或る国王と剣士のお話C
数十分後、俺達は城内の武道場にいた。
(まあ、分かっちゃいたんだよ。分かっちゃ・・・)
5m先に対峙しているのは、薄い白のちょっとした甲冑を身に付けたファイである。
何でも最近セレス国で開発された素材で出来ていて、軽いわりに、非常に丈夫なのだそうだ。
「黒鋼様ー!間違ってもファイ様を傷付けちゃいけませんからね!」
チィが救急箱やら飲み物、タオルなど入ったワゴンを持って、武道場の隅で見学している。
相手とは、剣術の稽古の相手であった。
たまに剣を振り回すと、スカッとするらしい。誤解を生ずる言い方はやめて頂きたい。
何かと狙われるセレス国の王は、自分でもその身を守れるように、幼い頃から剣術を仕込まれるそうだ。
初めて会ったあの日、妙に剣を使い慣れている様子だったのは、その為だ。
そういえば。
こんな風にお互い剣を手に対峙していても、あの一戦のことを、奴は口に出さない。
まさか、すっかり忘れている事もないはずだ。意外だが、敢えて黙っていてくれているのだろうか。
助かった。あんな風に負けたことを、チィには特に知られたくない。
恋のライバルにそんな話は聞かせるわけにはいかないのだーという訳ではない、多分。
「怪我もせずに稽古ができるかよ」
「だったら黒たんだって、甲冑付けなよー。上着脱いだだけで相手するなんて、なめられてる感じー」
そう言ってファイは、レイピアをちょこんと肩に担ぐ。
その目が突然ぱっと輝いた。ー物凄い嫌な予感がする。
「あーっ忘れてたー!そういえば黒たん、初めて会った日オレにー」
「待・・!!」
回り込み、ファイの口を塞ぐ。ファイは、単に忘れていただけらしい。
やはりこいつが、敢えて黙っていてくれるはずなどないのだ。
「ふむぅー?」
「黒鋼様っ、一体何を」
駆け寄ろうとしたチィに、俺は叫んだ。
「アレ持って来い!」
少しこの場を離れてもらい、その間にファイを口止めしておかねば。
「え?アレって何ですか?」
手を緩めた隙に、ファイは口を塞ぐ手をずらした。
「ほら、アレだって、アレー。分かるでしょー?アレアレ」
けらけら笑っている。この状況を楽しんでいるらしい。
「アレって・・?降参です、何のことか教えて下さい」
「えっと、何だ。・・たらいだ、たらい!たらい持って来い!」
「え?!たらい?!何に使うのー?!」
二人に聞かれたが、俺が聞きたいくらいだ。
チィは首を傾げつつ、とことこと武道場を出て行った。
ファイの体をくるりとこちらに向けて睨み付けると、
「なぁになぁに?」
とファイは楽しそうに笑った。全く、俺の気も知らず。
「おまえ、俺が負けた事誰にも言うなよ!あれはただ油断しただけだ」
声を潜めて強く言うと、ファイはきょとんとした顔をした。
「・・・油断?」
「当たり前だ、油断さえしてなきゃおまえなんて」
「・・・・・・オレ、黒たんがわざと負けてくれたんだと、思ってた・・・」
「・・・。」
「・・・。」
いらんことを言ってしまった。
「そうだ!わざと負けてやったんだ」
「何今の間」
「そんなことは、まあいい」
「何がいいの」
ファイは半眼になって俺を見た。
「・・・・黒たんて、本当に本物の『黒鋼』なのー?」
「やってみりゃ分かる。今からもう一度勝負やり直しだ!」
「力技だなー黒りんたら」
そして、俺達は再び5メートルの距離を開け、向かい合った。
「いっくよーん!黒ぽーんv」
あの時と同じ銀のレイピアを手首でくるくると回しつつ、ファイはふざけた合図を出した。
馬鹿にするのも今の内だ。本気を出せば、瞬殺だ。先日のようにはいかない。ぎゃふんと言わせてやる。
ぴたりとレイピアがとまると同時に、ファイは片足で軽く地面を蹴った。
次の瞬間、ファイが目の前にいた。光速とも思えるようなスピードで、奴のレイピアは俺の剣の切っ先を狙う。
いつもとは別人のような、鋭い瞳が煌く。俺の剣を弾くつもりだ、あの時と同じように。
早い。これでは、よそ見していればやられるに当たり前だ。
しかし今回は違う。俺にはファイの動きが見えた。
レイピアより強く剣を叩き返せば、逆に奴のレイピアが宙に飛ぶ。
ああでも。
だめだ。
この軌道では。
俺の剣が、ファイの頬に
躊躇った一瞬に、俺の剣は弾かれた。
