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或る国王と剣士のお話E

一夜明け、総会当日である。しかし、昨日あんな事があったのだ。
ファイは多少でも眠れたのだろうか。ちゃんと、公務をこなせるのだろうか。
そんなことが気に掛かって、こっちまであまり眠れなかった。

身支度を整え、ファイの部屋をノックする。
返事がない。もう一度ノックしたが、やはり返事はなかった。
「おい?」
いないのだろうか。まさか、ファイの身に何かードアノブを回す。鍵が掛けられていない。
「ファイ!」
呼んだが返事はなく、部屋を見回すと、
「・・・なんだ・・」

ファイは、ベッドの中で寝息を立てていた。大きな窓から差す、柔らかな光を浴びて。
そういえばチィが、ファイ様は寝付きが悪いせいで朝が苦手なんです、などと言っていた気がする。
ひょっとしたら明け方、やっと眠りに落ちたのかもしれない。
起こすのも悪い気がしたが、総会に遅刻でもしたら一大事である。
「おい、起きろよ」
繊細な刺繍の施された掛け布団をめくると、うん、とファイがこちらに寝返りをうった。
「・・・げ・・・」
めくった布団を手にしたまま、俺は固まってしまった。
何故なら。

透ける白いカーテン越しの光を浴びて、金の長い睫毛が美しい細工のようで。
少し寝乱れた金の髪は、見てはいけないものを見ている気がして。
国から持ってきたあの白く薄いネグリジェの襟口から、華奢な肩が見えて。
巻きスカートの隙間から、白くすらりとした腿が、かなり際どい所まで、のぞいていた。

動けなくなった体とは対照的に、頭の中が凄い速さで働く。

国では、チィがファイを起こし、身支度を手伝う。故に、俺がファイの寝起きに立ち会うことはない。
今は二人きりだ。国では朝なんて、チィ以外にも手伝いの召使が数人やって来る。
ファイの寝起きは悪い。この明るい中で眠っているのだ。ちょっとやそっとじゃ起きないだろう。
そして、まだ少し時間がある。

心臓が脈打つ音が一度、大きく聞こえた。

今なら何でもできる・・!
こんな機会は滅多に、いや、これが最初で最後の機会なのではなかろうか。

意識のない者に対して卑怯だとか、ファイの気持ちはどうなるとかチラッと思ったが、
そんな事を考えている時間まではない。これを逃せばもう、こんな機会はないかもしれないのだ。
・・・こんな無防備に寝てる、おまえが悪い。
気付かれなきゃ、やってねぇと一緒だ。と、自分に言い聞かせる。

寝息を立てるファイに覆い被さるようにして、そっとベットに手をついた。
ベットが撓んだが、ファイは、大きな羽毛枕に沈めた小さな頭をちょっと動かしただけで、
起きる様子はない。
磁器人形のような、滑らかな頬。絹のような金の髪。呼吸するたび、ファイの胸が僅か上下する。

どうする。
心臓の音がうるさくて、この音でファイが起きないかと心配になる。
何を。何から。

軽く握られた細い指。手首の裏側の、白く薄い肌。

噛み付きてぇ。

いや、噛み付いたら起きるだろう。
その時、小さな桜色の唇が、ほんの少し開いた。真珠のような歯が、一瞬見えた。

引き寄せられる。
何かに獲り付かれたように。おまえはまるで、・・悪魔のような。
起こさないように、顔を近づける。
息を潜め、ゆっくり。ファイの細い息が、かかるほどに。あと2センチ、あと1センチ。
ファイー
「おはようございます!!」
「ぎゃあッ!!!」
「ひゃっ!なっ何ー?!」

解説すると。
突然ドアの向こうから召使が元気に挨拶をし、それに驚いた俺が思わず叫び声を上げ、
それに驚いたファイが起きた。

未遂に終わったのである。

飛び起きたファイは、大きな目を見開き、薄い胸に手をあてた。
「あれ?ここどこ?・・あ、そうか、セレス国じゃないんだっけ・・。
黒たん起こしてくれたのー?そんな大きな声で起こさないでよ。吃驚しちゃったー」
完全に覚醒している。俺は黙って俯き、ベットに手をついた。
召使め。後10秒遅く来い。
「あ、あの、何か今叫び声が・・どうされましたか?」
恐る恐るといった風に扉が開かれ、3人の召使が入ってこようとしてー
「っキャアアアアーーーーー!!!!!」
叫び声を上げ、3人とも再び出て行ってしまった。
「?なあに?どうしたんだろ。何か、変?」
ファイが、きょろきょろと部屋を見回した。
部屋は何もおかしくない。ファイの目にはおかしいものは映らない。
出て行った理由は何となく分かった。
光の中で、白い薄物だけで、寝起きのファイは。
殺人的に可愛い。

