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或る国王と剣士のお話F後編


「く くろた」
ファイの声が途切れ途切れに聞こえて、目を開けようとしたけれど、瞼が重くて動かない。
やっとの思いでこじ開けると、すぐ目の前に、ファイの泣き顔があった。
怪我をしたのか。どこか、痛いのか。
聞こうとしたけれど、声が出ない。
そんなに、泣くな。
零れ続ける涙を拭ってやろうとしたけれど、腕が動かない。

どうして体が動かないんだ。
これでは。

おまえをまもれない

「愛する国王様へ、最後の贈り物だと言ったでしょう」

急速に覚醒した。

動かない腕を動かして、無理矢理体を起こすと、やはりそこにはあの男がいた。
「・・何で・・ファイを・・」
「違います、狙いは貴方です。心配しなくても、国王様には傷一つありませんよ。
貴方が必ず庇うと、分かっていましたから」
もう一つお教えしておきましょうと言って、アシュラは一歩、こちらに足を踏み出した。
「先代国王と后を消す為の手配をしたのも、私です」

ファイの、血の逆流する音が聞こえた気がした。目を見開いている。
どういうことだ。
確かに、これではいくら他国を詮索しても、犯人など特定できないはずだ。
手引きした人間は、すぐ傍にいたのだから。
「・・何でだ・・」
アシュラは薄く笑った。
「愚問ですね。私にしてみれば、先代国王達を消そうと思いもしない、周りの人々が狂って見えた。
国王様、覚えてらっしゃいますか?私達が、初めて会った日のことを」
問い掛けられたが、ファイは唇を戦慄かせただけだった。
「初めて会った幼い貴方は、先代国王の陰に隠れて、そっとこちらを見ていた。
この世のものと思えないほどに美しかった・・その時私は、生涯この王に仕えようと誓いました。
それなのに」
アシュラは、ファイの目の前まで進み出る。
「貴方の全世界は、ご両親の存在が全てだった。それが許せなかったのです。
だから、あの崖で襲わせた。先代国王は貴方を命がけで助けた。ご両親ともに亡くなった。
全て計画通りに事は運んだ。
それからは、幸せな日々でしたね。貴方の心には、もはや誰も住んでいませんでしたから」

なんて。
なんて理由で。

「貴方が来るまでは・・護衛兵様。
国王様のお心には、今、貴方が住んでいる。だから」

音も立てず、ファイが立ち上がった。
レイピアに、手をかけた。
その時、アシュラが背後の森に消えた。ファイはその後をー

ファイ。
追っては駄目だ。
そっちには

動かない足を動かして、二人の消えた森へ、這うように分け入ると、
すぐに森は開けた。

ファイはそこに、呆然と、座り込んでいた。

蛇行した渓谷が、ここで迫っているのだ。
アシュラは、だからここで俺達を狙ったのだ。

目の眩む崖。
ファイの、心の傷。

「覚えておいて下さいますか、国王様。貴方が心に住まわせるものは、皆谷底に落ちるのです。
もう決して、誰にもその心を触れさせないで下さい」

叩っ斬ってやろうと、俺は立ち上がった。
しかし、刀が、持てなかった。想像以上に、自分の体は、もう、駄目になっていた。

アシュラが、こちらにゆっくりと歩み寄ってくる。

動かない体。近づいてくるアシュラ。
崖に。

妙に、冷静だったのは。
ファイの命は狙われていないからだ。

何があっても。命さえあれば。
例え俺が死んでも、両親を亡くして心を閉ざしたおまえが、俺と出会って変わり始めたように。
きっと、誰かがおまえを。

アシュラが、俺の体を押した。
そのまま、谷底へ向けて、ゆっくりと体が傾く。

大丈夫だ、ファイ、命さえあれば。
きっと誰かが、おまえを

突然右腕に衝撃を感じて我にかえった。
俺の右腕は、細い腕に支えられていた。
「・・ファ・・!」
ファイが崖の上から俺の片手を支えていた。
無理だ。おまえの力で、支えられるはずがない。
ファイの体が、傾く。
「離せ!おまえまで落ちるぞ!!」
声になっていなかったかもしれない。しかし力の限り叫ぶと、ファイは下を向き、
黙って何度も首を横に振った。
指が、大きく震えている。無理だ。力だけじゃない、ただ通るだけの崖でさえ、おまえはあんなに
怖がっていたのだ。ファイの肩から、いやな音がした。関節が
「もういい!離せ!!俺は死なねぇから!」
「・・ううん・・」
ファイの瞳から、涙が一筋、零れた。
「・・崖・・落ち・・と・・死ぬんだ・・」
肩をやられたファイの体は、崖へと大きく傾いた。それでもその手は、俺を離そうとしなかった。
「離せ!いいか、俺はもう登れねぇ、おまえも俺を上げる力はねぇんだ、
離さないと二人とも落ちるんだ、一人でも助かったほうがいいだろうが!!」
もう声を出せないファイは、微かに首を横に振った。体中が、震えている。痙攣に近い。
声が出せないファイの、瞳から溢れる涙が、俺の頬に零れ落ちた。

ファイは、俺じゃないと、駄目なのだろうか。
他の誰かじゃなく。

「・・分かった」
俺は空いた方の手を無理やり上に引き上げ、ファイの細い腕を掴んだ。
「多分おまえも落ちるぞ」
その手に、残りわずかな体中の力を、込めた。
「悪ィな・・」

