バナー
或る国王と剣士のお話F前編

「これは・・あまりに、非道いんじゃ、ないですか・・」
絶句する国王に、男は薄く微笑んだ。
「何を仰っているのです。貴方の為に、作ったのですよ」
「すぐ、廃棄なさい。私は、こんなものは・・」
男は膝を折り、王の華奢な手を取った。震える指先に、冷たい唇をそっと口付ける。
「敬愛する貴方へ、私からの最後の贈り物です。どうか、お受け取り下さい。我が王・・」




俺が初めてその男見たのは、国王付護衛兵に任命されて、一週間ほどたったある日のこと。
執務室がノックされ、静かにドアが開けられた。
「国王様、おいで下さい」
低く、落ち着いた声。真っ直ぐの長い黒髪で、背が高い。白衣を着ている。
「ああ、時間だね。・・ちょっと、行ってくるから」
ファイがマントを羽織った。国王が出掛ける時は、必ず俺も共に行くことになっている。
当然のように付いて行こうとすると、
「君は結構」
黒髪の男に一言言われ、鼻先でドアを閉められた。
「な・・!」
閉められたドアを思い切り蹴り開けようとすると、チィが慌ててとめた。
「黒鋼様!ドア壊しちゃだめですーっ。
心配なさらなくても、国王様は今から研究室に行かれるだけですから、護衛はいらないんですよ!」
「研究室だぁ?つか、あれ誰だよ。感じの悪い」
「アシュラ様です。お名前聞かれたことありませんか?
セレス国一、いえ大陸一の頭脳を誇るといわれる、有名な天才学者様なんですよ。
アシュラ様の研究で、セレス国の技術は飛躍的に発展したんです。
黒鋼様だって、たくさんその恩恵に預かっているのに」
「知らねぇよ。だいたい二人で研究室行って何してんだ」
「アシュラ様は国に研究報告をするのとは別に、週に一度国王様に直にご報告なさっているんです。
研究室はこのお城の地下にあって、でもかなり危険な研究もされているらしくて・・。
なので、研究室は国家銀行の金庫並みに外部からの遮断がなされているんです」
それで、護衛は付いていく必要がないらしい。
「危険な研究って・・。それにあいつ・・」

