わんこ物語2
「たーだいまv・・わぁっ?!」
玄関に入った途端飛び掛ってきた大型犬に押し倒されそうになり、ドアに凭れる格好で何とか抱き止めた。
危ないでしょーと注意しようとしたものの、前脚を掛けてフサフサの長い尻尾をめいっぱい振りご主人様の帰還を
無邪気に喜ぶ様子に、つい叱る気も失せてしまう。このわんこに本気で飛び掛られれば倒れるどころの騒ぎじゃ
すまないだろうし、一応これでも手加減してくれているのだろう。
「なぁに、帰りが遅いって心配してくれてたー?それとも、お腹ペコペコで待ちきれなかったのかな。
ふふ、黒わんは食いしん坊さんだもんねー」
太い首や喉元の毛並みを梳くように撫でてやると、グルグルと甘えたように鳴き額を摺り寄せる。
じゃれ付く仕草も可愛い、オレの何より一番大切なわんこ。
玄関の前で小さな仔犬を拾ってから、早一年。
黒鋼と名付けたわんこは、すくすくと順調に成長した。と言うか順調に成長しすぎ、いつの間にやら本当に犬だろうかと
疑問に思う程大きくなってしまった。拾った当時は手のひらサイズのぬいぐるみみたいだったのに、今や当時の面影は
瞳の紅色くらい。ちなみに大きくなったら“黒わん”でなくちゃんと“黒鋼”と呼んであげるつもりだったものの、
“黒わん”に慣れ親しんでしまい結局そのままである。その呼び名が気に入らないようだった黒鋼も、今ではすっかり
呼ばれ慣れてしまったみたいだし。
「黒わんって、何の種類のわんこなんだろねー?こんなコ他に見たことないし、混血かなぁ・・」
もふもふと耳の脇を撫でてやると、巨大な獣は気持ちよさげに目を細める。そんな様を微笑ましく眺めつつ首を傾げた。
肩高は1メートルを裕に越え、体重はこの間量ってみたら既に80キロ近かった。すっかり太く逞しくなった脚、
闇色の硬い毛並みは狼のようで、その下の引き締まった筋肉は力量感に満ちている。無駄のない方形体の体格や
頭から鼻にかけての頭骨のラインのしなやかさは、ドーベルマンのようにも見えた。
くさび形の頭部に直立した耳、鋭い牙の並ぶ力強い口吻、体形から感じる印象と調和した強い眼差し。
特有の直線美は、深い漆黒に映える鮮やかな紅の虹彩と相まってとても綺麗だと思う。
貴族のような気高さと野生の力強さを併せ持つこの犬は、幾多の掛け合わせの中で奇跡的に生まれたのだろう。
もっとも、オレにとっては綺麗で可愛い自慢のわんこだが、他の人にとっては恐しいの一言に尽きるらしい。
確かに真っ黒で巨大な体躯、鋭い眼光に牙を剥く強面は幼子に泣かれても仕方がないとは思う。
本当はいいコなのに、見た目で損して気の毒だ。小さい頃はまだ散歩や公園へ遊びに連れて行けたけれど、
今は到底無理。こんな強靭な身体を持っていれば本当はあちこちを思い切り駆け回りたいだろうし、
オレだって黒鋼と一緒に色んな所に出掛けられたらどんなに楽しいだろうと思うのだけれど、こればかりは仕方ない。
そんなことを思いつつキッチンへ向かうと、再会の喜びを一通り主張しやっと落ち着いたわんこはぴったりと付いて来て
そのままテーブルの下にするりと収まった。菜箸を手に覗き込めば、ぺたりと伏せた獣は尻尾を揺らめかせつつ、
期待を込めた目でオレを見上げる。
「ひょっとしてオレより、オレの作るご飯をお待ちかねかなー?ちょっと待ってて、すぐ出来るからね」
いかにも待ち侘びてる様子が微笑ましくて、思わず噴き出してしまう。
大きな身体に見合う旺盛な食欲を見せる黒鋼は、オレのお手製のご飯を気に入っていて市販のペットフードには
まるで口を付けない。お肉や季節の野菜、玄米なんかを栄養バランスも考えてあげつつ毎食分調理するのは、
ちょっと手間だけれど。
「はーい、お待たせ!召し上がれー」
でも尻尾を振り振り嬉しそうに食べるわんこの姿に、オレまでも幸せな気分になってしまう。ついでのように作った
自分のささやかな晩御飯をリビングに持ってきて箸を付けるか付けないうちに、黒鋼はご飯を全部お腹に収めて
しまっていた。どうやら、今日の食事も甚くお気に召したらしい。
「あっそうだ。明日授業一限からだから、起こしてねー!黒わんv」
