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わんこ物語3

ファイが好きだ。
飼い犬がご主人様を慕う気持ちじゃない、これは人の言う恋心というやつだ。
でも、この気持ちをファイに伝える術はなく。
そして、人間のファイが獣の俺に同じ気持ちなど抱いてくれるはずもなく。



「チィースッvvvあーいかわらず美人だなー!愛しのファイちゃんvvvなぁ、そろそろおれと付き合う気になった?!」
「またヘンな冗談言ってー。家に来るなんてどうしたのー?何かあった?」
穏やかで平和な、日曜の昼下がり。ファイとのんびり過ごす至福の時間を、ピンポンピンポンとしつこいチャイムに
割り込まれた。こんな無礼な輩はセールスか何かだろうとファイの後を付いていくと、ドアの向こうにいたのは
もっと性質の悪い人間だった。どうも学校の知り合いらしいが、やたらとファイに顔を近付け馴れ馴れしく話し掛ける。
すぐさま撃退してやりたい所だが友達には吠えないよう再三言い付けられているので、何とか我慢して陰に引き下がって
いたのだが。
「たまたまこの辺り通り掛かってさ、そういえばこの辺にファイちゃんちがあったなって思い出したから!
いきなり来ちゃ悪いかなって、一応何度も携帯掛けたんだぜ。でもずっと留守電だったからさぁ」
「ああ、ごめんねー。バイブにしてたから気が付かなかったのかなー」
にっこり微笑んでいても、内心迷惑がってることなんかすぐ分かる。にも関わらず、全く気付かないらしい
ずうずうしい男は、あろうことかファイの細腰に腕を回そうとした。
(てんめぇ!!ファイに何する気だッ!!!)

バウバウッッ!!!!

天井が破れそうな轟音だとか、間近で雷が落ちたような衝撃だとか言われる自分の声。もちろんデレデレと鼻の下を
伸ばしていた男は飛び上がり、慌ててドアの向こうに隠れた。
「わわっ、な、何だよそのでっかいの?!しっ心臓が飛び出るかと思った!!」
「もぉ、黒わんったら吠えちゃダメだって言ってるでしょ?ごめんね、脅かしちゃってー。
ほら、このコだよ!オレがよく話してる、うちのペットの可愛いわんこー」
どうやら学校でも俺のことをよく話してくれているらしいファイは、細い指で俺の額をペンと弾いた。全く痛くないが
主人に従い大人しく伏せたものの、これを黙って見過ごせようか。偶然通り掛かったとか言って、下げた箱からは
ファイが好きそうな甘い菓子の匂いがしている。たまたまもクソもあったものか。
ラフな格好も可愛いね、と上から下までじっとり舐めまわすような視線も下心が見え見えで腹が立つ。
許しが出るなら今すぐ飛び掛かって、成敗してやりたい所だが。
「な、何か殺気を感じるけど気のせいか・・?!ライオンみたいにデカいし、こんな凶悪な面・・なぁ、これ本当に犬か?!
ファイちゃん、こんな凶暴で恐ろしいペット飼ってると咬まれるぞ?!危険過ぎる!!」
「あはは、大丈夫だよ!このコ見かけは恐いけど、本当は可愛くて優しいコなんだってばー」
白い手のひらが黒い毛並みをよしよしと撫でると、可愛くて優しい?!と男はドアの陰から信じられないものを
見るような視線を送る。重ね重ね失礼な奴だ。
「もし機嫌損ねて咬まれたら、きっと即死だぞ?!襲われてからじゃ遅い、こんなの今すぐ手放した方がいいって!!」
どうせ分かりゃしない思っているだろうが、生憎俺は言葉が大抵分かる。この俺を前に暴言を吐くとはいい度胸だ。
ファイとの時間を邪魔した上言いたい放題の男の方こそ今すぐ撃退したいが、主人に大人しくするよう命ぜられた身だ。
せめて思い切り獰猛な唸り声を上げ、強い敵意を持って睨み付けてやる。
すると男は怯みながらも、いやらしく口端を上げた。
「ふふーん、わーかった♪この犬きっと、おれがファイちゃんと仲がいいからヤキモチ焼いてんだぜ!」
「え、ヤキモチー?黒たんが?」
小首を傾げて俺を見下ろす宝石のような蒼は、この世で一番大好きな色。
この男、意外と鋭い。ああ、確かにそうだ。
ファイに迷惑を掛けているから、この男に腹が立つ。でもそれ以上に、結局はこの男が羨ましくて腹が立つんだ。
「しーかし、残念だったな犬!お前は所詮獣だ、いくら頑張ったっておれの方が断然有利だぜ。おれはお前と違って
ファイちゃんと喋れるし、講義だって一緒に受けられる。犬っころにはどう足掻いたって無理だもんなぁ!!」
勝ち誇った男を前に、思わずぐっと詰まった。