想像通り、しばらくして召使達は、すっかり恐縮した様子で戻ってきた。
「お見苦しいところを御見せしてしまい、本当に申し訳ありません・・」
「顔をお上げなさい、何か事情があってのことでしょう。どうされましたか」
ファイが、傍で見ると笑ってしまうほどいつもとは正反対の口調で話し掛けると、
召使達はぱっと顔を上げた。頬が赤い。
「申し訳ありません、あの、セレス国王様が・・あんまりにも・・・」
そう言いながら彼女達は改めてファイを見て、そして一人が倒れそうになり、
他の二人に、気を確かに、と励まされていた。
分からなくもない。
俺やセレス国の召使の連中はファイを多少見慣れているからいいとして、
初めて見る者には刺激が強すぎる。外見が尋常でない。
当の本人はよく事情が分からないらしく、俺をちらりと見て、『どういうこと?』といった風に
細い首を僅かに傾けた。
こいつは幼い頃からずっと城内にいる。そして、特定の人物としか接していない。
そのせいで、自分の特異な外見に気が付いていないのだろう。
「いいから王の身支度手伝ってくれないか。その為に来たんだろう」
俺がため息をつくと、召使達はやっと自分達の役割を思い出したらしく、慌てて準備を始めた。
身支度の手伝いはできない俺は、とりあえず自分の部屋に戻る。
この調子で大丈夫だろうか。
総会でも、変に注目を浴びるに違いない。
しかし、今まで見た中で一番凶悪なのはネグリジェ姿だ。総会はさすがにネグリジェでは出ない為、
まあさっきよりは人々に与える刺激は少ないだろう、と思っていたのだが。

甘かった。

「護衛兵様、お待たせ致しました。セレス国王様のお支度が整いました」
そう声を掛けられて部屋に再び入り、ファイを見て。
思わず拍手をしてしまいそうになったのだが。
着替えた自国の王に拍手する護衛兵もどうかと思ったので、すんでのところで思いとどまった。

いつもより上等の、眩しいほどの純白のローブ。
シベリアスの毛皮で裏打ちされたマントは、金の細い鎖を使い右肩に留められている。
金の髪の上には、煌びやかな宝石が鏤められた繊細な細工の王冠が、光を反射している。
そして、鷹の彫刻の施された、見事な金の錫杖を手にしていた。
国王用の、太くしっかりとした錫杖なので、ファイの白く細い腕が強調される。
まるでファイごと、作り物みたいな。
「いかがでしょうか」
「・・いい・・」
思わず呟くと、召使たちの裏にいたファイが吹いた。しまった。
「そうでしょう!!まるで美しい人形のような・・」
召使たちは胸の前で両の指を組み、ファイを見て、うっとりと瞳を輝かせた。
「・・君達、そんな大げさな・・」
着付けてもらっている間、終始そんな調子だったのだろう。
さすがにファイの顔がちょっと引き攣っている。

そろそろ時間だ。会場は、城と隣接している。召使達に会場の特別入り口まで案内してもらった。
「私達はここから入れませんので、ここまでのご案内になります。
入って頂いて、まっすぐ進めば総会が行われるホールの入り口につきます」
そう言って3人は並び、深深とお辞儀をした。
「国王様、護衛兵様、是非是非またわが国へいらして下さい。
私共心より大歓迎致します。またお世話させて下さいませ」
どうやら、美しいと噂のセレス国王の世話係役の座を賭けた、それは壮絶な争奪戦が召使の間で行われ、
結局みな平等に少しずつ世話をすることになったらしい。
故に、彼女らとはこれが最後なのである。涙ながらに見送られた。さながら今生の別れだ。

「昨日の召使の子もそうだったけど、皆他国の王が相手だから緊張してるのかなー。
様子がおかしいというか・・」
ファイが錫杖をくるくる回しながら、首をかしげた。
「それより、総会ってすごい数の国の王が集まってるんだろう。
おまえ、多分全員に注目されるぞ。大丈夫か」
そんな状況、さすがの俺も多少緊張してしまうかもしれない。
「ああ、オレお初だしねー。大丈夫、結構オレ人前とか気にならないからー。
公衆の面前とか、全然平気」
「な・・!慎めよ・・!」
「いや、そーいう話じゃー・・」

