってんなら、なおさらだ。俺一人で何とかするから、おまえらはこのことは忘れろ」
隊長が城へ忍び込むという不祥事でさえ、何も知らない部下にまでとばっちりで多少処罰は下るだろうが、
それでもせいぜい減給くらいだろう。
協力し、なおかつ事情まで知っていたとあっては、ただではすまない。少なくとも国外追放は確実だ。
背を向けるとふたりは回り込み、まっすぐに視線を向けた。
「いえ、僕らも行かせて下さい。処分なんか覚悟の上です。
昔から、教皇様は神様のような方だと思っていました。
実際神々しい方でしたけど・・昨日ふたりの様子を見て、思ったんです。
二人の間に何があったかは分かりませんが、教皇様は・・隊長のことが好きなんだって」
「教皇様も人間なんですね。人を、好きになるなんて・・。
今協力しなければ、後悔すると思うんです。僕ら、協力したいんです!」
「・・っ・・」

そうだ。あいつはー恋もする。夢もみる。
部下の言葉は、その真っ直ぐな視線と共に、自分の進む道を拓いてくれる気がした。

「分かった。・・・正直一人じゃ、あいつのところまで行くのは難しい。悪いが、協力頼めるか」
「当たり前っすよ、任せて下さい。その代わり逃げ延びたら、ふたりの出会いがどんなだったか、
僕らにも教えて下さいね。約束ですよ」
明るくそう言う、部下に。

ふたりで逃げ延びることなど、不可能だと思う。
しかし、その希望に満ちた言葉に、勇気付けられた。
いい奴らだ。こいつらは、なるべく小さな処罰で済むようにしなければ。

内庭の警備兵は凄腕の精鋭部隊だが、城に侵入さえしてしまえば城内に人は少ない。
見つからずに城に侵入することが、成功の鍵となる。
城内は入り組んでいるが、会議の時掠め取った城の見取り図は、頭に入れた。
部下の守備していた小さな非常門を潜り、内庭の見張りから身を潜める。
息を殺して進む時機を窺っていると、部下が顔を近づけた。
「ここは僕等が注意を引きつけるんで、隊長はその隙に・・」

ガラガランッ!!

突如、耳を劈く盛大な衝撃音が響き渡った。
(何?!)
「何の音だ?!」
「出あえ出あえ!曲者だ!!」
途端、見張り達が大きくざわめく。まさか他にも侵入者が?ならばそれに乗じて、ととっさに見回すと。
「うわ!やばーっ!!!」
脇に積んであった薪を崩した曲者は、まさかとは思ったが部下だった。
通りで音が近過ぎると思った。当然、見張り達が大挙して駆けて来る。
「何やってんだ、俺まで見つかっちゃ意味ねぇだろが!!」
「わーん!すみません、隊長!僕じゃなくてこの肘がー!!」
とにかく城へと走るしかない。忍び込むどころではなくなってしまった。
「ったくおまえーっ助けに来たのか邪魔しに来たのかどっちなんだ!!」
「ほ、ほら隊長!この混乱に乗じてっ」
乗じるも何も、混乱の中心は自分達だ。どう乗じろと言うのか。
当然ながらあっという間に囲まれてしまい、仕方なく鞘を付けたまま剣を取る。
あまり城兵を斬り付けたくはない。
「お前らもやれ!伊達に追加特訓常連じゃねぇというところを見せ付けてやれ、鞘の当身で何とかしろよ!」
「うえぇえ?!そんな無茶なー!!」
ふざけた声を上げるが、これでも有能な部下だ。自分の剣術には自信があるが、大勢の精鋭部隊相手では
多少当て逃しが出る。そこを狙って打ってくれるので、・・何とか行けるかもしれない。
「隊長!ところで教皇様の場所分かってるんすか?!」
「知らん!多分上だ上!!」
「えーっ?!そんな当てずっぽうじゃ捕まっちゃいますよっ」
見取り図には、何処が何の部屋かは記されていなかったのだ。
多分だが、一番上だ。
ファイの部屋の小さな柵窓から僅かに覗いた青色は、天に近かったように思う。