「・・・・黒鋼様って、本当に本物の『黒鋼』様ですか・・・?」
振り向くと、たらいを手にしたチィが、いぶかしんだ様子で後ろに立っていた。
「・・お前タイミングが・・」
「わあい!2度目も勝っちゃったー♪」
「えぇえ?!黒鋼様、2度も負けたんですかぁ?!」
「やっぱ偽者なんだねぇ」
「ショックです」
二人で騒いでいるのを見て言い訳する気も失せた俺に、ファイが近づいて来た。もういい。何とでも言え。
美しい顔をすぐ近くまで寄せ、小さな声で囁いた。
「手加減しないでよ・・」
そう言ってにっこり微笑んだ。
俺の迷いに気が付いていたらしい。
「だから、油断・・・じゃない、わざと負けたんだ。誤解するなよ」
もちろんたらいを使った修行方法など思いつくはずもなく、結局それに冷水を張り、
持ってきた瓶入り飲料を冷やすことにした。
「それより、席を外して欲しいなら素直にそう言って頂ければ良かったのに」
「悪いと思うから自分で水張ってきたんじゃねぇか・・」
チィがカチャカチャと涼しげな音を立てて、たらいに瓶を入れている。
ファイには今武道場の真ん中で自主練をさせている・・のだが、どう見ても、剣を回して遊んでいるようにしか
見えない。しかし、あんなことがあった後では、偉そうに注意も出来ない。
「分かってます。黒鋼様、ファイ様に見惚れていたんでしょう?それでは勝てるはずありませんよ」
「や、俺は別に・・」
「剣を見ずに、ファイ様の顔ばかり見てらっしゃるんですもの」
そう言って、チィは立ち上がった。
「でも、ファイ様お楽しそう。黒鋼様、是非、ファイ様と仲良くして差し上げて下さいね」
「仲良くって・・」
「仲良く」
チィは、何故か少し寂しそうな顔で微笑んでいた。
それからちょっとした会議などに出席したりなどして、何とか長い一日は終わった。
今ファイは、召使と共に浴室に入っている。国王というものは、召使に体を洗って貰うらしい。
異性ではまずかろうし、まさか男に洗ってもらうんじゃなかろうかと戦々恐々としていたのだが、
体洗い部隊は全て女だった。
よかった。裸のあいつが男に触られるなんて、耐えられない。叩っ斬ってやる。というか替わりたい。
(・・・て、何を考えてるんだ俺は・・・)
「黒鋼様、今日一日、如何でしたか?」
気付くと隣にチィがいた。
「どうされました?」
「いや、何でも・・。今日は・・疲れたな。戦場の方が、ずっと楽だ」
「ふふ、黒鋼様、ずっとファイ様に振り回されてましたね」
チィは嬉しそうに笑った。
「しかし、あいつもお前等がいてよかったな。他の奴の前だと作ってやがるが、お前等の前だと随分楽にしてるじゃねぇか」
思った事を、軽く口にすると。
「・・・そう見えますか?」
思いがけず、チィはさっき見せたのと同じ、少し寂しそうな表情になった。
「何だよ」
「・・ファイ様は昔から、チィの前ではよく笑って下さいます。
でもチィは一度も・・・ファイ様の泣き顔も、悲しむ顔も、見たことがないんです」
そう言って、チィはうつむいた。
「ご両親がお亡くなりになった時も・・・。
あの時はチィ、哀しくてすごく泣いてしまって・・ううん、国中の人が、どうしたらいいか分からなくなってて。
でも、ファイ様が皆に言ったんです。『大丈夫だよ、この国はオレが守るから』って。
それが皆の希望になって、この国は立ち直ったんです。国王様は強いお方だと、国のものは皆言います。
でも・・・本当はあの時、ファイ様は、この国の誰より、哀しくて苦して、不安だったんじゃないかって・・
今、チィは思います。
そんな気持ち・・チィにも、お見せにはなりませんけれど・・。いつだって、どんな時だって、大丈夫だよって、
笑って下さるだけで・・」
そう言って、チィはちょっと目の端を拭った。
「チィではだめなんです。でも、ひょっとしたら黒鋼様なら・・・」
そう言って、チィは俺の目を見た。
「どうかファイ様を、お守り下さい」
答えあぐねているうちに、ファイ達が浴室から出てきた。チィは俺にぴょこんとお辞儀をし、
風呂上りの飲み物を手にファイに駆け寄っていった。
付き合ってるわけでは、なさそうか・・。そんな不謹慎な事を考え安心しつつ。
飲み物をやり取りしている二人の様子は、傍目には本当に楽しげだ。