多分、この体では、二人とも落ちる。けれど、ファイが離さないのなら、やるしかない。
おまえは絶対死なせない。
それは一瞬の。
ファイの腕を、持てる力全てで引いた。ファイはそのまま、崩れ落ちてくる。
届くか。
ファイの体を支えにして、その上に手を伸ばした。
崖の淵に。
もう片方の手で、思い切りファイを引き寄せた。
衝撃と共に、二人とも、
ー崖の上にいた。

上がれ・・たじゃねぇか・・

ファイは、動かない。でも、僅かに胸が動いている。大丈夫だ。
よかっ・・

倒れ付したまま、動けない。意識が遠のく。ぼやける視界に、アシュラの姿が映った。
ああ、そうだ、こいつのせいだった・・。
もう本当に、体が動かなかったので、ただ、そう思っただけだった。

「このまま立ち去れば、じき貴方は死にますね」
そうだな。
「城へ、伝えてきます。ここに、国王様と護衛兵様がいると」
・・・・・何で・・。
「私が、自らここに赴いて、国王に全てを告白したのは、結末が分かっていたからです。
どんなことをしても、国王様の心から貴方を消すことは、不可能だと」
私はずっと国王様だけを見てきましたから、そう言って、アシュラは
意識を失っているファイに歩みより、膝をついた。
ーファイに、何を・・

アシュラは、そっと、ファイの髪に触れた。
風にまぎれて小さな声が聞こえた気がしたけれど、そんなことを言う奴ではないはずだ。
きっと、俺の気のせいだ。




『ごめんなさい』









気が付くと、そこはベットの上だった。
「黒、たん・・!」
目を開けると、ファイの泣き顔が目に映った。
また、泣いてやがる・・・今度は、どうしたんだ。
吐息を感じるほど近くにあるファイの顔の、宝石のような蒼い瞳から、涙が零れ落ちた。
ああ、そうか・・。
ファイも、俺も、助かったのだ。
零れ続ける涙を拭ってやろうとしたけれど、腕が動かない。どうやら固定されているようだ。

アシュラは、本当に俺達のことを城の者に伝えてくれたらしい。
手当てを、どうしてこんな大怪我を、と城中で大騒ぎしているうちに、アシュラはいつの間にか
消えてしまったのだそうだ。
ファイはじき意識を取り戻し、数週間の入院で傷は癒えたが、俺は何と一ヶ月も意識を戻さなかったそうだ。
あれから、そんなにたってしまったのか。
医者の言うことには、俺は普通の人間なら5・6回死んでいるくらいの重傷だったらしい。
意識を取り戻すことはない、万一取り戻しても二度と体の自由は利かないという診断だったそうだが、
俺の体は信じられないペースで回復しているらしい。もう数週間たてば、元通りになるくらいに。
ーあなたは、本当に人間ですか?
医者に、真顔でそう聞かれてしまった。
昔から死線をすり抜けるたびに、人間じゃない、などと言われていたが。
医者にこう改めて聞かれると、何だか不安になってくる。
しかし、治らないより治る方がいいに決まっているので、まあよしとしよう。

事のあらましを聞いた城の者達はアシュラを探したが、どれだけ手を尽くしても、
彼の姿はもうどこにもなかったそうだ。
あいつのしたことは許せないけれど、ファイから離れた彼が、そう長くは生きてはいないような気がした。
・・多分、もう見つかることはないのだろう。

ファイは。
俺が目覚めず、医者にも治る見込みはないと宣告され、国王の仕事もほったらかしにして、
俺の病室で毎日泣いていたそうだ。
俺が目覚めてからは、城内での公務を行いつつ、一日のほとんどをここで過ごしている。
今は草薙が国王付の代行をしているが、ファイがここに来る時は席を外してもらっているらしい。
事あるごとに、ファイは俺の心臓に耳を当て、顔に触れ、何度も俺の名を呼んだ。
「・・黒、たん・・」
幸せそうに、名を呼ぶので。

俺が死んでも、なんて、どうして思ったのだろう。
それはファイを、一番苦しめることなのに。
生きていてよかった。諦めなかったのは、おまえのお陰だ。

病室で二人きりの時、ファイは枕元に座って、俺にそっと、触れるだけの口付けをした。
「大好き・・ずっと傍にいて・・」
少し頬を染めて、ファイはそう、囁いた。
体が固定されていて、口付けを返してやれないのがもどかしかったのだけれど。

数週間がたちやっと固定が外されたので、俺はファイを抱き締めた。
ファイは、俺の胸に顔を摺り寄せ、目を閉じた。

退院したら。夜、おまえの寝室にいったら。
好きだと、伝えよう。
こんなに互いに好き合っているということが、よく分かったから。
その時は。
・・抱いてもいいだろうか。
「黒たん・・」
胸の中のファイが、潤んだ瞳で俺を見るから、俺は深く口付けた。
ファイは苦しげに息を吐いて、涙を一粒零した。
退院したら、君を抱こう。

そんなことを、思っていたのだ。

しかし。



退院当日、事態は急転したのである。



Gに続く


予告どおりアシュラ王を出しました。始めは飛王を犯人にしようと思っていたんですが、
おっさんだと画面に花がないので、綺麗な人に犯人になって頂きました。
ちなみに犯人飛王の場合、セレス国を乗っ取る為、とかいう理由で襲わせる予定でした。やっぱり花がない。

国王も、残すところ後一話!!今書いてますが、完結したらすっきりするかなと思いきや、
意外と終わったら寂しいような気がしてきました。もう国王を書くこともないのか・・。でも完結させます!
もう少しだけ、お付き合いくださいね。
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