余分なことを話しているうちに、大きな扉の前についた。
開けると、もうかなり人が集まっており、案の定、どよめきとともにファイに注目が集まった。
言っていた通りその注目を気にした風もなく、じき始まった総会でファイは立派な演説をして見せた。
大したものだ。
ファイを狙う者がいないか気を張りつつも、別の意味で狙う者がいないかということも
気になっていたのだが、皆一様に『これ本当に人間か・・?』といった次元でファイを見ているようで、
馴れ馴れしく声を掛けるような者はいなかった。
確かに、この姿は人間の域を越えているような気がする。


「お疲れ様ぁーvわーい、終わったー!」
丸一日かかった総会も終わり、開催国主催のパーティもすんだ。
すべて終了したのであるが、ここであと2泊する予定だ。
明日は、せっかく訪れたセレス国王の為、この国の王自ら国内の名所を案内してくれるということだ。
なので、明日は一日観光、そしてもう一泊して、明後日朝早くから帰途につくという予定である。

夜遅く、昨日あてがわれた一室に戻ると、すぐファイにこっちおいでー、と呼ばれた。
部屋に入ると、ファイは嬉しそうにベットに転がっていた。
「無事終わった!ばんざぁい♪ほらー、黒りんもやってー。ばんざーい!」
「二人でやってたら阿呆みてぇじゃねぇか」
緊張しないといってはいたものの、それなりに緊張していたらしい。
無事終わって、すっかり安心した様子のファイである。
「あとは、観光だけだねー。嬉しいな、他の国の名所巡りができる日が来るなんて。
見て、ガイドブック貰っちゃったー、どこ連れてってくれるかな。
黒たんて、この国に来たことあった?」
「ねえよ」
ファイははしゃいでガイドブックをめくっている。
きっと今までずっと、二度とセレスの城からは出られないと思っていたのだろう。
本当に嬉しそうだ。ファイが嬉しそうだと、なんだかこっちまで嬉しいような気がする。
「あっ、ここ、おいしいお肉が名物らしいよー。よかったね!黒りん」
「いや、言っとくが別にオレは肉命っつーわけじゃ・・酒のほうが好きなんだが」
「そうなの?あ、お酒もいいのがあるみたいだよー。ほらほら」
指差されたページを覗き込むと、この国の様々な酒が紹介されていた。うまそうである。
「黒りんがちょっと脅せば、きっとたくさんお酒くれるよー!」
「何も脅さなくても、おまえがちょっと頼めばいくらでもくれるだろうが」
眉を顰めてみせると、ファイはけらけら笑いながら、ベットの上でころんと転がった。
例の白い寝巻きがひらりと翻る。可愛い。
こうしてると、あの総会で立派な演説をかましていた奴とは、まるきり別人のようだ。
「あ、ここ面白そうー。願いの泉だって!コイン投げてお願いすると、
なんでも願いが叶うんだー。でもオレコイン持ってないなー、黒たんあるー?」
確かに、国王が小銭を使う機会はないだろう。持っていたコインを手渡してやった。
「ありがと・・て、五円?!安い!これっぽっちで願い叶うのー?余りにひどいー。
黒たん、セレス国で一番の高給取りのくせに!」
まあ金は腐るほどあるが、幼い頃の貧乏癖はなかなか抜けないものだ。
賽銭を投げる時はいまだに5円である。
「おまえな、5円はご縁に通じるんだ。深い意味があるんだよ」
もっともらしい口調で言うと、ファイはなるほどー、と感動し、早速5円を懐にしまっていた。
こう素直に納得されると、何だか騙してしまったような気がしないでもない。ただの貧乏癖だ。
「黒たんも何か願ったら?何願うの?」
「俺ぁ何も願わねぇよ。こんな子供騙しに頼るより、自分でやらなきゃ何も叶わないんじゃないのか」
すぐに返事が聞こえなかったのでファイを見ると、笑顔のまま、
「そうだね・・本当、そうだ」
呟くように言った。

ー彼は、何を願うのだろう。


翌日は抜けるような青空で、朝からあちこち案内をしてもらった。
大したものはないだろうと踏んでいたのだが、伝統芸能や庭園など、意外と見所があった。
ファイはたまに俺の方を振り返り、「楽しいね」なんて囁いた。