その男の氷のような瞳が、妙に印象に残った。


「あいつ、大丈夫なのかよ」
就任初日の夜、ファイは俺に茶を淹れてくれた。それ以来それが習慣になっていて、
毎晩、ファイの部屋で茶を飲んでから寝ている。
茶を飲んでいる時はいつもファイのたわいもない話を聞いているだけなのだが、昼の件がどうしても
気になり、思い切って聞いてみた。
「んー?あいつってー?」
「昼に来た、アシュラとかいう学者。いつも地下の大研究室で、一人きりで研究してるって
いうじゃねぇか。危ない奴なんじゃねぇのか?」
「危ないなんて・・、失礼なこと言っちゃだめだよー。
アシュラさんは子供の頃からずっと、この国の為に色々研究してくれているんだよ。
それにいつも、オレにも分り易いように研究成果を説明してくれるし。立派な人なんだ」
「何だ、あいつガキの頃から研究室に入ってんのか?」
「うん、アシュラさんが、神童だってお城の研究室に連れられて来たのが・・10歳くらいかな。
その時オレは・・6歳くらい。
紹介されたけど、恥ずかしくて父様の後ろに隠れて、ちょっとしか顔出せなかったこと、覚えてる」
話しながら、ファイは座っていたベットに、すとんと倒れた。
「そう、まだ、あの時は生きていたんだ。父様も、母様も・・。
その後しばらくして、父様も母様も死んでしまった」
亡くなった両親のことを話すのを聞いたのは、これが初めてだ。
何と言ったらいいのか分からなくて黙っていると、ファイは仰向けになったままくすりと笑った。
「最近ね、よく思い出すんだ。父様と、母様のこと。
ずっと、思い出さないようにしていたんだけどね・・思い出すと、つらいから・・」
ファイは、寝転がったまま俺に向けてひらひらと手招きした。
まさか、ベットに来いとでもいうのか?冗談じゃない。
毎晩、我ながら感心するほどの忍耐力で、何とか手を出さずにいるというのに。
ファイが寝転んだベットになんか行った日には。・・我慢する、自信がない。
「どしたのー?こっち来てってばー」
「何でだよ・・」
「ここでお話しようようー。嫌なのー?黒たん冷たーい」
薄い肩を倒してうつ伏せになり、さめざめと泣きまねなんかしている。
俺はため息をついて立ち上がった。知らねえぞ。
ずかずかベットに歩みより、ファイの寝ている隣辺りに座った。
やわらかいベットがたわみ、ファイはその反動でこちらにころりと転がってきた。
楽しそうにくすくす笑いながら、
「来た来たーv」
なんて、仰向けになったファイが、俺に向けて細い両の腕を広げた。
どうしろっていうんだ!!
もう本当に襲ってしまおうかと思ったところで、冗談だよー、そんな怖い顔しないで、と
ファイが笑いながら手を引っ込めた。
「小さい頃のこと・・父様が大きな手で頭を撫でてくれたこと、母様も一緒に三人で手をつないで、
一面のピンクのお花畑を見たこと・・空が青くて、すごく、風の気持ちいい日で・・」
呟くようにファイは言って、遠くを見つめた。まるで、記憶を見ているかのように。
「昔は、思い出すと、胸が痛かったんだ。でも、今は、思い出すとね、
あの頃の、あったかい気持ちも一緒に、思い出すんだ。痛くないんだ」
ファイは起き上がり、俺の顔を覗き込んだ。
「どうしてかな・・?」
・・・多分。
「今が、幸せだからだろ・・」
それを聞いて、ファイはまたくすくすと笑った。
「君が来てから、オレ、変わってきたみたい」
でも、と言って、ファイは少しうつむいた。
「幸せって、怖くない?」
「何でだよ」
「簡単に、壊れてしまいそう・・。
父様や母様が死んでしまった、あの時みたいに、また、突然ー」
顔を上げたファイの、宝石のような瞳が、ほんの少し不安げに揺れて。
思わずその白く華奢な体を抱きしめてしまいそうになったけれど。
今日も俺は我慢して部屋に戻った。
大陸我慢大会があれば、間違いなく俺はチャンピオンである。
接し方なんかはいい加減にしているが、一応身分などは気にする性質だ。
ファイが普通の奴ならとっくに襲っているが、仮にも国王なのだから。



その時の俺は、ファイが幸福に対し抱える不安などは、きっと時が解決するだろうと思っていた。
哀しい時が長すぎて、慣れていないだけだと。
不安が示すものの存在など、思いもしなかった。
その時俺はまだ、この先起こることなど、
知る由もなかったのだから。



国王付護衛兵になって半年程がたち、業務にも慣れてきた。
今までの分を補うかのように国内、国外様々な行事に出向いたので、かなり忙しい日々である。
1・2度刺客に狙われることもあったが、俺にしてみれば大したことのない小物だった。

そんなある日、いつものようにあのいけすかない学者と共に研究室の視察に行ったファイが、
心なしか青い顔をして戻ってきた。
「ファイ様、お顔の色が・・お体の調子が悪いんですか?すぐお医者様を・・」
「いいよ、大丈夫。何でもないんだ」
チィにそう言って、いつも通りの笑顔で微笑んだ。
こいつは、いつもそうだ。
「・・何かあったんだろ。アシュラに何かされたのか」
「違・・けど。アシュラさんが、今日でセレスの研究室をやめるって」
「ええ!何でですか?!」
「理由は分からないんだけど・・、本人がそう言うんだから、許可したよ。もう出て行ったんだ」
驚くチィの頭を撫でて、また微笑んだ。


何かが、あったのだ。


その夜国王の寝室のドアを開けると、思いがけずファイが飛びついてきた。
「・・怖い・・」
消え入るような声。華奢な腕で俺にしがみついてくるファイは、小刻みに震えている。
昼の件だ。周りに人がいなくなってから話そうと、俺を待っていたのだろう。
「何があったんだ」
ファイは俯き、今日その研究室であったことを、震える声で言葉にした。
「アシュラさんは、新しい兵器の研究をしていて・・今日完成したって・・。
あんな恐ろしいものを・・オレのために作ったって・・」