あんなに仲良くしているのに。チィにも、見せないのなら。
奴の本当の心は、どこにあるのだろう。
ベットに寝転ぶと沈み込むようで、硬いベットに慣れた身には逆に寝心地が悪かった。
もっとも、ゆっくりなんて寝てはいられないんだが。刺客は、深夜が一番侵入しやすい。
後は国王も寝るばかりとなり、自分も護衛兵用寝室に入ったところだ。
『じゃあ、あとはもういいからー。おやすみー』などと、早々にこの部屋に押し込められた。
しかも、ファイとチィが二人でこそこそと何か話をしていたような気がする。
俺がいては話せないことでもあるのだろうか。
しかし、そのせいでファイの寝巻き姿を見そびれた。何着て寝るんだろう。着ないなんてこたねぇだろな。
「黒たん」
「うわあ!」
突然ドアの向こうから呼ばれて、思わず声が出た。
「何も、そこまで驚いてくれなくても。あ!ごめーん!自家発電中だったー!?」
一回絞め殺してやりたい。
「・・何かあったのか?」
言うと、ファイは少しだけドアを開け、顔をのぞかせた。
「おいでおいでーv」
手招きされた。多分、ろくなことがない気がする。
ファイの洗い髪がまだ少し濡れていて、目に毒だ。
「俺ぁ犬じゃねぇんだよ」
言いながら近づくと、ファイは大きくドアを開けた。
真っ白い、巻スカート式の長いネグリジェのようなものを着ていた。
軽くドレープがかかっている。薄い質のよさそうな布で、華奢な体のラインが分かる。
はっきり言って、天使やら女神が舞い降りて来たようだ。・・・目に毒だ。
「こっちこっち」
そう言って、歩き出した。寝巻きの長い裾を引きずりつつ執務室を横切り、国王の寝室に入ろうとしている。
ファイが歩くたび、さらさらと微かな音がした。
・・・何する気だ。
そのまま付いて行き国王の寝室に入ると、ファイは寝室のドアを閉めた。
自分のベッドも無駄に大きい気がしたが、ファイのベッドはもっと大きく、天蓋付だった。
ファイは白い薄物だけの姿で、俺の隣で、俺をじっと見上げた。
「ナンノヨウデスカ」
「わ!黒りんが敬語!どうしちゃったのー?!」
どうしちゃったのはそっちだ。しかも、何かいい香りがする。
いい香り。
「・・・ん?この匂い・・・」
「ふふ、気付いたー?」
ファイは、じゃーんと言いながら、机の上に置いてあった茶器を取り出した。
「これ、玄米茶・・?」
「うん、飲みたいって言ってたでしょ?ちょっと無理言って、取り寄せてもらっちゃったんだー」
そうか、さっき早々に寝室に押し込められたのも、チィとこそこそ話していたのも、これの為か。
別にいいと言ったけれど、本当はかなり欲しかった事がこいつには分かったらしい。意外と、人を見ている。
ファイは、蒸らしてあった急須で茶を注ごうとした。
「待て、自分でやる」
いくらなんでも、国王たる者に茶を注がせてはまずかろう。
「黒たん、お茶の注ぎ方知ってるのー?」
知らない。
「まあまあ、座ってよ。就任初日、疲れたでしょ。頑張ったご褒美。お疲れ様ー」
勧められたソファに座ると、玄米茶の入った湯飲みを渡された。ふわりと、懐かしい匂いがした。
軍に入る前、少し世話になっていたじいさんの事。軍に入って、初めて剣を持った時の事。
早く上達したくて、一生懸命だった。
懐かしい。
「ふーん、香ばしくておいしいねー。・・あれ、黒たん飲まないの?」
「飲むのがもったいない」
懐かしくて。
「そんなに大事なお茶なの・・?」
「大事って言うか、懐かしいって言うか・・悪かったな。わざわざ取り寄せて貰っちまって」
ファイはお茶を手にしたまま、ベットに寝転んだ。
「・・ねえ、黒りんて、どこで生まれたの?」
「・・・!」
ーそれどころじゃない。ベットに寝転ぶな。立ち姿は天使のようだったが、こいつが寝転ぶと。
人を堕とす悪魔のようだ。
しかも奴は、うつ伏せになったまま片足をちょっと上げた。
裾がするりとおち、真っ白な細い足が、見えた。
「おい!」
「ふにゅー?」
「・・・茶、零すぞ・・」
ファイは笑いながら、ベッドの上にぺたりと座りなおした。
「はーい。意外と面倒見がいいね、君」
・・・自覚してやってんじゃ、ねぇだろうな。これじゃ襲われても文句言えねぇぞ・・。
「で、どうして色んな国の軍に入ってまわってるのー?