こんなことをしていると、ずっとこいつを守っていてやりたい、とか、そんなことを思う。
故郷より、ここのほうが、大事かもしれない。故郷より。おまえのほうが。

日も暮れてきて、最後に案内されたのが、例の願いの泉だった。
コインを投げるのですが、コインはお持ちではないですよね、と聞かれ、
「ええ、実は準備してきたんです」
とファイがポケットに手を入れた。

しまった。

5円なんて渡してしまった。大陸一大金持ちの国の国王が、賽銭が5円てどうなんだ。
何か言われるのではなかろうか。まさか、俺の言葉を真に受けて、ご縁だから、とか理由を言うんじゃなかろうか。
それは痛い。
俺の密かな動揺をよそに、ファイは取り出したコインをひょいと泉へ投げた。
五円は、金色の放物線を描いて、泉の底へ消えた。
今のスピードなら、何を投げたかは見えまい。金貨と思われたかもしれない。
よかった。後からファイに、国王は5円じゃ本当はまずいを言う話を正直にしておこう。
護衛兵様もいかがですか、と問われたが、まだ少し動揺を引きずっていたので、断った。

昨日、本当だね、なんてを言っていたくせに、
ファイは、いつまでも、いつまでも、何かを祈っていた。


一夜が明け、盛大に見送られつつその国を発った。何だかやけに長い旅だったような気がする。
せっかく遠出をしたので各地を回って帰りたいと王が仰せだ、などと適当に理由をつけて、
帰りは渓谷を避けた遠回りのコースにするよう、すでに手配済みである。
2日かかるため、帰途の中程にある領主の城に泊まるよう、セレスにいる蘇芳から通達が来ていた。

領主は大歓迎で迎えてくれ、ファイの希望で、城の周りなどを案内してもらった。
今まで外に出られなかった身だ、やはり見るもの見るもの珍しいらしく、ここでもファイは楽しげに案内を聞いていた。
「ここは願いの社です。ここで祈ると、願い事が叶いますよ」
領主はそう言って、古びた社を指し示した。
またか。どこにでも、そういう類のものはあるらしい。
また長々と祈るのだろうかと思いきや、ファイは意外にも今度は、ちょっと祈っただけですぐに切り上げた。
領主が人に呼ばれ中座した隙に、
「今度はやけに短いじゃねぇか」
と聞いてみると、ファイは少し恥ずかしそうに含み笑いをした。
そんな風に笑うファイははじめて見た。一体何を願ったんだろう。
「うん。さっきの願い事とは違うんだー。
神様があきれちゃうようなお願いだから、ちょっとだけ」
そう言って、ファイは大きく伸びをした。
「緑が綺麗ー。君がいてくれるうちに、こうしていっぱい外に出て、色んなもの見ておかなくちゃね」

少し、気恥ずかしいけれど。今、伝えないといけない気がした。

「別に、そんなに急がなくたって・・」
「んー?」
「別に俺も、急いで故郷を探さなくたっていいんだ。だから、おまえが気のすむまで
・・ここにいたって、俺は」
そこまで言うと、ファイは少し目を見開いたあと、くすくすと笑い出した。
「なっ、何だよ」
「あはは、このお社、君も何かお願いするといいよ。本当に、願いを叶えてくれるから」
そう言って、ファイは俺の顔を覗き込んだ。
「さっきね、君がずっと傍にいてくれますようにって、お願いしたんだー。
早速叶っちゃったー」
そんなことを願っていたのか。

俺がいると、自由に外に出られるからか。
それとも本当に、傍にいてほしいと、思っていてくれているのだろうか。

別にここで祈らなくたって、俺はとっくにそう思っていたのだから、この社が叶えてくれた訳では・・・
いや。
こんな事でもなければ、今の言葉を、俺は口には出せなかっただろう。
伝えなければ、こいつには伝わらない。
確かに、この社が願いを叶えてくれた、とも言えるかもしれない。

領主が遠くから、そろそろ夕餉など如何ですか、と呼んでいる。
行かなくては。

ー本当に、願いを叶えてくれるのならばー

まだ笑いながら歩いているファイの後を付いて行きながら。
俺は手なんか合わせなかったけれど、
背中越しに、社に願った。


ー君が幸せに、なるように。


Fに続く

あと二話で完結です。その、残りの二話を書きたいが為に書き始めたお話なので、ここまでこれてよかったー。

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