それは『神の火』と命名され、ファイの目の前で実演された。
特別硬化硝子ケージの中の、小鳥。
そこに、耳かき一匙分にも満たない量の、粉末を入れた。
蓋をし、外部からの仕掛けで、ケージの中に火花が散った。
その瞬間、目も開けられないほどの閃光。
目を開けると、硝子の内壁は、真っ赤な血に染まっていた。
小鳥は、小さな肉片と化していた。もはや、それが何であったかも分からない。

ファイの目の前で、そんなことを。
「あんなもの・・、この世にあってはいけないものだ・・。
それから、あの人は、出て行った。これがオレへの最後の贈り物だって・・そう言って・・」
一体どういうつもりだ。
「アシュラは、今どこにいるんだ」
「・・分からない・・。前から少し・・様子が・・おかしくて・・」
「探して、一度問い詰めたほうがいいな。何かある」
「やめて、怖いんだ、もうあの人には」
「何か分からないから怖いんだろう。確かめなきゃ、何も解決しない」
「・・そ、うだ、ね・・。ごめん・・、引き止めておかなくちゃ・・いけなかった・・」
「いいんだ。おまえは、話してくれればそれで」
それで十分だと思う。こいつの場合。
今すぐ捕まえに行きたかったが、俺は国王付護衛兵だ。
常にファイと共にいる必要がある。ファイを連れて、そんな危ない奴を探しに行くことはできない。
仕方ない。蘇芳のところへ行って、アシュラを早急に探すよう兵の手配をしてもらった。

「きっと、明日には捕まる。問い質せば、何か分かるはずだ。
今日はもう寝ろ。俺は隣の部屋にいるから、何かあればすぐに来る」
そう言って自分の寝室に入ろうとすると、ファイが俺の手を取った。
「ひ・・ひとりにしないで・・」

ファイは。
一体何をそんなに、怯えているのか。
小鳥の吹き飛ばされたシーンを見せられた、そのショックが尾を引いているのだろうか。

あんまり震えるので、その夜は、ファイのベットの脇で眠った。
普段よりずっと頼りなく感じるその指を握ると、ファイは少し落ち着いたようだ。
ファイが眠るまで、そうしていてやった。


ファイが、そんなに怯えていたのは。
その後起こる出来事を、予感していたのかもしれない。


次の日。
隣国の国体に出席する為、俺達はセレス国を発った。
小国のひしめき合う大陸なので、隣国への道程はそう遠くはない。せいぜい3時間ほどである。
隣国との国交は深く、この半年でよく行き来している。旅慣れた道程だ。
他にもセレス国の行事と重なったこともあり、その日、国王の護衛は俺だけとなった。
他に大臣も国体に出席することになっていたのだが、国王のスケジュールの都合で、
大臣達とは別に出発することになった。
二人だけの旅路である。こんなことは、初めてだ。

二人だけでは馬車を出すわけにも行かないので、俺は黒馬、ファイは白馬に乗って、出発した。
「オレも自由になったねぇ。馬に乗って隣の国に行けるなんてねー」
ファイはそう言って、生い茂る森を見渡した。
この半年で、国王は本当に自由になった。俺の護衛に信用を置かれているらしい。
そんな自由の身にあって、馬に乗るファイは、少し不安げな様子が見える。
アシュラは、まだ捕まっていないのだ。
ファイの身にに危険を感じれば、今日の外出は控えさせたのであるが、俺には確信があった。
アシュラは、ファイには危害を加えたりしない。
まあ、目の前で小鳥を殺したりはしているのであるが、ファイの体を傷つけるようなことは
しないだろう。週に一度垣間見ていた限り、あいつは本当にファイを敬愛しているのだ。
何かがある。しかし、ファイを殺すことは、絶対無い。
自分のこういった確信には、かなり自信を持っている。
だから、今日はいつも通り公務をこなすことにしたのだ。

「心配しなくていい。何かあったら俺がいるから」
「・・ん・・」
もうすぐ森を抜ける。その時、ふと、何かがいつもと違う感じがした。
「匂い・・か?何のだ・・?」
呟くと、ファイが、匂いなんてするー?と目を閉じた。
顔色が変わった。
「神の火の・・っ」
「な」
その時、物凄い閃光が放たれた。
凄まじい熱風が吹きつけた。
とっさにファイを庇ったけれど。


俺の体は背中側半分、吹き飛ばされたと思った。





直線上に配置
|F後編へ続く|