星を宿すおまえは、天に。
そして術を終えれば星は抜け、空へと昇りー魂も、連れて行かれるのだろうか。
(そんなことは)
目の前の兵士を打ち、道を拓く。あの窓から城へ入れる。
(その前に、早く)

「隊長!ここで僕らが暫く食い止めます!隊長は城へ!!」
「悪ィ、最初から最後まで世話になりっぱなしだな、お前等には。適当なところで降参しとけよ!」
「大丈夫ですよ隊長!教皇様連れて逃げて下さい!お幸せにー!」
「頑張って下さい!ぼくら、黒鋼隊長の部下で幸せでしたよ、幸せになって下さいー!」
こんな非常事態に笑って手を振る部下に苦笑して、武運を祈ると軽く手を振り返してやり、階段を駆け上がる。

あいつらの言うように。
ファイを連れて、逃げられればいいのだけれど。
あいつらを、この城の皆を、この大陸の人々の、命を奪うわけにはいかない。


俺の力では、おまえは助けられない。
俺に出来ることは、ほんの僅かな、些細なことだけれど。
それでもー


たったひとりで、その身を犠牲に、この大陸を守るおまえへ。
伝えたいことがある。



城内の驚き慌てる神官やシスターを退け、入り組んだいくつもの階段を登る。


「貴様、教皇様の術を阻むつもりか?!
自分がどんな恐ろしいことをしようとしているか、分かっているのか!
大陸が滅びてもいいのか!!」


後ろから、神官の叫びが聞こえた。


そんなこと、分かってる。分かっているんだ。
俺が、ファイの為に出来る事など。
ただ、ほんの些細な事だけ。


永遠のように続く階段を、一気に昇り抜けた。
呼吸が出来ない、おまえはまだそこにいるだろうか。
天に一番近い、古びた扉の奥に。


「ファイ!!」


思い切り、扉を叩き開けた。

城の最上階。
やはりそこは、いつか来た“教皇”の部屋だった。


部屋全体が、蒼白い星色に浮かび上がっている。


祭壇で、祈りを捧げるその姿。
星色の輝きが、その全てを包む。



それはあまりに神々しく、美しく。



その胸に、星を抱く。
輝ける星に、人々は恋焦がれるけれど。



俺には。
星なんかよりも、


おまえが。



ふわりと振り向いた蒼い瞳は、星の光を反射して虹色に煌いた。

「・・・・オレは、教皇としての役割を、果たさなきゃいけない。
・・・・ごめんね・・せっかく、来てくれたのに。
・・・でもオレ・・・・・・・本当は、君と・・・・・」


その胸に、星を抱く。
眩いほどの煌きは、その身を消してしまうほどの。


「・・・・・君・・・・・・、と・・・・・・・・」


煌く瞳から、涙が一滴零れた。


おまえは。

人ではないのだと、星に戒められるおまえは。


本当は恐いんだ。
本当は生きていたいんだ。
おまえは、初めて会ったあの日から、ずっと好きだったと、教えてくれた。


どこか、小さな村で・・・一緒に暮らせたならと。
そんなささやかな願いさえ、叶えてやれない。


謝るのはこっちだ。
俺が、術を持っていれば。俺に、もっと力があれば。



おまえを、助け出せるのに。



「ファイ・・っ・・」


その輝きごと、
力の限り、抱き締めた。



俺が出来ることなど、ほんの僅かな。



目の前が白く染まる。



せめて俺だけでも、おまえを“人”として。
他の誰でもなく、おまえの幸せを、俺はー




「死ぬなら、・・・俺の腕の中で、死ね・・・・・・・・・」




震えるその身を思い切り抱き締めると、細い腕は背中に回され、きゅっと抱き締め返した。

見えなかったけれど。




真っ白な光の中で、ファイが少しだけ。

幸せそうに、微笑んだ気がした。


  
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