わんこ物語1
「うわぁーvvかわいーいっ!!」
玄関先で、思わず叫んでしまったのも無理はないと思う。
手のひらサイズの黒いホワホワに、ちっちゃく尖がったお耳が二つ。細いしっぽがピンと立ち、
お手手も豆粒みたいにちっちゃい。ツリ目気味の瞳だけはクリンとおっきく、黒い毛並みに紅の虹彩が鮮やかだ。
そう、大学の講義を受け終え帰ってきた玄関先に、一匹のそれは可愛い仔犬がいたのだ。
「ちっこいわんこちゃん、こんなトコでどうしたのかな。ん?迷子になっちゃったんでちゅかー?」
ぬいぐるみのような姿の前にヒョイとしゃがむと、仔犬は幼いながらもクルクルと唸って前脚を突っ張った。
真っ直ぐにオレを見る目は睨み付けてるつもりみたいだけど、両手にすっぽり収まるようなサイズで威嚇されても
可愛らしいとしか言いようがない。一生懸命強がる姿がいじらしくて、仔犬には悪いけどつい微笑んでしまう。
「そんなに恐がらなくても、だいじょーぶvホラ、こっちおいでーvv」
ちっちゃな牙を剥く小さなお口の前に手のひらを差し出すと、敵が自ら進んで肌を晒したことに驚いたのか
仔犬はぴょんと後ろへ飛び退いた。そしてオレの様子を窺いながら、再びじりじりと間合いを詰めて来る。
真剣に警戒しているらしい様子を見守っていると、にじり寄るわんこはついに手のひらの前まで到達した。
そしてオレの指先にちっちゃな鼻を寄せ、フンフンと匂いを嗅ぎだす。
「はは、くすぐったいよー」
湿った鼻から感じる、微かな息遣いと温かさ。
それがこんなに幼くても頑張って生きてるカンジがして、小さな命が愛しくなって。
両の手のひらで、そっと仔犬を包み込んだ。
「わっ冷た・・!」
すると、ホワホワとあったかそうな毛並みは実は驚くほど冷え切っていて、慌てて抱き上げた。
春が近いとはいえ吹き付ける風はまだ冷たく、こんな小さな身体では簡単に体温を奪われてしまうのだろう。
そして凍える幼い命は、きっと簡単に吹き消されてしまうから。
突然捕獲されガウガウと吠えてもがくのも構わず、無理矢理胸に抱き込んで玄関の扉を開けた。
「・・で、キミはどこのコなの?お母さんとはぐれちゃったのかなー」
始めは力の限り抵抗していたわんこだが、今はもう観念したのか膝の上で大人しく丸まっている。柔らかな
タオルに素直に包まれている様子を見ると、危害を加える気はないということを分かってくれたのかもしれない。
さっきぬるめに温めたミルクを平皿に注いでやったら、よっぽどお腹が空いていたのか飛び付いて小さな舌で
一生懸命舐めていた。そんなに慌てなくても大丈夫だよと頭を撫でてやるのにも気付かず、ぴちゃぴちゃと夢中で
飲む姿を思い出し笑みを零してしまう。あれだけ食欲があるなら、体調を崩す心配ももう必要ないだろう。
「こんな小さな体じゃ遠くへは行けないだろうし、この辺の家で生まれたコなのかなー」
やけに静かになった仔犬を覗き込んだら、とろとろと今にも目蓋がくっ付きそうだ。
身体が温まり、お腹も満たされすっかり眠くなってしまったらしい。そんな子供らしい姿も愛しくて優しく背を
撫でてやると、気持ちよさげに目を閉じてしまった。
オレに立ち向かおうと頑張っていた仔犬は、きっと。
寒くて、お腹が空いて、不安でーーーひとりぼっちで、気持ちを張り詰めさせていたのだろう。
やっと、安心してくれたようだ。
撫でながら改めて仔犬をよく見ると、漆黒の毛並みは深く艶やかでとても綺麗だ。今は閉ざしている真紅の瞳も、
闇色に映えてとても鮮やかだった。こんな瞳の色は珍しいし、容姿を説明すれば知ってる人ならすぐ分かる筈。
明日、近所の人に聞いて回ってお母さんを探してあげよう。
「・・ねぇ、もし元のお家が見つからなかったらー・・キミ、うちのコにならない?」
今はもう夢の国で遊んでいるだろう仔犬に、内緒話のように囁いた。
小さな背中を包み込むと、繊細で柔らかな毛並みが手のひらに心地いい。
冷え切っていたわんこはほんわりとあたたまり、今はもうオレの指の方が冷たいくらいだ。
オレは今、この家に一人ぼっちで住んでいる。
数年前、オレの両親は交通事故で突然天国へと旅立ってしまった。
一人で住むにはこの家は広すぎて、だから。
このコの元のお家が見つからなければいいのにな、なんて。
「・・不謹慎か。キミにとっては、お母さんの傍が一番だよねー・・」
小さな額を指先で突付きつつ時計を見ると、もう夜の九時を過ぎている。
仔犬にとってはとっくにおねむの時間だろうと、クッションとタオルで小さなベットを作って横たえてやり、
静かに部屋を出ようとすると。
気配が離れるのを感じたのか、仔犬は薄く目を開け眠そうによろめきながら身を起こした。