お茶碗片手に声を掛けると、満足げにしていたわんこは黒い頭を上げてふんと鼻を鳴らした。その様子は
『いい加減一人で起きろ』とでも叱っている気がしなくもないけど、黒鋼はこう言っておくとちゃんと起こしてくれるのだ。
朝が苦手なオレが布団に包まってごねれば、毛布を奪ったり尻尾で顔をはたいたりし、最終手段としては
上に乗っかってくる。黒鋼の重みには敵わず、さすがのオレもベットから逃げ出すのがいつものパターン。
「頼りにしてるよ♪オレの単位は、黒わんに掛かってるんだからねー」
カーペットに脚を投げ出し冗談めかして笑うと、近寄ってきた黒鋼はもう一度鼻を鳴らした。
呆れてる様子のわんこは、人の言葉をほとんど理解出来ているように思う。ちゃんとトイレに行って用を足すという
スゴイ技も持っているし、部屋を荒らすどころか物を出しっぱなしにしておくと仕舞ってくれたりするという、
非常におりこうさんなわんこなのである。
「ほーんと、黒わんがいてくれてよかったなーv」
微笑んでいいコいいコと毛並みを撫でると、黒鋼は自分に触れる手を一瞥した後双眸を覗き込むように顔を近づけた。
そして、オレの傍らでお腹を見せてころりと寝そべる。
「・・やっぱり、分かっちゃったかなー・・」
幼い頃と随分変わったけれど、変わらないのは瞳の紅と、もう一つ。
優しいところだ。
その優しさに甘えて大きなわんこのお腹を枕にして横になると、柔らかな毛があったかくて気持ちいい。
オレがちょっと落ち込んでる時何となく分かるらしく、こうして慰めてくれるのだ。
心に刺さったほんの些細な棘にも、気が付いてくれる心優しいわんこ。
ゆっくりした鼓動が聞こえる毛並みに顔を埋めると、お日様みたいな匂いがした。
「くぅろ、わん・・」
もふもふと擦り寄りながら小さく囁くと、長い毛の尻尾で返事するみたいにぱたりぱたりとオレをくすぐってくれる。
優しい黒鋼に癒されるこの時間が、一番大好き。
「綺麗な色だねー・・」
闇より深い漆黒にじっと触れていると、厚い毛皮の奥の体温が手のひらに伝わってくる。
(あったかい・・)
閉じた瞼に、黒鋼はそっと鼻で触れた。
慰めるようなその動作に、何だか泣きそうになってしまう。
飼い犬に慰められてばかりの自分がちょっと悔しくて、その鼻を指先でちょっとくすぐるってやると、わんこは
むずがって顔を背けた。面白くて更にこしょこしょして遊ぶと、尻尾でバサリとはたかれてしまう。
そんなやり取りも楽しくて、幸せだ。
自分の感情を素直に出すのが苦手なオレだけど、黒鋼の前でだけは泣くことも笑うことも正直に出来る。
黒鋼は、いつだって駆け引きも算段もなく、全身でただ真っ直ぐに愛情を表現してくれるから。
だからオレも、このコの前でだけは素直な気持ちでいられる。
記憶を胸の奥に隠す必要も、もうなくなった。
今は天国の両親を思い出しても、哀しくはならない。幸せだった記憶は、痛みではなく優しい気持ちを運んでくれる。
大切な家族は、大切な記憶。今でも愛していて、感謝している。
こんな風に変われたのは、全部黒鋼のお陰だ。一体このコにどれだけ癒され、救われたか。
あの日黒鋼をここに導いてくれた神様に、心から感謝している。
オレの大切な、可愛いペット。
ううん、ペットというより大事なパートナーだ。
甘え下手なオレが、唯一本心を晒して甘えられる大切な存在。
しかし、そんな黒鋼にも一つだけ困ったことがある。
オレと二人きりの時は全くといっていいほど吠えないのに、家に訪れる者には片っ端から見境なく吠え掛かって
しまうのだ。番犬にはもってこいなのかもしれないが、不審者どころかお客さんまで追い払ってしまう。
賢いコなので危害を加える者とそうでない者の区別くらい付くはずなのだが、これだけは何度注意しても何故か
直らない。
きっと心根の優しい黒鋼のこと、オレのことを守ろうという正義感たってのことだろうけれどーーーーー
次回は、黒わん視点のお話になりまふ〜!!
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