ファイを傷付ける全てのものから守るという決意は誰にも負けはしないし、どの人間よりもファイのことを
愛している自信がある。
が、所詮は獣だ。
ファイを抱き締める手も、ファイを慰める言葉も持っていない。
(でもな、少なくともてめぇよりは俺の方を好いてくれてんだよ!!)
バウ!!!!
ふふんと胸を張る男に向け吠え掛かかり、鋭い牙を剥いて前足を突っ張り飛び掛かる振りをしてみせる。
口ばかりで度胸のない男は竦みあがり、一目散に逃げていった。負け惜しみだと言うなら言えばいい。
「あらら、行っちゃったー。んもぉ、黒わんてば脅かしちゃダメでしょー?」
玄関から出て後ろ姿を見送ったファイは、目の前にしゃがんで俺の頬を白い両手で包んだ。
それから、悪戯っぽく微笑む。
「でもちょっと助かっちゃった、追っ払ってくれてありがと!あの人悪い人じゃないんだけど、いつもあんな調子で
困ってんだー。お家にまで来るなんて・・何か急の用事でもあるのかと思ったら、そうでもなさそうだったしー」
(いつもあんな調子だと!?学校でもファイに付きまとってやがるのか・・!!)
聞き捨てならない言葉に、更に怒りがこみ上げる。
ファイは、獣の目から見ても見惚れてしまうほど綺麗だ。家に来る人間を見ているだけでも、知り合いは元より
セールス・勧誘の類までファイを見た途端頬を染め鼻息を荒くしやがる。
そんな悪い虫だらけの外界へ一人で出掛けるファイが、心配で仕方がない。本当は付いて行きたいのだが、
ファイと一緒に出掛けるとどいつもこいつも振り向きやがるので威嚇せずにはいられない。
そして結局、皆が恐がって逃げ出すということで外出禁止令が出てしまった。自行自得とはいえ、口惜しくて堪らない。

おやつ作ってあげようか、とキッチンへ向かうファイの後ろ姿を追いながら、考える。
俺が人間だったなら、もっとおまえを守ってやれるのに。
俺がしてやれる事といえば、家に押しかけてくる外敵を撃退することと、心に傷を負ったファイを腹枕で寝かして
やる事くらいだ。
・・・・・・・考えてみると、全く大した事が出来ていない。
「失礼な人だよねぇ、咬まれるとかひどい事言って・・可愛くて優しい黒わんが、オレのこと襲うわけないもんねー」
振り向いたファイが頭を撫でながら鼻先にチュッと口付けてくれるのが嬉しくて、無意識に尻尾を振っている。
そんな俺をカワイイと言って、細い両腕で抱き締めてくれた。
優しくて可愛いのは、俺ではなくファイの方だ。

寒くて、ひもじくて、寂しくて。
そんな時微笑み掛け、胸に抱き締めてくれたのがファイだ。
それは初めてもたらされる感覚で、驚いて落ち着かなかったけれど・・包み込まれる優しさに身体の力も抜けていった。
俺の記憶はそこから始まる。ファイと出会う前のことなんて、覚えていないし今更何の興味もない。
幼い頃は、愛情を注いでくれるファイを親のように慕っていた。
大きくなるにつれこいつの弱さを知って、守りたいと思うようになった。
そしていつしか、もっと強い想いが芽生えていった。
誰よりも綺麗で、心優しいご主人様。
俺の、たったひとりの大切な人。

自分は、人に近い頭脳を持っているように思う。ファイの言う通り、幾多の掛け合わせの中で奇跡的に高度な頭脳を
得ることが出来たのかもしれない。しかし、それでも所詮は獣だ。言われなくたって分かっている。
自分はただの飼い犬で、ファイが俺に特別な想いを抱いてくれるはずもない。
大好きだと抱き締めてくれても、それはペットへの愛情であって男女が抱くような愛情ではない。
そんなのは叶わぬ願いで、自分の気持ちさえファイは知ることはないのだ。
いつか、こいつは誰か人間と恋をして、結婚して・・・
それでも、俺を傍に置いてくれればいい。他の誰かのものになっても、俺はおまえを守り続ける。
番犬として、ファイを悪い奴から守るのが俺に与えられた一番重要な役割だ。
それにファイが心を許してくれるのは、動物相手だからこそ気楽に接することが出来るからかもしれない。
俺は俺の方法で、ファイを守ればいいだけだ。
おまえが泣いてる時は、頬を舐めることぐらいしか出来ないけれど、それでも。
誰も気付かないくらいの小さな傷も、俺だけはきっと気付いてやれる。
この役割が出来るのは、この世で俺だけなんだ。ずっとずっと、傍でおまえを守っていたい。
そうだ、自分はファイのものであるということが、一番の誇りだ。
俺はこいつの飼い犬であることが、幸せなんだ。


ああ、でも。
一度だけでも。
人間になれたらと、思ったりもする。
人間になって、電車でも大学でも、おまえの行くところ何処へだって付いて行ってみたい。
そして、言葉で伝えるんだ。
『好きだ』
この胸の、一番大切な気持ちを。
そして、世界で一番大好きなご主人様を、両手で抱き締めたい。
犬の姿では、抱き締められるばかりで抱き締める事は出来ないからーーーーーー





がんばれ黒わん!というわけで、次回に続く〜
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