そして寝ぼけ眼のまま、ヨチヨチとオレの傍へ寄って来る。どうやら、一人で寝るのは心細いらしい。
「そうだよね、まだちっちゃい子供だもん・・一人ぼっちは寂しいよね。おいで、一緒に寝ようか」
わんこの相手をしながら自分の寝支度も済ませてあるし、ちょっと早いけど付き合って寝てしまうことにしよう。
抱き上げて寝室へ向かいベットに潜り込むと、仔犬は安心したように胸の中におさまった。
「・・あったかい・・・」
小さな鼓動を、胸に感じる。
重なる鼓動とぬくもりが、沁み入ってくるみたい。
自分以外の息遣いが、何だか無性に懐かしいものに感じて。
もういない家族を思い出してしまって、胸の奥がツキリと痛んだ。
(いけない・・、思い出さないように・・してるのに・・)
胸の奥に、仕舞い込んでいる痛み。
昔から自分の感情を素直に出すのが苦手だったけど、一人になってからそれがもっと出来なくなった気がする。
両親が亡くなった時も、皆に心配掛けちゃいけないって泣くのを我慢してた。
周りの人の優しさにまでも気を使って、辛い時でも哀しい時でも本当の心を隠して微笑んでしまう。
(大丈夫・・オレは、一人になったって大丈夫だから・・・)
そう言い聞かせながら唇を噛み締め、いつものようにぎゅっと目を瞑る。
すると、頬があたたかくなった。
小さなわんこが、頬をちろりと舐めてくれたのだ。
いつの間にか、零していた冷たい涙を。
「・・あ、れ・・?オレ・・泣いて・・・・」
いつもは我慢できるはずの涙が、何故かほろほろと溢れ出して止まらない。
仔犬は、ちっちゃな舌でちろちろと頬を舐めてくれた。
「ふふ、迷子のわんこに・・オレの方が慰められてるみたい・・」
そんな自分がおかしくて、頬がくすぐったくて、泣きながら微笑んだ。
痛みが涙になって溶け出すたび、わんこが頬を舐めてくれて。
胸の中がじんわりあたたまるのを感じながら、いつの間にかオレは眠りに落ちていた。
小鳥達の弾むような囀りと、窓から差し込む眩しい朝日に目を覚ます。
いつも眠りが浅くて夜中に何度も目が覚めるのに、こんなにぐっすりと眠れたのは久しぶりだ。
「おはよー、わんこ!昨日は慰めてくれてありがとうねーv」
それはこの優しい仔犬のお陰だと、とっくに目覚めて枕元で跳ねているわんこのちっこいお鼻にチュッと口付ける。
すると、小さなしっぽが初めて嬉しげにピコピコと振られた。
「あ、喜んでるぅー!か・・可愛い・・・っ」
どうやら、オレのことも気に入ってくれたらしい。嬉しくて抱き上げると、キスのお返しみたいに鼻を舐めてくれた。
逸らすことなく見詰めてくる、真っ直ぐで意志の強そうな瞳。きっと、大きくなったら立派なわんこになることだろう。
オレも、すっかりこの仔犬を気に入ってしまった。
「よーし、決めたよ!わんこ!!」
何事かと不思議顔のわんこに向け、オレが誓ったこと。
このコの、飼い主を探そう。
そして、見つかったら返すんじゃなくて。
お願いするんだ。このコを、オレに下さいって。
もしダメだって言われても、一生懸命お願いするんだ。
そう心に決めて近所に聞いて回ったけれど、残念ながら紅瞳の仔犬の事は誰も知らなかった。どうもこの辺で
生まれたのではないらしい。つまりどこか遠くで生まれ車で運ばれて、ここに捨てられてしまったという可能性が高い。
偶然・・・いや。
「ね、わんこ。きっとキミは、初めからここに来る運命だったんじゃないかな」
自分を上手く表現することの出来ないオレに、神様がちょっとツリ目だけども実は心優しいこの仔犬を
プレゼントしてくれたのだ。抱き上げて微笑みかけると、仔犬はまたしっぽをピコピコと振ってくれた。
「じゃあ、キミは今からうちのコに決定!キミの名前はね、黒い鋼・・・黒鋼、なんてどうかなー?」
深い漆黒の毛並みに、鋼のように揺らがない強い瞳を持ったこの仔犬に相応しい名前だと思う。
オレの案がどうやらお気に召したらしく、わんこは満足げにばうと一声吠えた。
「よし、じゃあ黒鋼ね!でもまだ可愛い仔犬だし、愛らしく黒わんって呼んであげるねv
よーしよし、くろわん、くーろわーんvvv」
どうも“黒わん”は気に喰わないらしく、仔犬は抱えあげられたままジタバタもがいた。それでもオレは
気に入ったので黒わん、黒わんと呼び続けていると、わんこはそのうち諦めたように小さく鼻を鳴らした。
偶然じゃない、きっとキミは初めからここに来る運命だったんだ。
自分を上手く表現することの出来ないオレへの、神様からのプレゼント。
こうして、オレと黒わんの生活が始まったのだ。
裏部屋に置こうとしたお話なのですが、えらいほのぼの動物モノになったので裏表現が入る話以外は
表に置くことにしました・・が。こんな調子で、本当に裏にまで関係は発展するのだろうか・・?!
|戻る|