・・言いたくなかったら、いいんだけど・・」
俺は普段、必要な時以外昔の事を話したりしない。説明するのも面倒だし、過去の事について
どうこう思われるのも面倒だ。
でも、この懐かしいお茶のせいだろうか。何となく、話してもいいような気がした。
事細かに話すと膨大な時間が掛かるので、かなりかいつまんで話した。
物心ついた時から一人だった事、生きる為軍に入った事。今各国を巡っているのは、多分、
故郷を探しているのだ、という事。
ファイはお茶を飲みながら、ずっと黙って聞いていた。
「故郷の手掛かりは、何もないの・・?」
一通り話し終わると、ファイはそう言った。
どうしようか。これは、誰にも見せたことがない。でも、どうせここまで話したのだから、・・いいか。
俺は、ポケットに入れていたものをファイに向けて放った。
「わっ」
お茶を手にしていたファイは慌てたが、それでも器用に片手でそれを受け止めた。
「わぁ・・・綺麗・・首飾り?銀色の、竜の細工の」
「軍に入る前、寝床を分けてくれたじいさんがいてな。まあもっとも、寝床といっても小さい洞穴に
拾った毛布ひいたようなやつだが・・。じいさんが倒れている俺を拾った時、俺の服の中にその首飾りが
あったらしい」
「そうなんだ・・これ、本物の銀だ。それもすごく質のいい」
「服の中だったから、盗まれずにすんだんだな。じいさんが大事に持っていてくれて、
俺が軍に入る時、お前の物だから盗られないようにしろよ、て渡してくれた」
ファイは首飾りを透かしたり翳したりして見ていた。
「何か書いてある。どこの国の言葉だろ・・」
「『黒鋼』、て読めねぇか」
ファイはうーん、と唸りながらまじまじとその文字を見た。
「かなーり、無理すれば・・読めなくもないけど・・ちょっと無理がないー?」
「じいさんはそれを見て、俺に黒鋼と名前をつけたらしい。
まあじいさんボケかけてたから、どこまで本当か分からねぇけどな」
「調べてみようか?どこの国の言葉か」
そう言いながらファイは近づいてきて、宝物を渡すようにそっと首飾りを俺に返した。
「いや、もういい。散々調べたんだよ。でも、何も分からなかった」
各国の図書館で、世界中の言葉について調べたが、それはどの国の言葉にも当てはまらなかった。
はじめは躍起になっていたが、調べれば調べるほど、どの国のものでもないという事が分かっただけだった。
最近はこの首飾りをあてにするのは諦めて、自分の感覚のみを頼りに国を渡っている。
元々、手掛かりになるような類のものではないのかもしれない。
俺の物ではなかったのかもしれないし、どこかの誰かが気まぐれに作ったにすぎない物なのかもしれない。
でも、何故か首飾りを手放す気にはなれなかった。いつも、肌身離さず持っている。
どうしてなのか、自分でも分からないけれど。
「こんなに綺麗なものを持っていたなら。きっと君は、本当に高貴な血筋の者なのかもしれないね」
そう言って、ファイはベッドに戻り、座った。
「・・・少なくとも、それはセレス国のものではない」
俺に、その宝石のような瞳を向けた。
「君は、またどこかへ行ってしまうんだね」
ランプの明かりのせいだろうか。その瞳は。
チィが一度も見たことがないと言っていた、
哀しそうな瞳に、見えた。
Dに続く
ちょっとお話が進んできました。早く完結させたい・・。続きはまた早いうちに。
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